

ゆう
@yu_32
とにかく本が好き。
読んだ本の記録を残しておきたくて始めました。
楽しそうと思った本は何でも読みますが、小説やエッセイが多めです。
- 2025年11月15日
イマジナシオンtoron*読み終わった短歌が好きだ。 詠めるとか、評するのが上手いとかではなく、ただ短歌が好きだ。 歌集はつい手に取ってしまうし、SNSで短歌の投稿を見ては、ほぅ……と感嘆の声が出てしまう。 Xでよく見かけていたtoron*さんが歌集を出したことを知って、迷わず買った。 「あー、toron*さんだ」と思う。 テーマや題材そのものは誰の日常にもありそうな身近なものばかりなのに、視点が、題材の切り取り方、繋げ方がtoron*さんなのだ。 たぶん、toron*さんにしかできない。 そういう、歌人の持ち味を味わうのが歌集を買う醍醐味の一つなので、鼻歌が出ちゃうほど嬉しくなる。 大事に大事にその美味しさを噛み締める。 山田航さんが監修していて、解説も書いている。 私が言いたいことはほぼほぼ山田さんが書いてくれているので、ぜひ解説も読んでほしい。 恋、愛、社会、人生……リアルな日常からやわらかな非日常へ。 言葉で世界の形を静かに変えるtoron*さんの魔法をとくとご覧あれ。 - 2025年11月14日
ザ・エッセイ万博万城目学読み終わった万城目学さんのエッセイ集5作目。 さすが万城目さん、今回のエッセイ集にもタイトルに「万」を入れてきた。 そういうの大好き。 (『万感のおもい』だけはまだ買っていないので今度買う予定。) 13編のエッセイは、万博に並ぶパビリオンのように個性的。 笑いあり、涙あり、真面目あり、おふざけありでめちゃ楽しい。 エッセイも小説も全てを読めているわけではないので、断言するのは躊躇われるけど、万城目さんは真面目とおふざけのバランス感覚がとても鋭いと思っている。 フフフと笑っちゃうおふざけで読者の心をガッと鷲掴みにしたと思えば、じんわり泣かせにくる。 今作も、初っ端から爆笑して「さすが万城目さんだ!」と嬉しくなって読んでいたら、じーんとくる素敵なエピソードもあって、目が潤んでいた。 でもその塩梅が丁度良くて心地いい。 ティッシュで涙を拭いながら、「さすが万城目さんだ!」とやっぱり思えた。 - 2025年11月13日
湯気を食べるくどうれいん読み終わった雑誌や新聞の連載をまとめて、書き下ろしをどっさりと贅沢に加えて書籍化したエッセイ。 食を大事に愛しているくどうれいんさん。 今作も美味しそうなエピソードがずらり。 時にみずみずしく、時にほろ苦いエピソードはどれも個性豊かな味をしている。 そして今作『湯気を食べる』、れいんさんの心や人生に生まれた新たな余裕というか余白が、とても良い方向に滲み出ていると思う。 以前の、少し尖った書きぶりもれいんさんの持ち味として良かったけど、今作の読みやすさ、心地よさは格別。 安心して、というと変だけど、れいんさんが語る食べ物や料理の美味しさに100%集中できる。 私はれいんさんの食べ物への、愛に溢れたまなざしが大好きなので嬉しかった。 厳密に言うと、私の方がいくつか歳は上なのだけど、同世代の方が文章の世界の第一線を走っていて、食べ物の描写が当代一だなんて、何とも嬉しいことである。 食べ物じゃなくて情景からだって香りがこちらに伝わってくるもの。最高です。 言葉やエピソードの選び方や表現が少しマイルドになっていて、少し余白ができている気がして、私は好きだなぁと思った。 でもれいんさんはどこまでもれいんさんで、本人は「真っ直ぐ」と言われるのを嫌がるかも分からないけど、真っ直ぐな人に変わりなかった。 そういうところが好きで、時に嫉妬すらするけど、いつまでもその真っ直ぐさはれいんさんの中に、れいんさんがどう思おうとも輝いていてほしいと思う。 お腹が空いてきた。食べるっていいな。 - 2025年11月13日
天文学者が1を知ると、宇宙は10の謎を投げかけてくる佐藤文衛,前原裕之,守屋尭,播金優一,木村成生,樫山和己,津村耕司,田中雅臣,秋山和徳読み終わった天文学研究の最先端に携わる研究者たちが見ている宇宙の姿について書かれた一冊。 1つの謎を解明すると、また10個は新たな謎が生まれてくる、宇宙の壮大さや奥深さに触れられる。 完全にタイトル買いした本。中身もほとんど見ずに買った。 以前、宇宙に関するとある本を読んで、よく分からないなぁと思っていたのに懲りずに買ってしまった。 でも、研究者が「面白い」と感じた景色を、一般読者にも共有したいというコンセプトで、とても読みやすかった。 もちろん内容が専門的なので、時折、ムムム……と理解に時間がかかる箇所もあるけど、大体平易な言葉で説明されているので飽きずに最後まで楽しめた。 宇宙の研究の最先端にいる9人によって9つのトピックが解説されている、何とも贅沢な本。 宇宙ってこれでもまだまだ未知の領域がほとんどで、知れば知るほど、また分からないことがわんさか出てくる。 恐ろしいけど、やっぱりすごい。 - 2025年11月13日
ごはんぐるり西加奈子読み終わった衝撃作をいくつも生み出し、私たちの度肝を豪快に抜いてきた西加奈子さんの食エッセイ。 こんなにフリとオチが完璧な食エッセイ、他にある?! あれだけコーヒーについて熱弁しておきながら?! 愛用のコーヒーマシンを愛おしみながら?! 好きな豆の銘柄もこだわっているのに?! そんなオチ、あるかいな!! 思わずこちらも関西弁でツッコんでしまう。 ここだけ書くと、一つの章で一つの笑い、という感じがする。 違う。一つの章に対して、一つ笑うポイントがあるのではない。 一つの章の中の、一つのまとまりに一つはオチや笑うポイントが大抵ある。 それらのオチに対して、きちんとフリがある。 オチに対してフリが、そしてフリに対してオチが丁寧に設定されている。 上手すぎる。 これを練ってやっているのか、素で思ったことを書いたらこうなるのか分からないが、もはやどっちでもいい。 どちらにしても西さんの関西人としての非凡な才能が見え隠れする。 繰り返し書くけど、『ごはんぐるり』はコメディ小説ではなく、食エッセイだ。 食エッセイだからというのもあるけれど、この『ごはんぐるり』は食べ物一つ一つの描写が濃い。 ちゃんと食べ物が主役を張っている。 もちろん、西さんの人柄や性格も表れていて、まさに西さんにしか書けない唯一無二の作品なんだけど、食べ物の描写がとにかく際立っているので、食べ物が西さんに負けていないのだ。 どこまで自分の思いや自我を表出させるかというバランス感覚も絶妙。 西さんの、作者としての心の余裕すら感じる。 チョコレートを食べるシーンが秀逸。 実際はチョコがすごいというよりは、西さんが低血糖からの急激な血糖値の上昇できまっちゃっているのでは……?とビビるが、そんな状態を引き起こせるチョコのポテンシャルにもまたビビる。 西さんの手にかかれば、チョコはミラクルを起こすパワー系スイーツになる。 「ああああああ、甘くて美味しい!!やったるでー!!という感じ。」(p.51) やっぱりチョコがすごいというより、血糖値スパイクできまっているようにしか見えないけど。 活字の力に圧倒されているけれど、西さんも活字の力で私たちを圧倒している側の人だ。 でも、私たちを圧倒しながらも、同時に他の人の活字の力に圧倒される、そしてそれをエッセイとして綴る素直さがなんだか尊い。 小説家になる前、アルバイトでまかないを作り、そしてまかないを食べた人たちの「美味しい」という感動に触れた瞬間の嬉しさを今でも大切にしているところ。 その原点から地続きになっている、「目の前の人を喜ばす」ことに憧れ、挑戦し続ける西さんの姿は眩しい。 食に代表されることが多いが、文化の違いは多様性の印であり、隔たりでもある。 その隔たりは時として容赦なく私たちに突きつけられる。 「料理が美味しい国は、きっといい国だ。絶対にいい国だ。」(p.150) 西さんの切実で祈るような思いの丈が凝縮された一行。 笑いあり、涙ありの欲張り食エッセイだった。 - 2025年11月13日
読み終わった宝塚を愛するタヒさんが、自らの内なる愛を見つめ、「好き」に改めて向き合った軌跡を記したエッセイ。 雑誌の連載に書き下ろしを加えて書籍化。 誰かを、何かを「好き」になることはとても個人的な営みだ。 だから時折見つめ直したくなるのかもしれない。 「推し」がいる人にはぜひ読んでほしい一冊。 タヒさんは「好きでいること」について、「愛」について真剣に考えている。 愛を「向ける」自分について、そして愛を「向けられる」人について。 難しく考えすぎでは?と思う人もいるかもしれないが、本当はきっとこのくらい考えないといけないのかも。 いきすぎた「推し活」とか一部のファンの暴走とかを見聞きするとそう思う。 タヒさんの、いわゆる「推し」が辛い思いや不快な思いをしないよう、タヒさんは細心の注意を払いながら、情熱的に、しかし静かに応援を続けている。 タヒさんほど公演に通っているわけでも、ファンレターを出しているわけでもないけど、私にも「推し」、応援している人がいる。 その「推し」のきらめきや、舞台のことを重ね合わせるのはどうなん?とも思うけど、つい重ね合わせてしまって胸がギュッとなった。 コロナ禍での休演や無観客公演とか、心が苦しくなった。 それでも推しは希望を捨てずに輝いていたし、今でも歌や踊りや演技、様々なパフォーマンスで私を魅了し続けてくれている。 私たちは「推し」を応援している側だと思ってしまう。 確かに一面では正しい。 けど、別の一面では、「推し」が誇り高く舞台に立ち続けてくれているから、私たちはその姿に希望を見出すことができる。ファンでいることができる。 「愛」をもらっているのは私たちの方なのかもしれない。 とにもかくにも、「推し」が「推し」でいてくれること、大好きな存在でいてくれること、自分がファンとして「愛」を向けることができること、それら全てが奇跡だ。
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