
読書するはる
@surusuru
哲学、心理学、数学を学びたい
- 2026年6月18日
- 2026年6月17日
シェイクスピア河合祥一郎読み終わった今までシェイクスピアに触れてこなかったので教養本として読みました。 シェイクスピア本人はもちろんですが、当時の世界観や宗教観、哲学の必要性などを学べる本でした。 人生を一つの育成ゲームだと捉えてもいいんじゃないか、と考えたこともあったのですがここに来て人生劇場という考え方も新鮮で面白いと思いました。 自分としては、哲学や宗教も含め考え方を変えるのは変える必要があるとき変えればいい(もしくは自然と変わる)と考えているので、生き方の一つの指標として知れることを知っておきたいと再認識。 - 2026年6月14日
教養主義の没落竹内洋読み終わったさまざまな視点で教養の歴史を語ってくれる作品でした。現代でいう教養とは、いわゆる一般常識に近いものなので、過去の教養と比べれば、この時点で大きな差を感じてしまうことに面白みを感じます。 自分が読んだ限りは、主に戦前、戦後、戦後最盛期、70年代没落初期、90年代没落決定期という流れになっていたと思います。 こんな文章は本書に出てこないのですが、1900年代では「欧米文化を取り入れようとするのが教養ある者の務め」という一文に多くの人は納得してしまうと思います。これは『欧米文化の取り入れ』が『教養ある者』つまりはエリート層、上流階級にとって必要な物(言い換えるなら一般常識)というわたしたちにとって自然な解釈ができてしまうからです。しかしながら、かつての教養は今で言うガリ勉です。小説を読むのは娯楽の一種となり、文学書や思想書、専門書、総合雑誌が教養を得る行為として捉えられていました。学力水準の高さが窺えますが、これは仕方ないことだとも思います。なぜなら、わたしたちの娯楽水準もしくは生活水準が高くなってしまったからです。かつては考えられないほど、人間にとって簡単に快楽を得られるゲームやスマホの登場は、長い時間をかけてわざわざ本を読むことに必要性を感じさせません。これが読書離れの決定打だと個人的には思っています。ですがスマホ登場はあくまでここ20年の話です。 データなどはありませんが、基本的に娯楽水準は上昇の一途だと思います。それが爆発的だったのが日本では70年代なのかもしれません。そうすれば、自然と読書を離れるでしょう。学力水準が下がるわけです。 さてここまで、完全にわたしなりの教養の没落を語りましたが、実際に教養主義の没落を語るとするならば、まずは当時の教養主義者とはなんだったかを知る必要があります。それを教養主義者であるエリート学生を通して理解し、そのまま学制の変更、戦前の思想弾圧、戦争、エリート学生の一般学生化を経た人々をそのときどきの教養主義と絡めながら考察することで、本当にあった(あるいは、今なお続く)教養主義の変容から没落をリアルに捉えられるのがこの一冊です。 - 2026年6月7日
国際政治とは何か中西寛気になる - 2026年6月7日
破局遠野遥気になる読みたい - 2026年6月6日
夜のピクニック恩田陸 - 2026年6月6日
蜜蜂と遠雷恩田陸気になる - 2026年6月3日
生殖記朝井リョウ気になる読みたい - 2026年6月1日
そして誰もいなくなったアガサ・クリスティー,青木久惠気になる - 2026年5月27日
同志少女よ、敵を撃て逢坂冬馬読み終わった章が変わり、不吉な引用文が現れるたび、戦禍の本質といえる人を狂わせる力が主人公たちを蝕んでいたように思う。 初期のドイツ復讐に燃えていた彼女は、数々の戦いを経て、自分の本当の敵とは何か、自分が敵を殺す大義名分は何かという問いに答えを出せていなかった。どんな英雄であろうと、人であり、そして人はそんなに強くない。彼女自身も人を殺める理由、己が為の正義に飢えていた。 『戦争は正義のぶつかり合い』という言葉を聞いたことがあるだろうが、この戦争小説を読んでそう考える阿呆はいない。戦争時における国家は欺瞞と狂気で満ちており、そこに本当の正義などはなく、立場の弱い存在は常に搾取され続ける。 この構造によって、苦しんだのは主人公だけではない。遊びを忘れた子供、後半になるとその影すらない犬、未来ある学生、そして女性たちだ。皆同じく戦う力を持っていなかった。否、本来なら戦う必要などなかったのだ。だからこそというべきだろうか、戦争が起きて一番最初に被害を被るのは常に社会的弱者である。勝者のために都合よく利用されてきた本当の被害者は声を上げることすらできない。 この理不尽を根絶させるという背景を以てタイトルの本当の意味がわかるのではないだろうか。 (社会的弱者たる)同志少女よ、(搾取に狂う)敵を撃て - 2026年5月24日
正欲朝井リョウ読み終わったマジョリティの考えるマイノリティに当てはまらない人への解像度が高すぎて、途中からは朝井さんも似たような感性を持っているのかな〜なんて考えてました。結果的には、生物学的男女2人が生活を共にする中でそういうシーンがあったので、少しはマジョリティ側に寄り添った話にしてくれたと感謝してます。 (たぶん、多くの人はそうなって欲しいって考えてたんじゃないですか?もしそういうシーンが2人の中でなかったらもっとこの本に対する不安感みたいなのは大きかったと思います、そういう不安を一部だけでも取り除いてくれたことへの感謝です) にしても寺井はいい仕事をしてますよね、この人の話が1番自然で唯一のオアシスでした。まあこの本で読みやすいってことは、マジョリティ側に受け入れやすいってことと同値なのでここが読みやすかった自分はやっぱり寺井に共感できることが多かったですね。レールから外れることへの忌避感が確実に自分にもあるので、それを体現してくれてありがとうって感じです。 それから神戸ちゃんもいい子ですね〜って感じで、もしかしたらぼくが女性ならこの存在がオアシスになるのかなって思います(だいぶ性差別的な表現をお許しください)。今の社会はルッキズム真っ只中ですからね、特に学生は。コンプレックスやらトラウマやらを後天的に抱え込まされた人間、マジョリティの考えやすいマイノリティはなかなかに社会に溶け込んでて締めを飾ってるのも未来が明るそうな感じがしていいなーって思います。 あの2人にはよく頑張った敢闘賞!って感じですね。後半に行くと、もっと話せよ!みたいなことをどうしても考えてしまうんですが、結局そういうのは自分が読んでて気持ちよくなれる本にしたいからなんだよなーって気づかされましたね。完全に2人を理解できてるわけがないんですけど、辛い孤独がようやく終わったところなのでお幸せに。 諸橋くんは確かに、惜しい!あと少しで違う形になっていたかもしれない、と期待できるようなシーンもあったんですけど、これまでの積み重ねを考えるとそんな簡単にはいかないでしょうし、やっぱり神戸ちゃんには荷が重いよなーと思ってしまいますね。けど彼は繋がれたので、もしかしたら少しはよくなるかもしれません。 他の人はよくいる人たちなので触れません。自分が1番触れたいのは寺井ですね。さっきも触れたんですが笑 これはもう寺井が悪いとかいう次元ではなく、こういう人が量産できる社会になってしまってるのが根本に近いと思うんです。みなさんは読んでて、寺井が戦犯というか理解のない堅物みたいな印象を抱きませんでした?(というかそういう風に読者を感じさせるよう設定してると思うんですが)それでも皆さんに1番近い考えを持ってるのは寺井だと思うんですよね。どうします?不登校の身内が出たら。ぼくだったらまず甘えだと思いますよ、学校に行くのが面倒くさいとかそういう次元で考えちゃいます。もっと原因が辛いものだったとしても学校は行けるだろって自然に考えてそれを強要するでしょうね、まさに寺井です。けど、行けない子っていうのは行きたくても行けないし、行けない自分に自分も困ってるんです。そういう理解って自分で経験してない限りは、他人に教えてもらって、受け入れるしかないんです。だけど、寺井はそういう環境にない、どころか自ずからそういう理解を怠ってますよね。ここからは完全な憶測になってしまいますが、彼は単純に現実を受け入れたくなかったんでしょうね。職業柄レールから外れることが犯罪への一歩であるかのように受け取ってしまう性質があったため、息子が不登校というだけで自分もレールから外れるような感覚に陥った。それどころか息子や妻は学校に通わないことを受け入れ始めていく、常に正解を追い求めてきた彼にとってとても考えられない、それが正しいはずがない。そういう具合に段々と現実を受け入れられなくなり、妻と右近の関係、家族からの疎外感、自身が持つ性癖のバグに対して考えることを放棄した結果が、罪のみを意識する断罪者で凝固した。その末に2人の繋がりの強さでトドメを刺されて、思考停止です。 ここまで来ると哀れな人だなって感じてしまいます。不器用というか、もう自分でも何をどうしたらいいのかわからないって感じで、とりあえず現状維持に走ってますよね。だからまあ、レールに残るのがぜったいじゃないし、現状に甘んじて自分を変えない人間がこれからは淘汰されていくという示唆なのかもしれないですね。 - 2026年5月22日
シェイクスピア 人生劇場の達人河合祥一郎気になる - 2026年5月22日
コンビニ人間村田沙耶香読み終わった解説でも触れられていましたが、普通の人間に矯正しようとする社会からの圧力(普通圧力)を肌で感じられる作品だと思います。 もちろん、私たちの生きづらさにも繋がるところはあるのですが、主人公のような異質な人間をコンビニで閉じ込めてしまった場合の思考実験をしているような感覚の方が強かったです。 白羽のような人間を気持ち悪く感じてしまう一方で、後半になると主人公はその考えを受け入れているかのような従順さというか、軸の無さを話の節々で感じられて読んでいて気味が悪くもありました。 白羽のことは、わたしとしても好ましくないのですが、正常な人間が社会に適応できなかった場合の同時実験までやってしまったのかなと思ったりもしてしまい、この2人の人生の交差を垣間見るのがこの作品の趣旨であったような気がします。結局、異質なものは何かに型を嵌めてもらったほうが落ち着くみたいですね。 - 2026年5月22日
桐島、部活やめるってよ朝井リョウ読み終わった今のその人は過去の人生の結果だと思います。楽観的な人もいれば、計算高い人もいて、一方でひどく自己中心的な人もいますが、それぞれは環境の適応で形成され、その生き方が認められて来たからそのままの形で現在に残っている。青春の1ページとは言えないぐらい現実的で残酷な心情を描写してくれた作品だと感じました。来世は東京のイケメン男子にしてくださーい! - 2026年5月21日
行動経済学が最強の学問である相良奈美香読み終わった一般教養として知っていてもいい内容を教えてくれる本でした。ところどころ知っている話でしたが、それをしっかり言葉で説明してくれるので読んでみてもいい本だと思います。 人のクセを知る中で、自分自身の価値観を問い直すきっかけにもなりました。 ただ、本当に時々でしたが日本語が苦手なのかなと感じる表現があって読んでて気持ちよくなれない時もありました。 これから朝井リョウさんの本を読むので浄化したいと思います。 - 2026年5月18日
地球と書いて〈ほし〉って読むな上坂あゆ美気になる - 2026年5月15日
ダーウィン事変公式 ヒトとサルの境界線うめざわしゅん,湯本貴和,アフタヌーン編集部,講談社読み終わった前半は原始人類がホモサピエンスなどの人や類人猿へどのように分岐していったのかを確認し、生物学的で興味を持てない部分も多かった(内容には全く関係ないが『だいぶん』という単語を使うのは癖があってなんとなく嫌だった、用法は間違っていないがたぶん音というか読んだときのリズムが嫌いだ)。それでも、後半あたりから、文化人類学的であったり、最終的には哲学的な『ヒトとは何か』を類人猿との比較の中で捉えようとする一連の流れはとても興味深く、ヒトが持ちうる性質を知り、現代人をより俯瞰的に見つめる手助けにもなった。 高校の国語の教科書で扱われていた「ヒトが持つ言語能力が概念を生み出す役割に大きく寄与している」といった内容であったり、「現代でも残っている部族において、狩猟した食料を分け合うことが人ならではの生存戦略であるかもしれない」というテーマの小論がなぜ教科書に載っているのかの意義をこの一冊で知れたので、これだけでも十分満足感があり、読んでみて良かったと思う。 ときどき文の運びが自分の好みと合わなくてグチグチしながら読んでいました - 2026年5月13日
読み終わった20歳、田舎育ちという立場で言わせてもらうと、既に日本の教育には地域による格差も家庭による格差も存在している。 そういった現状では、これからの教育はシナリオ2ですでにある格差を是正する他ないというのが私の考えである。 さらにいうならば、この著者はまるで日本の教師のほとんどがまともな授業を行うのはもちろん、ウェルビーイングを推進するために仕事をこなしていると考えているようであるが、まったくそんなことはない。そもそも、生徒に対して真摯に向き合うことができていれば、ここまで不登校になってしまう子供がふえることはないはずである。たしかに一部の教師は生徒からも信頼され、クラス運営も十二分に行い、不登校生徒も出さず、勉強に取り組める環境を支えているが、これらの難しいタスクを実行するには、能力の足りない教師になりきれない存在が跋扈しているのも現実である。これらの真実を踏まえれば、複雑に変化する若者の心境を汲み取り、希望ある将来への建設的な問題解決はAIには期待せず、わたしたち人間が行い、そしてオーバーロードとなってしまう前に、現在は教師の役割とされている各教科の学習補助はAIにさせてしまう方が教師にとっても、生徒にとっても現実的かつ持続可能な環境になるのではないかと考える。 - 2026年5月10日
- 2026年5月10日
人間失格太宰治読み終わっただいぶ前に一度読んだのですが、再び触れてみました。 どこか説明くさく、距離を感じるような語りがいっそう私たちとの乖離を増幅させていたと思います。 とは言っても、あり得ない話ではないというか、もしかしたらこういう人間が形作られてもおかしくない、というのが僕の率直な感想です。 彼自身を怠惰に感じてしまいやすい上、この作品を気持ちよく読める人生とはとても言えません。しかし、彼はそれこそ神のいたずらで、多くの人と違う感性を与えられ、そしてその身に余る周囲との不和が、彼の精神を少しずつ着実に蝕む沼へ引き摺り込んだとも解釈できてしまいます。何かあとひとつ、彼のパーツが欠けていればこうはならなかったかもしれない。 さらに言うと、失格というのもなんだかいただけない気がします。珍しく彼自身が思考して、その失格を決めていますがよーく考えてみれば彼はただの弱い人間、まさしくわたしたちそのものです。環境が変われば人は変わる、それを体現したような彼がなぜ、人間失格であることを認めたのか。それは彼の極度に否定することを嫌う気質によると思います。長いものに巻かれ、対立することを嫌うという現代人にも共通する丸みが、そして最初から自分が人間失格であったと考えた方が楽になれるという安寧への渇望が、失格という一種の諦念で自分の道化話にもならない人生を片付けようとしたのではないか、とそう考えてしまいます。
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