日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

9件の記録
- 紫嶋@09sjm2025年5月5日読み終わった借りてきたタイトルから民俗学の領域を想像する人もいるかもしれないが、この本の内容は著者による歴史哲学ならびに考察となっている。 タイトルに挙げられている問いをひっくり返せば、「かつて日本人はキツネにだまされていた」ことになるが、現代を生きる我々の価値観から見れば、そんなのは馬鹿げた迷信や古い伝承だろうと言われかねない。 しかし肝心なのは、かつて日本の伝統的生活空間=村において、自然や動物を含んだ世界で生きていた人々は「キツネに騙される」ことをあり得ることと信じて生きていたということである。 本著はそのように、外部から見た客観的事実とは別の、当事者たちの主観的認識や世界観というものに着目して考える視点というものを提示する。 さらには、この「客観的事実」という考え方そのものにも疑問を提示し、「客観的で知的で直線的かつ発展的な歴史観」というものがいかに狭い価値観の中で意図的に選び取られて書き直されたものであるかを指摘する。こうした現代的な歴史観の中でみえなくなってしまった歴史・領域があることに、もっと意識的になるべきと気付かされる。 本著は全体を通して考察の域を出ず、著者が度々挙げる村の世界観、宗教観なども、具体的な内容に関しては「ソースは?」と疑う余地は当然ある。しかし思考の枠組みという意味では、あらゆる「〜史」という分野において、こういう考え方・切り口も必要なのだろうと一定の納得を感じるものがあり、そういう点で非常に面白い一冊であった。
- mkaizyuu@waita2562025年4月28日読み終わった最近読んだヘーゲル哲学を引用していたし、呼応している部分があった。曰く、狐に騙されていた人々と現代人の精神世界の違い。周りの環境の違いの指摘だ。一方で筆者はヘーゲルも含む西洋哲学の、歴史を発展的に捉える姿勢と、日本における自然の「循環」的考え方が異なるとも指摘している。これは興味深い。悟りとは自己解体である、と作者は述べている。ヘーゲルでも自己の目覚めに至る途中、ローマ?時代の青年たちが全てを公に捧げるためひたすら自己を否定するみたいな展開があったような。