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ゆるふ
@yuruF
  • 2026年5月6日
    すごい古典入門 アーレント『人間の条件』
    どのように職業に就くかが自分のアイデンティティと直結すると考えがちな傾向に対して一石を投じ、労働観について見直すきっかけになった。 また、終章で『人間の条件』を踏まえた著者による応用編が展開されており、とても参考になった。①現代の企業は、必ずしも利潤追求のみにとどまらず、新しいはじまりをもたらす活動として捉えることもできる。②活動的生活には、労働、仕事、活動だけでなく、遊びもある。③一口に労働といっても、家事や育児、日々の暮らしは単なる生命維持にとどまらず、その人の個性が表現される複数性の空間でもある。
  • 2026年5月4日
    物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために
    物語ではなく、おもちゃ遊びのように人生を生きようという提案の書。最も印象に残ったのは、ゲーム的な主体にとっての仕事の意味が、その内容(一階の欲求)ではなく、自分がその仕事をうまく遂行できるか(二階の欲求)に置き換わってしまう傾向に関する指摘。目先の達成感のみに囚われないように注意を促し、「社会にとってよいことをする」といった広義かつ長期的な目的を一階の欲求に据えることで、ゲームの「コンティニュー」を選び続け、ゲーム内在的な批判によるルールの変革を説く。ノリつつシラける、にも通じる態度。
  • 2026年5月2日
    勉強の哲学 来たるべきバカのために
    「アイロニーに主導権をとらせたままならば、全方位に、あらゆる問題にツッコミを入れ続けながら、決して到達できない究極の真理を夢見続ける、という人生になりかねない」。ゆえに、ユーモア=ボケを駆使して見方を多様化しつつ、個々人の享楽的こだわりによって勉強を中断する。このこだわりは固定化されたどうしようもないものではなく、変容可能であり、そこにこそ深い勉強の可能性がある。 「批判や疎外感といったネガティブな反応自体が一定のノリでパターン化されている、つまり「ノリに逆らうやり方のノリ」が形成されていることがしばしばある」という箇所は、身につまされた。「批判的にノっている」自分すらも客観視するには、自分を取り巻く環境と結びついている言語に疑いの目を向け(ツッコミ)、コードを変換する(ボケ)ことが必要になる。
  • 2026年4月28日
    働くということ 「能力主義」を超えて
    優秀な個人を選ぶのではなく、各々の持つ機能の組み合わせに注目する実践は目から鱗だった。個人が単一のものさしでレッテルを貼られる組織や社会よりも、凸凹のある多様な者同士が協働する人間のための居場所をつくりたいと私も思う。ただ気になったのは、「自分のモードを変える」や「他者の心の内を感じる」といった提言は、これもまた能力の話に戻ってしまうのでは?他者に耳を傾けることができるという能力があるなら、それも正当に評価されるべきだと思ってしまう私は、能力主義に毒されているのだろうか?
  • 2026年4月26日
    働くことの哲学
    働くことの哲学
    仕事は、人生における意味の源泉の一つとして重要であることは間違いないが、仕事に期待をしすぎると当然失望することになるし、仮に望むような仕事を見つけたとき、仕事よりも大切なことを見失う結果に陥りかねない。より良い仕事(≒アイデンティティ)を求めて彷徨うこと自体は現代社会においては必然的にそうならざるを得ないと肯定してくれた一方で、仕事以外のところでちゃんと自分の人生を満たすように注意を促されるような気持ちで読んだ。
  • 2026年4月20日
    天皇への敗北―シリーズ哲学講話―(新潮新書)
    「本書を上梓するにあたり、私はいつも以上に緊張している」とある著者の緊張感が活字を通して伝わってきて、新書とは思えない重みがある。著者の言う通り、基本的人権の飛び地として天皇個人を捉え、昭和天皇の戦争責任を問うことは、日本の戦後が抱えてきた加害の忘却と曖昧な被害者意識を解消するきっかけになるかもしれない。「天皇への敗北」は、憲法を守るために天皇に頼らざるを得ない日本国民の窮状を指しているが、もしこれを本気で乗り越えようとするなら、憲法第1条を改正論議の俎上に上げなくてはならないのではないか?と考え始めた。
  • 2026年4月18日
    倫理的野心を持て あなたの才能を浪費せず、変化を起こすための10章
    多くの才能が社会の課題解決に使われず浪費されているという指摘は本当にその通りだと思った。変化を起こすにはまずは自分が倫理的野心を持ち、意識するだけでなく行動に移す必要がある。奴隷制廃止運動を主導したクラークソンを始めとする、歴史に名を残す野心家たちも、私たちと同じ人間だったと思えば、自分にもできることは必ずあるはずだとエンパワーされた。ただし、正義感に支配されて、愛や友情、芸術や音楽といった豊かさに罪悪感を覚えたり、いわゆる幸せな人生を送れなくなるのは、本末転倒であって、その危険性は十分認識しておきたい。
  • 2026年4月10日
    国際法以後
    国際法以後
    国際法には実効性が欠如しているという冷徹な現実への問題意識から、無批判な現状追認やニヒリズムに陥らずに、理論だからこそできることを模索している。あとがきは、まるで天動説を信じてきた天文学者が最終講義を前にして本質的な問題と向き合い、知の自由を知っていくような趣があり、味わい深い。
  • 2026年3月20日
    平和と愚かさ
    第1部の「考えない愚かさ」と第2部での「悪の愚かさ」は、似て非なるものだが、わたしたちは何を記憶し、何を忘却すべきかという問いでつながっている。東浩紀のいう平和とは、敵か味方か、加害者側か被害者側かの峻別を迫られない、あるいはそのような思考から一時的に解放されている状態を指す。出来事をなるべく単純化せず、複雑なまま捉えることを目指している。最終章にある通り、わたしたちは時にリゾート客として考えないことを享受し、時に裏方として考えることに徹する。世界と関わるには、オンとオフのどちらも大事だというメッセージ。
  • 2026年2月13日
    社会科学と因果分析
    一回しか起きなかった事象の因果関係を厳密に特定することはできないが、我々は「AがなければBは起きなかったに違いない」という反実仮想や経験則によって因果を特定している。これは日常的なレベルかつ一回の事象に限った話だが、それを反省的に形式化したのが現代の統計的因果推論であり、100年前にウェーバーはそれを見通していた(しかもそんな重要な点が日本語圏では見過ごされてきた)ということに驚かされた。社会の中にいる我々は結局、反証可能な仮説を地道に積み上げていくことしかできないが、それは有意義で役に立つのだとしみじみ。
  • 2026年1月31日
    中立とは何か
    中立とは何か
    マックス・ウェーバーの「価値自由」は、価値判断を排除して事実をもって語らしめよという「没価値」ではなく、自身の観点を多元的な価値のうちの一つとして明晰に自覚するよう求める。本書を通して、この「価値自由」が各時代の状況に応じて多様な意味で受容されてきたことがわかり、その事実もまた受け取り手の解釈によって多様な価値が共存し、競争し合っていることを示しているように思う。やたらとエビデンスや中立性が強調される現代日本において、あたかも価値判断を排除して事実のみで物事を語れるという幻想を解くことは重要だと思った。
  • 2026年1月25日
    開かれた社会とその敵(第二巻)
    開かれた社会とその敵(第二巻)
    ウェーバーの「価値自由」と同様、一回しか生じなかった歴史事象に対しては、ある特定の観点から解釈を加えざるを得ないのであって、そのことに自覚的でなければならない。かといって、全てが相対的になるわけではなく、反証可能な因果分析を打ち立てることは可能である。/ポパーは最後に「歴史に意味はあるか」と問う。ここで私はフランクルの『夜と霧』を思い出した。歴史や人生に意味はなく、われわれが責任を持って意味を与えることができる。全4巻を通してポパーのメッセージは人間の自由と責任を信じる明るさに満ちていて勇気づけられた。
  • 2026年1月13日
    開かれた社会とその敵(第二巻)
    開かれた社会とその敵(第二巻)
    ヘーゲルについては舌鋒鋭いが、マルクスについては、プラトンと同様に、当時の状況における意義(むき出しの資本主義に対する批判)を尊重しながら、歴史予言の論証的な誤りを指摘している。/とりわけマルクスにとっては政治の力は無力であって、社会主義の到来は必然とされたにもかかわらず、実際にはそのマルクスの理論自体が政治的な力を持ってしまったことは、歴史の皮肉だと感じた。/暴力による権力の奪取をほのめかすマルクス主義の戦術がファシズムに利用され、その台頭を許した、というのも、ポパーの同時代における重要な証言だと思う。
  • 2026年1月5日
    開かれた社会とその敵(第一巻)
    開かれた社会とその敵(第一巻)
    たえず自分自身を改善する方法を組み込んでいるからこその民主主義であり、それゆえに僭主政よりも支持されるべきであることが示されている。 プラトンが当時の時代状況に即して自らの全体主義的な理論を(矛盾を抱えながら)組み上げていることが丁寧に論じられている。かつての部族社会から解放された人間は、個人が合理的に決定するという責任の重さに耐えかねて、抑圧的だが魅力的に見えるユートピア思想に身を委ねたくなってしまうのだろう。
  • 2026年1月2日
    開かれた社会とその敵(第一巻)
    開かれた社会とその敵(第一巻)
    「社会学者」プラトンに潜むヒストリシズムとその全体主義的な傾向を痛烈に批判している。特に、個人主義とエゴイズムの混同、集団主義と博愛主義の混同という指摘はとても参考になった。博愛主義的な個人主義者は当然可能だし、集団主義的なエゴイストも全然いる。 思うに、「集団のためなら個人の自由や平等が多少損なわれるのは致し方ない」というような全体主義は、日本ではムラ社会的な共同体意識を背景としていまだ根強いのではないか?
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