村上ラヂオ3
14件の記録
- ちゅん@sayarino342026年6月16日読み終わったP 156 犬も歩けば棒に当たる。 辞書を引いてみると、これはもともとは全く違う意味で使われていた言葉だったんですね。犬がウロウロその辺を歩きまわっていると、そのうちに誰かに「このやろう、あっち行け」と棒で叩かれることになる。だから必要のない事はなるだけしないほうがいいと言う意味だった。いろはかるたができたのは江戸時代でその当時は徹底した。身分社会だから「波風は立てず、家でおとなしくしている」というのが、一般の人々の生活の知恵だった。ところが日本が近代化されるに従って、人々の意識は「何でも進んでやってみろ」と言う方向に流れていった。だから「犬も歩けば棒に当たる」も、論理の詰めが棚上げにされたまま、ポジティブな意味合いのメッセージに変わっていったということです。ふーん P 172 お客が来れば、にこやかに「いらっしゃいませ」と挨拶し、常連客とそれなりに世間話もした。「こういうのちょっと向いてないよな」と思いつつ、生活のためと思って、まぁ一生懸命こなしていた。長くて退屈な話をする相手にもそういう人を結構いるんだよだよね。我慢強く、暖かく、相槌を打っていた。今から思えば、あの頃は僕にした異常に愛想を良くしていたようなと我ながら感心する。 でも、当時の知り合いに久しぶりに会うと「春樹さんは昔から本当に怖そうだったよね。ほとんどしゃべらなかったもの」とよく言われる。そう言われると、僕としては実に憮然としてしまう。おい、あんなに苦労して相性よく振る舞ったのになんでそんなことを言われなくちゃならないんだよと思う。それだったら最初から努力なんかしないで知のままでやってらよかったんだ。でもその時期に僕なりに愛想良くなろうと努力をした。感触は今でも僕の中にしっかり残っている。当時あまり高結果を出なかったみたいだけど、その感触の記憶が今の僕をうまく支えてくれている、と感じることがある。
幻@maboroshiclub2026年6月3日読み終わった少し前に、Xで村上春樹を初めて読む人が読む順序を、村上主義者(知識者外だとハルキストという言い方になる)が選ぶなら?というのが話題になっていたが、小説作品を別にし随筆に絞るのであれば、「ランゲルハンス島の午後」か、この「村上ラヂオ」シリーズが妥当であろう。とくに本シリーズは20代女性向けのマガジンハウスananに掲載されていたものなので、村上さんのエッセイの中では比較的言葉や話題の柔らかく分かりやすい、つまり読者を想定した書き口の本である。 短いエッセイ集は、どの作家のものを読んでもすぐ飽きて並行読みしてしまうのだが、村上さんのだけはさすが飽きることなく、あっという間に読み終えてしまい儚い。
ゆう@yu_322025年11月21日読み終わった再読エッセイ集『村上ラヂオ』シリーズ最終巻。 読み終わるのが惜しいと言いながら、ガツガツ読み進めて読了してしまった……。 まえがきを村上さんが、あとがきを挿絵を担当した大橋さんが書いているのがまた良い。 「サラダ好きのライオンくらい珍しい」という例えが自然にサラッと出てくるところとか、その例えが醸し出す雰囲気とか、いかにも村上さんだ。 前2作同様、村上さんの身の回りの出来事を、村上さんが書きたいように書いているので、いい具合にゆるい。 『anan』の読者層をあまり意識しないことを決めて書いているところが、肩の力を抜いて読めるポイント。 村上さんに最初に『anan』でエッセイの連載をお願いした人も英断だし、10年後にまたお願いした人も英断だし、書籍化を決めた人も英断。 『村上ラヂオ』に携わったすべての人にありがとうを言いたい。













