ゆるふ
@yuruF
- 2026年2月13日
社会科学と因果分析佐藤俊樹読み終わった一回しか起きなかった事象の因果関係を厳密に特定することはできないが、我々は「AがなければBは起きなかったに違いない」という反実仮想や経験則によって因果を特定している。これは日常的なレベルかつ一回の事象に限った話だが、それを反省的に形式化したのが現代の統計的因果推論であり、100年前にウェーバーはそれを見通していた(しかもそんな重要な点が日本語圏では見過ごされてきた)ということに驚かされた。社会の中にいる我々は結局、反証可能な仮説を地道に積み上げていくことしかできないが、それは有意義で役に立つのだとしみじみ。 - 2026年1月31日
中立とは何か野口雅弘読み終わったマックス・ウェーバーの「価値自由」は、価値判断を排除して事実をもって語らしめよという「没価値」ではなく、自身の観点を多元的な価値のうちの一つとして明晰に自覚するよう求める。本書を通して、この「価値自由」が各時代の状況に応じて多様な意味で受容されてきたことがわかり、その事実もまた受け取り手の解釈によって多様な価値が共存し、競争し合っていることを示しているように思う。やたらとエビデンスや中立性が強調される現代日本において、あたかも価値判断を排除して事実のみで物事を語れるという幻想を解くことは重要だと思った。 - 2026年1月25日
開かれた社会とその敵(第二巻)カール・ポパー,小河原誠読み終わったウェーバーの「価値自由」と同様、一回しか生じなかった歴史事象に対しては、ある特定の観点から解釈を加えざるを得ないのであって、そのことに自覚的でなければならない。かといって、全てが相対的になるわけではなく、反証可能な因果分析を打ち立てることは可能である。/ポパーは最後に「歴史に意味はあるか」と問う。ここで私はフランクルの『夜と霧』を思い出した。歴史や人生に意味はなく、われわれが責任を持って意味を与えることができる。全4巻を通してポパーのメッセージは人間の自由と責任を信じる明るさに満ちていて勇気づけられた。 - 2026年1月13日
開かれた社会とその敵(第二巻)カール・ポパー,小河原誠読み終わったヘーゲルについては舌鋒鋭いが、マルクスについては、プラトンと同様に、当時の状況における意義(むき出しの資本主義に対する批判)を尊重しながら、歴史予言の論証的な誤りを指摘している。/とりわけマルクスにとっては政治の力は無力であって、社会主義の到来は必然とされたにもかかわらず、実際にはそのマルクスの理論自体が政治的な力を持ってしまったことは、歴史の皮肉だと感じた。/暴力による権力の奪取をほのめかすマルクス主義の戦術がファシズムに利用され、その台頭を許した、というのも、ポパーの同時代における重要な証言だと思う。 - 2026年1月5日
開かれた社会とその敵(第一巻)カール・ポパー,小河原誠読み終わったたえず自分自身を改善する方法を組み込んでいるからこその民主主義であり、それゆえに僭主政よりも支持されるべきであることが示されている。 プラトンが当時の時代状況に即して自らの全体主義的な理論を(矛盾を抱えながら)組み上げていることが丁寧に論じられている。かつての部族社会から解放された人間は、個人が合理的に決定するという責任の重さに耐えかねて、抑圧的だが魅力的に見えるユートピア思想に身を委ねたくなってしまうのだろう。 - 2026年1月2日
開かれた社会とその敵(第一巻)カール・ポパー,小河原誠読み終わった「社会学者」プラトンに潜むヒストリシズムとその全体主義的な傾向を痛烈に批判している。特に、個人主義とエゴイズムの混同、集団主義と博愛主義の混同という指摘はとても参考になった。博愛主義的な個人主義者は当然可能だし、集団主義的なエゴイストも全然いる。 思うに、「集団のためなら個人の自由や平等が多少損なわれるのは致し方ない」というような全体主義は、日本ではムラ社会的な共同体意識を背景としていまだ根強いのではないか?
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