さびしさについて
120件の記録
図書館マン@tosyokan-man2026年6月29日読み終わった図書館本「さびしさについて」というタイトルが気になって借りた。写真家・植本一子さんと芥川賞作家・滝口悠生さんによる2022-2023年の往復書簡。 時期的にコロナだったこともあり、内容はお互いの家族にまつわる話がほとんど。タイトルの「さびしさについて」は植本さんが書いた手紙のうちのひとつ。母と打ち解けられなかった寂しさ、成長して親離れしていく娘たちへの前向きな寂しさなどについて書かれている。 ページをめくってもめくっても、お二人から我が子の話が続き、若い私は次第に子育ての苦労話を聞かされているようで……。 読んでて徐々に嫌気が差してきたのだが、月日が流れると二人の生活にも変化が出てきて物語として読めるようになってきてからは面白かった。 パートナーと別れた植本さんを気遣うようになった二人の娘や、一人になって始めて自分の周りには助けてくれる人がいたんだと気づけて泣いた植本さん。 滝口さんは、二歳になった娘友達の間に起こる諍いが、しばしば大人社会の陰険なソレと似てきていることに気づき、日本社会の影響を娘たちも受けていることに居たたまれない気持ちになる。 植本さんも滝口さんの存在も正直私はあまり知らず、タイトルだけで読んでいたのだが、無事最後まで読めてよかった。
だるま@daruma_01062026年6月28日読み終わった寝る前に読むのにとてもよかった。 結婚のこと、小説のこと、家族のこと、色々書かれていて、手紙とは思えぬ議論の深さがあった。 ひとりになって誰かが何かを思い出すこと、そして言葉にすることが小説の源であるという滝口さんの話は、この前読んだ村上春樹のエッセイにもつながる話で面白かった。

- akaen@pencil_ak2026年6月21日読んでる2026年ベスト本基本的に誰かといても「さみしさ」を感じることがあり立ち止まることがあるのだけど「かなしみ」はどこにあるのだろうか、あっただろうかなど考えている。 積読していたけど一気に読み進めてしまいそう。



Ryu@dododokado2026年6月7日読み終わった「それがどんなものかをここで書くのは難しくて、それは前回書いた日記の書けなさにも実はつながっているし、一子さんも読んでくれた『長い一日』という小説がエッセイとして書きはじめられたのにだんだん小説=フィクションになっていったこととも関係するのですが、たとえば自分の生活のすぐそばにいる妻について、夫(である僕)が書くことは、もちろん文責は僕にありつつも、妻の言動や思考を奪ってしまうような部分が絶対に生じてしまう。 子どもが生まれてからはなおさらそうで、子どもについてなにかを決めようとしたり考えたりするとき、その主体が父親である「私」なのか、父親である僕と母親である妻からなる「私たち」なのかが曖味になりがちだなと思います。単数であるはずの「私」にいつの間にかパートナーである妻を巻き込んでしまっていたり、複数である「私たち」として考えていたはずが、いつの間にかそこに妻が含まれていなかったり。 そうやって他者を虚ろにしてしまうこと、それは文章を書くうえでごくごく基本的な、エッセイであれフィクションであれ踏まえておくべき危うさだと思うのですが、エッセイとかいま書いているような公開を念頭においた書簡や日記は、そこに書かれていることがかなり事実としての信憑性が高いものとして読まれるから、実際事実性は高いのですが、書き手の事実性と書かれる側の事実性がきれいに一致しているとは限らず、またその内容によっては文責を負い切れない部分があります。つまり、どこまで書くか、という話です。」36-7 「半年に一度くらい、どうしても悪い考えから逃げられなくなるタイミングがあって、つい先週がそれでした。心配した友人が食事に誘ってくれて、家にいてもいい方向にはいかないからと、夕方に家を出たのですが、あー、このままどうにかして消えることはできないだろうか、と考え始めてしまいました。電車の中で涙をこらえるのはなかなか大変で、そういうときは目を大きく見開いて少し上を向き、電光掲示板の案内に集中することで気を散らします。こういうときにマスクは便利です。誰も自分のことなんか気にしてないと思いつつ、やっぱり目がうるうるしている人間がいると、気づく人もいるようで、この前は東京駅から中央線に乗っているとき、目の前に座った人からぎょっとしたようにじろじろと見られました。 電車を降り、スーパーでお惣菜を選んでいるときに、背中についていた黒いものがスッと離れた感じがして、友人の家に着く頃にはだいぶ軽くなったのですが、どうにも気持ちの切り替えが苦手で。まあ季節性のものなのかもしれません。 私はどうやら言葉を言葉通りに受け取りすぎるところがあるようで、いつもそこでつまずいています。相手が言ったあれこれを、自分の中の貧相な辞書に当てはめるのです。そこには自分が知る・思う意味しか書かれていないので、相手の真意というのはわかりません。でも、言葉という「確か」だと思っているものに頼ろうとして、それ以外を見ていない。人が態度で語っていることは案外多いよ、と友人が教えてくれたのですが、コロナ禍で人と対面で向き合うことも難しくなり、より言葉に頼る傾向が自分の中で強くなっているのかもしれません。かといって、面と向かってマスクさえ外せる相手との関係がスムーズかといえば、そっちの方が難しかったりします。 前回、雪の日に外にいたと書いたのですが、あのとき歩きながら行き場がなくて、このまま滝口さんとAさんの家に行こうかなとも頭をよぎりました。二人は驚くでしょうが、きっと暖かい家に招き入れてくれて、私の話を聞いてくれたと思います。おそらくそうなったであろう、という想像だけで私は十分癒されるような思いがして、そのまま迂所を歩き回っていたのですが、そんな話をAさんにすると、来てくださればよかったのに、と言ってくれました。「いつでもですよ」というAさんの言葉が嬉しくて。滝口さんもきっと同じように言ってくれると思いますが、まあ常識的に一歳のお子さんのいるお家に、二十二時とかに突然行くわけにはいかず。でも、嬉しかったのです。」110-112 「日記というのは、それがいつ書かれるにせよ、形式としてはある一日の日付のもとに留まり、囲われる文章で、その文章はその前後の日付から隔てられています。だから、その文章のなかに書かれることも、その日以降の時間へと延びていかなくてもいい(延びていったっていいと僕は思いますが、少なくとも延びていかなくてもいい)。 それは書かれたことと文章とのあいだにある時間の幅や、文章が含む時間が短いということだと思います。そしてその短さのもとにある文章に、瞬間的な輝きとか勢いのようなものが付帯するのではないでしょうか。一子さんの日記の鮮烈さもそういうものだと思います。 一方で、文章というのは、常に書くと書かれるとのあいだに時差があり、それが大きなものになればなるほど、書かれる対象が持つ鮮やかさは失われ、鈍く、野暮ったくなるものだと思うのです。日記からエッセイへという変化は、この時間の幅に伴う鈍化を引き受けることでもあるのではないか。まさに「時間がかかる」。もちろん、その鈍化と引き換えに得られる、書けるようになることがあって、その書き方でなければ書かれなかった文章、替えの利かない文章になる。「愛は時間がかかる」の文章もそういうものだったと思いますが、一子さんが長らく日記とエッセイの狭間で煩悶していたのも、この書くことと時間にまつわる鈍化、そしてその引き換えにかかわる問題だったのではないか、と思い至ったのでした。」198-9


幸緒@kons_03202026年5月19日読み終わった往復書簡集。当時の時事(と括るのは乱暴だが)と、お二人の家族やパートナーや子どもや、生活全般への普遍的なまなざし。ひとがひとと関わって生きていくことはこんなにも複雑で、喜びも驚きも「さびしさ」も深いものになるのだ
傘野@amemoyou08312026年5月12日読み終わった植本一子の『かなわない』を読んだときは衝撃だった。 なんというか、なぜこのように考えてしまうのか、なぜ相手にこのような言葉を投げつけて、こういう行動をとってしまうのか。日記という体裁なのでわりと剥きだしのまま、つぶさに書かれているのだけど、まったく理解できず…なぜここまで書いてしまえるのかとすら思うのだけど、それでもそこに書かれていることを自分がまったく思ったことがなかったか、あるいは考えようとして、行動しようとして、先に打ち消したものではなかったか、という自問のようなものが湧いてきて、苦しいのに読むのが止められない、という不思議な読書体験だった。 今作は日記ではなく往復書簡という体裁で、実際はそうではなかったのかもしれないけれど、そのためかとても落ち着いているような印象だった。『かなわない』から10年以上は経っていることや、植本一子の母親との関係が変化していることも大きいと思う。また、互いに慎重に言葉を選んでいる雰囲気があって、それも良かった。日記の方は生っぽさはあってファンも多いのかもしれないけれど、わたしは少し加工された方が好きかもしれない。 滝口悠生は芥川賞作家(日記屋月日のイベントにも出ていた?)ということくらいしか知らなかったのだけど、なんというか感情の流れやクセが自分とかなり似ていた。「怒り」への耐性や、肉親や他人からの距離の取り方、言葉への粘り方など。 彼の書く小説も気になるけれど、エッセイがあれば読んでみたいと思った。
七星@nanaecle2026年1月30日買った読み終わったまだ読んでるなにか、例えば日記やnoteの記事を書くたびに、広がり転がり漂う言葉たちを自分に寄せることは、むずかしく、あと楽しさを感じる。植本さんと滝口さんの、往復書簡。ここまで、その地点まで書き留められるように練習をしてみたら、また奥の方まで、そしてあたらしいものに出会えるのではないか。そんなことを一読者に思わせてくれる二人の筆力は、軽やかで率直でもう何度も読み直している。好きな本だな、としみじみと、なる。表紙の雰囲気も含めて。
くりこ@kurikomone2025年12月19日読み終わった読み終わった 滝口さん、植本さんの往復書簡のやりとりを見ると改めて思ったことがある。自分というのは他者との関わりでやっと知ることができるということだ。(もちろん、この他者っていうのは人間だけでなく本でも良い)。 二人のように、自分の傷ついたこととか普段抱えている問いを、正直に書き合えて(私は話すより書く方が素直に伝えられるから、書き合える仲が良い)、互いに自分事として捉えてキャッチボールできる仲は素晴らしいな。 ーー p.236 ひとりになることで、はじめて気づける他人の存在があって、ひとりでいるときほど結局誰かのことを思ってしまう。誰かのことを思うことで、ひとりでいられる。本を読んだり、文章を書いたりすることは、ひとりでしかできないことです。僕がこうして文章を書けること、ましてそれを仕事にできていることは、ひとりでいられるからなんだな、と思いました。





きん@paraboots2025年12月13日かつて読んだ一子さんと滝口さんの往復書簡。 さみしさは一人でいても誰かといても消えないがそれでもこれまで積み重ねてきた誰かと一緒にいた時間がそれを軽くするかもしれないと一子さん。 幼少期の絶望的な一子さんのさみしさは家族の中で生まれたもの、誰か自分をわかってくれる必要としてくれる人が現れることを願っていたと、そしてそれとは別に子が手元を離れ行くときに感じるさみしさもまたあるとおっしゃっておられる個所に心奪われました。 この先誰といてもひとりであることを感じるというところ、先日読んだ土門蘭さんの死ぬまで生きる日記にもあって、ようやくわかったような気がしました。 追記 ひとりになること 花を贈るよ の題名の方がぼくは好きだな







くりこ@kurikomone2025年12月11日まだ読んでる誰かと一緒にいきるということ まで読む。 植本さんが家族のことは家族で解決しなければならないという価値観を植え付けられていて結婚することは自分たちの周りに柵が置かれてしまうことだと書かれていたのに深くうなずく。 私の家は同調圧力が異様に強いうえに虐待を受けて育ってきているので、恋人と暮らしていたり結婚していたりする人の話を聞いていると、そんなリスクの高いことをするなんてどれだけこの人たちは器用なのだろうと、変に関心してしまうし、自分は絶対できないなという気持ちが湧く。 夫婦別性や同性婚法制化には賛成の立場なのだけど、家はは怖いもの、暴力があっても逃げられないものというイメージが強すぎて、その議論に載れない自分も居る。たまに自分だけ宇宙人みたいな気持ちになる。 私としてはこんなにDVや虐待が横行している家族制度は解体してほしい。婚姻制度を廃止してもらってフランスのPACSのような友人でもパートナー関係が築けて、かつ別れやすい制度にしてもらった方がいいのだけど。



くりこ@kurikomone2025年12月9日まだ読んでる植本一子さんの日記は続けて読むのが辛い。多分私の母親と植本さんの母親が似ているからだ。この本は往復書簡という事なのでそこまで辛くなく読み進められている。 「離れ離れになる道」 良かれと思ってやったことが相手にとって重荷ではないかとずっと植本さんが逡巡している様子をみて私も同じだと思った。母がかなり「あなたのために」とパターナリスティックな対応をしてくるので、親切な行いが相手に対する支配になっていないかいつも恐れてしまう。 「さびしさについて」 物心ついたころには寂しさを植え付けられていたという植本さん。私もそのタイプ。私の原風景は、玄関の前で泣きじゃくりながら仕事に行く母親を追いかけている幼稚園の頃の私。片親だった私は母がいなかったら心にぽっかり穴が開いたみたいな感じがして、よく幼稚園ではギャン泣きして先生を困らせていた。




sunroom@marumaru_2025年11月26日読み終わった@ カフェiPhoneを修理で2時間預けて、そのあいだカフェで読んだ。好きな文章や言葉がたくさんあった。じぶんのなかのさみしさが浮かび上がるような瞬間もあった。ふたりが近い距離に住んでいるのはとってもうらやましい。 --- 「あぁ、私はまたひとりになるのだな(もしくは、戻るのだな)と再び心構えをしています。それは以前持っていた絶望的なさびしさからくるものではなく、さびしさは、おそらくこの先、誰といてもなくなることはないでしょう。」 「ひとりになることで、はじめて気づける他人の存在があって、ひとりでいるときはほとんど結局誰かのことを思ってしまう。誰かのことを思うことで、ひとりでいられる。本を読んだり、文章を書いたりすることは、ひとりでしかできないことです。」


鈍獣@whale_in_da_room2025年9月6日読み始めた最近仕事の忙しさもあってか、本が全然読めず、なんとか開いてみても少しも文章が頭に入って来なくて、気持ち悪いというかもどかしい状況が続いていた。なんとかこの不全感から逃れたいと思って手に取ったのがこの本だった。信頼できる書き手らによる、書かれたものに対する応答の連続。往復書簡という形式を選び取ったというよりは、重視されたのは読みやすさ、馴染みある文法、現代的な言葉遣いで書かれたものならなんでも良いというなおざりな態度で本を開いたにすぎないのだが、思えば最近読んでいたのは古典SFやこむずかしい翻訳文学ばかりだったので、単に「読める」ということに思いのほか安堵感を覚えている自分がいて、何事もバランスだなと思った。いろいろと余裕がない近況であったが、いま自分が読むべきものを自分の手で選び取れているという実感にホッとしている。

水曜日@wednesday2025年8月16日買った読み終わった滝口さんの『長い一日』がいつ行っても本屋さんになくて、んも〜‼️と思っていた時に見つけた1冊。2人の筆致が軽やかかつ丁寧で、とてもよかった。 子どもとのかかわりについての言及が多くて、親になると気づくいろいろな世界があるのだろうな…。読みながら、子育てについてもゆっくり考えたくなった。

riu@riufish2025年6月20日再読中@ 待合室通院読書。 自主版で読んだ 滝口悠生さんとの往復書簡を文庫で 文庫は友達と揃いで買い 離れた地で暮らす彼女とは ゆるり便りをおくりあう 往復書簡を読む事は何だかこそばい 自分のこころ 書かれている気がしてしまう






北村有(きたむらゆう)@yuu_uu_2025年5月31日読み終わった滝口さんが娘さんとお風呂に入ってるとき、間違えて娘さんの顔にシャワーの水がかかっちゃったときのやりとりがなんだかグッときてしまい、夜な夜な泣きそうだった……子どもいないのにな……






湯@funauta2025年5月15日読み終わった通勤の電車のお供に。往復書簡のスタイルをとった本を初めて読む。自分の日々のおもいとかさなる部分が多く、特に「いちこがんばれ」の章では植本さんの言葉を通して、彼女の気持ちの波がむせかえりそうなほど押し寄せてきて電車で泣いてしまった。子育ての話が多く出てくるが、それにとどまらない読みものだった。
はるのひ@harunohinouta2025年4月25日気になるシンガーソングライターのさらさちゃんが最近読んでる本として紹介していたのがきっかけで少し気になってる1冊。 さびしさと言えば、大好きなドラマ「最後から二番目の恋」で「寂しくない大人なんていない」というセリフが出てくるんだけど、13年前に初めてそのセリフを聞いた時の何とも言えない切なさがずっと印象に残ってる。
ふるえ@furu_furu2025年3月5日読み終わったかつて読んだ子どもを育てること、自分の関わり方、距離。みたいな話が続いていて、想像もできずにずっと尊敬している。 近しい人がいずれ離れていくことの心細さ、今近くにいる人の幸福を願うが故に行動を制限してしまいそうになる葛藤というのは愛という言葉で表せられるものだろうなと思うのに、それが当人にとっては愛ではなくしがらみに感じてしまうことの難しさを感じる。 どれだけ言葉を尽くしても、相手には言われたくないことがあり、何も伝えないことが相手を救うことだってあるのかもしれない。

みどりこ@midorikko_032024年10月8日読み終わっためちゃくちゃ良かったけど、いつもカバーかけてるから読み終わってカバー外してこのフォントにビックリした。え、なんでこのフォントにした?中身こんなファンシーさ微塵も無かっただろ。ちょっと読み終わった素晴らしい余韻がどこかにいってしまった……。いやでもご本人たちはこれで良かったんだよな……。でもなんかすごい衝撃だった……。
あるる@aru_booklog2024年5月15日かつて読んだとほんさんの選書で来てくれた本。往復書簡っていいなとしみじみしながら読んだ。さびしさと悲しみの違いとか、自分で考えたことがなくて、お風呂でじっくり考える時間が増えた本。滝口さんの語り口がとても優しくて、この方の本をもっと読みたいと思っている。
こらん@pompom_s1900年1月1日読み終わった往復書簡の形式で進む本。 お互いが尊敬と親愛を持って文をしたためているのがわかるから、読んでいて安心する。 自分がなんとなく流す感覚を拾い上げて言葉にするお二方の洞察力と細やかさに感嘆した。























































































