写真講義

20件の記録
いるかれもん@reads-dolphin2026年2月25日読み終わった学び!再読したこの前読んだばかりだけど、あまりいい感想を残せなかったのが悔しくて早速再読した(笑)。ただし今回は、前回読んであまり興味を持てなかったフィルムカメラの細かな使い方の話などは大胆に飛ばしてサクサク読み進めた。 別にうまくはないけれど私も写真を撮るのが好き。それは自分が見た景色を、なるべく見たままに保存したいと思うからだけれども、この本の中にはこんな一節があった。 「写真とは、現実に見えているようには写らないのだということを知っておいてください。実際にはもっと明るかった、暗かったということだけを言っているのではなく、私たちの視覚が習慣的に行なっている修整は、カメラでは記録されないということです。」(p.93) そもそも私は無理なことをしようとしていたらしい…ただ、著者はこう述べる 「「見えているように撮る」というのが、まずは写真に近づくこと、接近することのプロセスを暗に示しているのです。その後に続く操作はどれも、よりよく伝達するため、見ているものと写真に部分的に写るだろうものの差を詰めるためのものです。これが写真の目指すべき方向で、現実をコピーするために探求するのではありません。写真は文体のように多義性をもち、語彙を持ち、内的理論を用いる、リズムをもっているます。こうしたすべての価値は、コピーにはないものです。」(p.93) 見ているままを写しきれないからこそ、何をどう写すのかという問題が生まれ、わたしの写真になるのだと理解した。一眼レフを買って何年にもなるけどいまだに使い慣れない。これからも四苦八苦しながら撮り続けたい。

いるかれもん@reads-dolphin2026年2月17日学び!再読した正直難しかった…でも、ときおり挟まる実際の写真が良くて最後まで読み進めることができた。正確な記述は忘れてしまったけれど、光の筆で描くみたいなことを言っているような気がして、自分が写真撮るときに光をあまり意識していなかったなと思った。時折、「あ、わかる」と思いつつ、今回あまりちゃんとメモを取らなかったので、もう一度読み直したい。『明るい部屋』も含めて。
白玉庵@shfttg2025年11月11日読み終わった好き今夏、恵比寿で初めてまとめて作品をみて好きになったニワカである。バックグラウンドも当時のイタリア、ヨーロッパの写真の状況も全然知らないまま読んだ。 学生向けの講義のため、なぜ自分がこのように写真を撮るのかを深い思考と思いやりとともに語られており、上記ど素人にもすんなりと理解することができた。準備ノートも収録されていて、意図したとおり、またはそれを上回る内容の講義だったことがわかる。ちょうどデジタル技術が一般化し始める時期で、いま起きているトレースの問題やAIの濫用問題を予感しているような話もある。 絵画、映画と絡めて広い視野で写真の歴史を語る章が本当によかったが、一方でびっくりするほどマニアックに早口になっている最終章(特にディランへの愛!)ではちょっと笑ってしまった。言及されているレコードジャケットのあれやこれやを思い出しながら読んだ。 後書きも素晴らしい。まさに視界が清められる写真である。 図録をゆっくりみたい。 堀江敏幸の『戸惑う窓』を想起した。 メモ:MOMAの鏡と窓展の記録を調べる




はせくらふゆこ@coupdecour20252025年9月15日読み終わった写真を撮る人というのはここまで考えて言語化するのかと驚いたけれど、巻末のチェラーティの寄稿に、「考えて、また考えてという並外れた思考力は、ほんの一握りの写真家や芸術家にしか具っていない」とあって、ちょっと安心した。 あと、絞りは絞って被写界深度を深くとることを勧め、背景をぼかすことを下品と感じると書かれていたのが、つい開放で撮りがちなのを変えていこうと思わされた



asuka@ask_5102025年6月2日読み終わった借りてきた世界と関わるひとつの方法として、写真について考えるということです。そこには撮影者のしるし、つまりその人個人の物語やその人の存在物との関係が色濃く反映されます。しかし錬金術にも似た繊細な作業を通して、私たちの内面ーー私の写真家-人間としての内面ーーと私たちの外で生き、私たちがいなくとも存在し、撮影した後も存在し続ける外的な存在物との均衡点を探し当てる方に向かわなければなりません。 (ルイジ・ギッリ『写真講義』みすず書房)














