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紫嶋
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@09sjm
読書備忘録 文芸から新書から学術書まで、幅広く読みます
  • 2026年4月9日
    天龍院亜希子の日記
    これはまず、あらすじ紹介文が悪いというか誤解を招くというか……。 「元同級生のブログに綴られていたこととは——」と煽るような文言になっているが、作中でこのブログの存在や内容が物語に深く関わってくることはなく、主人公にどんな影響を与えているのかも明確ではなく、そもそもブログ文もちらほら意味深な演出のように合間に挟み込まれるだけ。決して何かミステリーや謎解き要素があるわけではない。 主人公の過ごす日々へ対する暗喩や皮肉だったのかもしれないが、何のために存在していたのかイマイチ印象に残らなかった。このブログがなくても、成立する小説だったような。 タイトルも、確かに「このタイトルでこの内容なんだ!?」という驚きにはつながるかもしれないが、肝心の天龍院亜希子という人物やブログが物語の装置として不完全である以上、「逆に何でだよ…」みたいな腑に落ちなさの方が勝ってしまった。 希望の話だ!という売り文句もあるようだが、はたから見ていると「なんとなく普通の枠に収まるように生きてる男が、なんとなく仕事が多忙でしんどくなりつつも、なんとなく結婚もイイ感じになりそうだから、なんとなく未来も明るいカモ!」という話でしかなく…。 これが若者のありのままだ!と言われると、そうなのかなぁ、まぁそうなのかもしれないけどなぁ…。 浮気して同僚と複数回ラブホに行くようなやつが、その事実を棚上げにして勝手に見出した希望に読者として何故共感せねばならないのか?としらけてしまった。
  • 2026年4月6日
    赤と青のガウン
    どなたが書いてるか云々以前に、まず純粋にエッセイとして面白い! 英国での暮らし、オックスフォードへの留学の仕組み、博士課程のハードさ、海外における日本美術研究のあり方、時折挟み込まれる皇室事情などなど……知らない世界の話が、苦労をなされた御本人の飾らない語り口調で綴られていて、とても楽しくまた興味深かった。 英語が決して得意ではなかった方が、現地の厳しい指導や環境にここまで食らいついて博士号を得て帰ってくるとは、とてつもない努力と根性、そして情熱があってこそだなぁと、ご身分関係なく一人の人間として尊敬の念を抱く。 また、お父君とのやりとりや思い出の記述からは、普通の家庭の父子とは違う難しい距離感も感じながらも、それを飛び越えた双方の愛情が滲み出ていて、読みながら目頭が暑くなる思いもあった。 彬子女王が記された新しいエッセイも発売されたと聞いたので、そちらもぜひ読んでみたい。
  • 2026年3月28日
    女二人のニューギニア
    ある種の無謀さと軽率さで、文化人類学者の友人に誘われるままニューギニアへ行って〝しまった〟筆者の、ドタバタ現地滞在記。 西洋文化(あえて文明とは書かないでおく)がようやく一部の地に届き始めたばかりの当時のニューギニアの、未開の山奥に暮らす部族の様子が書かれているという点では貴重かもしれない。 とはいえ筆者自身は決して積極的に記録するために足を運んだわけではなく、右も左も分からないまま行き、なし崩し的にそこで短期間生活をしていただけなので、文化誌ほどの精密さはない。 あくまでそこでの生活を体験した人の生の声、苦労話や笑い話の思い出という体裁である。 お二人は友人同士ということだが、そういう世代なのか、はたまたこれも本人たちの仲の良さなのか、双方なかなかに歯に衣着せぬ物言いであったり、過酷な環境のせいか気性の癖が強かったりの印象。 他人事として読む分には、面白いやり取りだなーで済むのかもしれないが、実際交流を持て、一緒に生活してみろと言われたら「いや、キツいっす笑」とご遠慮したくなる気持ちが正直あった。 現代に生きる人間の目から見て、半ば興味深く、半ば不愉快でもあったのは、「自分は差別には反対だ!」と意識的に述べている筆者が現地民に向ける眼差しの中に、明らかに無自覚の差別意識が見え隠れすること。それは、彼らを研究対象として現地に住み込んでいる文化人類学者のご友人もまた然り。 これが当時の意識のあり方だったのだろうなという発見や呆れを覚えるとともに、ならば現代人の意識は少しは進歩しているのだろうか…していたらいいな…と願いたくなった。
  • 2026年3月26日
    営繕かるかや怪異譚 その参
    大好きなシリーズの三作目。 このシリーズにおいて、怪異や幽霊はとても現象的な存在だなと思う。 明確にこちらを怖がらせよう、害そうという自我を持って迫ってくるというよりも、「そういうもの」としてその場所に浮かび上がってくるような。 何か理由があってそこにいるが、それを言葉にして語りかけてくることはない。 その場所や物の一部であるかのように現れて、瑕疵を置いていく。 だからなのか、それらに対して意味や意思を見出すのはいつも生きている人間側になる。 現象の不穏さや不気味さに呼応するように、自らの心の暗部が浮き彫りになったり、その現象自体への対処とともに、状況に対する自らの解釈も改める必要があったり。 なまじ住まいや土地に強く結びつく現象だからこそ、「無視をして無かったことにする」という選択ができない分厄介なところも、不思議と自然災害めいて感じるというか…。 そして、それらに対して雨漏りを修繕するように、引き戸の滑りを改善するように、そっと手を加えて現象に対処していく営繕屋のあり方が、他にない不思議な余韻を残してくれる。
  • 2026年3月26日
    紙の動物園
    紙の動物園
  • 2026年3月23日
    冬虫夏草
    冬虫夏草
    前作にあたる『家守綺譚』が大変好みだったため、続けて読むことにした。 続編にあたる今作も、日々の営みやその傍らに咲く草花、そして不意に顔を覗かせる人ならざる不可思議な存在たちの様子が、静かで繊細な描写を以て綴られている。 とはいえ、前作と今作には違いもある。 前作が主に主人公の住まう家とその近所の閉じた空間の中での出来事を中心としていたのに対し、今作はその空間を飛び出して、隣県の村々、そして山中へと次第に行動範囲を広げていく。 平地の暮らしと山間の暮らし、それぞれの地で目にする自然のあり方の違い、行動範囲と共に広がっていく現地民との交流などが、結果として前作と今作の僅かな「におい」の違いを生み出しているようにも感じられ、面白い。 今作は実在の地名が多数登場することもあり、主人公が辿ったであろう道のりを地図上で確認しながら読み進めるのも楽しかった。 飼い犬のゴローは何やらなかなかに徳の高い犬のようで、もはやただの犬ではなく神聖な何かになりかけているような気もする。 それでもラストには犬らしく嬉しそうに主人公のもとへ駆け戻ってくる様子が確認できて安心した。 今のところ、本シリーズはここまでのようだが、同じ世界観でまた梨木さんの文章を読んでみたい。続編希望。
  • 2026年3月8日
    ドミトリーともきんす
    日本の名高い物理学者や植物学者らがもし学生として一つ屋根の下で下宿生活をしていたら?という架空の設定のもと、彼らの科学的な物の見方、遺した言葉などを親しみやすく紹介してくれる漫画作品。 リズミカルなコマ割りと大胆な構図、一方でシンプルな線で描かれた絵柄は、他にない不思議な読み心地の漫画だった。 寮母の女性とその幼い娘と科学者らの対話という構成であることで、普段は難しい科学の話に身構えがちな読者であっても、日常の会話の延長線のような感覚で受け止めることができる。それは不思議と、科学というよりも哲学めいたやりとりにも感じた。 各話の最後では、それぞれ土台となった彼らの著書が紹介されている。私もいくつか、読んでみたいと思える本と出会えた。そうした橋渡し、導入として老若男女楽しめる一冊だと思う。
  • 2026年3月1日
    皇后の碧
    皇后の碧
    同じ作者の八咫烏シリーズは途中まで読んだことがあった。 あちらは和風の世界観なのに対し、こちらはより西洋ファンタジーの要素が組み込まれた作品となっている。 とはいえこちらもまた、作者が得意とする「後宮物語」であるため、後宮周りの描写や仕組みには不思議とどこか東洋の価値観やニュアンスも感じられた。 この『皇后の碧』にも、数多の魅力的な女性達が登場する。後宮という舞台で、さぞドロドロバチバチした女の争いが……と思いきや、逆に彼女らのスカッとするような気持ちのいい絆が垣間見える物語であったように思う。 自由に、強かに生きる女たちの物語だったのかな、と読み終えた今は感じている。 後宮の謎が少しずつ明かされていくプロセスも、最後まで惹きつけられた。 この作品が今後シリーズ化するのかはわからないが、四大元素の精霊達が生きる世界は丁寧に作り込みがされていて、さらに広げることもできそうな印象を受けた。 次作が出ることがあれば、是非読んでみたい。
  • 2026年2月21日
    越後三面山人(やまんど)記: マタギの自然観に習う
    「ゆる民俗学ラジオ」にて紹介されていたのを聴き、内容に非常に興味が湧いたため読んでみた。 ダム建設により閉村した山村「三面村」における人々の暮らしを、フィールドワークとして実際に現地に住み込んだ著者がまとめあげた記録。 単なる表面的、物理的な調査に留まらず、村人との交流を通して山で暮らす人々の世界観や精神性にまで深く踏み込んだ内容となっている。 三面に限らず、かつて日本の各地に存在したであろう山での暮らしのあり方、日本人と山(自然)との向き合い方をそこから透かし見ることができる気がした。 調査研究の記録というと堅苦しいイメージもあるが、この本は良い意味でどこかエッセイのようでもあり、四季に移ろう山の情景の描写や、村民の方言混じりの素直な言葉からは、文学的な味わいすら感じられる。 それらを記録に留めようとした著者の感性の豊かさのなせる技か。それとも、そうした情緒に訴えかけるものを、山は強く放っているのかもしれない。 また、この本は山の暮らしの記録であると同時に、「ダム開発により失われることが確定した村の最後の記録」でもある。 失われたのは三面村という地図上の名前だけでなく、そこで暮らしてきた人々の何百年にもわたる営みや文化、知恵、技術、精神でもあるのだと、この本を通してその重みを思い知らされた。 一度失われれば二度と取り戻すことはできないもの。時代の流れとはいえ、失われたものはあまりに大きすぎるように思う。 本書の終盤、閉村を受けて村人が語った言葉が、胸に刺さった。
  • 2026年2月20日
    フェイクドキュメンタリーQ
    フェイクドキュメンタリーQ
    YouTubeでフェイクドキュメンタリー(モキュメンタリー)ホラーの動画を投稿している『Q』の書籍版。動画の方をよく観ていたため、本の方も読んでみた。 書籍の方もフェイクドキュメンタリーのテイストを崩しておらず、なおかつ主軸はあくまで動画であるというスタンスなので、すでに動画を見知っている人も、書籍で初めて知ったという人も、どちらも楽しめるのではないかと思う。 また書籍版には「動画の投稿後、新たに判明した情報」や「視聴者から寄せられた情報」という形で追記が多数掲載されているので、動画と併せて読む価値ありかと思う。 このチャンネルに限らず、フェイクドキュメンタリーホラーというジャンルもすっかり定着した今日この頃だが、出来に関しては玉石混交ではあると思う。 フェイクであるという前提を大きく言い放ちながらもチープにならず、観る者が思わずゾッとしてしまう、人間の本能的な恐怖を刺激するような良質なホラーが、これからも生み出されることに期待したい。
  • 2026年2月11日
    家守綺譚
    家守綺譚
    時は明治時代、冴えない文筆家として細々と暮らす青年を主人公に、彼が暮らす家や庭、近隣の土地を舞台として綴られる静かな物語。お利口で可愛い犬もいる。 各話、ひそやかにクローズアップされる植物があり、その描写に四季の移ろいの鮮やかさや風情をしみじみと感じさせられる。花の色、光の温度、風の香り、水の音…それらにじっと意識を傾ける時間を現代人はほとんど忘れかけているが、この本の中には未だそうした時間がゆっくりと流れている。 また「綺譚」の名の通り、主人公の日々の傍らでは、不可思議な出来事や人外的存在がちらりちらりと見え隠れしているが、それらも不思議と当たり前の、自然なこととして見えてくる。 ひとつには、わざとらしくない絶妙な塩梅でそれらを書き表す筆者の巧さがあるだろう。そしてまた、明治時代という設定や、妖しい物事を現実の延長で捉えて疑わない作中の人々の姿勢が、読者までもを呑み込んで「この時代ならあったかもしれないな」なんて気分にさせられる。 日常と隣り合わせに描かれる幻想が温かく、美しく、大変お気に入りの一冊になった。 なお、作中に「先年、エルトゥールル号遭難事件があった」という記述があるため、この物語は1890年以降の設定であることがわかる。 また、様々に登場する地名や地形などから、主人公が暮らすのは現在の京都市山科区であることも見えてくる。 この小説もまた、一味違った「京都小説」なのである。 琵琶湖や湖から疏水の存在も重要な役割を果たす本作、実在する土地に想いを馳せながら読むのもまた一興だろう。
  • 2026年2月6日
    山に生きる人びと
  • 2026年2月5日
    お梅は呪いたい
    「塞翁が馬」「禍を転じて福となす」という言葉があるが、この小説の物語もまさにその通り。呪いの人形・お梅の悪意と害意によるアクションが、巡り巡って周囲の人間をどんどんと幸せにしてしまう、笑いあり感動ありのドタバタヒューマンコメディ……といったところだろうか。 何がどう転んでいくのか、毎話ピタゴラスイッチに似たワクワク感がある。各話ごと独立しながらも、前の話に登場した人物が別の話にも関わってくるなど、クスリとできる仕掛けもある。 人形のお梅自身は決して改心することはなく、どこまでも純度100パーセントの悪意で、呪いの人形としての本懐を遂げようと努力(?)しているのが良い。結果的に人間を幸せにしてしまい、毎回ひとり悔しそうにしているところに愛嬌も感じてしまう。これからもお梅にはどこまでも邪悪な呪い人形でいてもらいたい笑 作中には時事ネタや作者のメタ的なツッコミなどもあり、それをユーモラスと捉えるかサムいと捉えるかは少々人によって分かれるところか。良くも悪くも、今この時代にリアルタイムで楽しむ用のエンタメ小説だろう。
  • 2026年2月1日
    観応の擾乱
    観応の擾乱
    室町幕府黎明期、足利尊氏と直義の兄弟同士が争った内紛「観応の擾乱」について、そのきっかけ、経緯、経過、顛末までを細かく解説した、非常に読み応えのある新書。 短い期間で優劣が劇的に入れ替わり、勢力の分布や敵味方の構成も絶えず変動する内乱が、わかりやすくまとめられている。 日本史に疎く、武将の名前もろくに覚えられないような私でも混乱することなく、むしろ歴史の面白さに引き込まれて、手に汗握るような気持ちで読み切れたことに感謝である。 また、擾乱期の戦のみならず、並行して幕府で誰がどのような政治を行なっていたかについても書かれているため、結果として室町幕府の初期の頃の組織や政治のあり方についても理解が深まった。 表面的には兄弟の争いとされる「観応の擾乱」だが、詳細を追えば追うほど、社会情勢や取り巻きらの思惑が複雑に絡み合う状況が見えてきて、兄弟当人らは本当はどうしたかったのだろうか……と一抹のやるせなさが残る。 結果的に勝者となったのは兄の足利尊氏だが、彼が「何をしたのか」は伝わっていても、「何を考えていたのか」は明確には見えてこない。歴史とはそういうものだというのを差し引いても、尊氏という人物はどうにもわかりにくいな、と感じる。 彼に焦点を当てた学術書などを、もう少し読んでみたいという気持ちになった。 本書は「観応の擾乱」について知りたいという方には大変おすすめできる一冊だが、一方で足利兄弟、とりわけ尊氏をどのように評価するかについては、少々筆者の私情というか、尊氏に肩入れする形での感情論・精神論的記載がわずかに入り混じっている点には注意が必要と思う。 もっとも、そもそもの前提として足利尊氏を朝廷(天皇)に対する逆賊とみなしたり、室町幕府を低く評価したりするような風潮が戦前戦中に生まれていることもあり、それに対する反論の意もこもっているのだろう。
  • 2026年1月22日
    潰える 最恐の書き下ろしアンソロジー
    潰える 最恐の書き下ろしアンソロジー
    以前読んだ同シリーズのアンソロジー『堕ちる』よりも、全体的にホラーとしても小説としても質の高い一冊だと感じた(私個人の好みの問題もあるだろうが)。 平成のホラーに親しんできた身としては、かの伝説的な作品『リング』に連なる物語を、作者の裏話的なテイストの小説として読めたことは、懐かしさも相まってニヤリとしてしまう嬉しさがあった。 また小野不由美先生の短編は、実質「営繕かるかや」シリーズのひとつである。あのシリーズが好きな人は、この話だけでもぜひ読んで欲しい。 全体を読んでいると、現代のホラーにおいては「お化けが怖い」というだけでは足りない(あるいはお化け自体はもはやオマケでしかない)のだろうなと感じる。 それよりも、今まで信じていた常識や日常が、一気に崩れて反転するその概念的な現象こそが「怖い」とされているのではないか。 狂人と思っていた人物こそが真実を知るキーパーソンで、逆に信頼できると思っていた人物が実はとうに狂ってしまっていたり。 あるいは自分は正常なつもりでいても、周りからは壊れているとみなされて相手にされず孤立したり。 そういう認識のズレが、最大瞬間風速的に起こる展開に、今の人々は恐怖を抱くのかもしれない。 (創作物としては、そういうどんでん返しオチばかり続くと少し飽きてしまうのが難点ではあるが……)
  • 2026年1月5日
    書物の敵 (講談社学術文庫 924)
    一言で言うならば、非常に評価に悩む本である。 この本は、イギリスの書誌学者ウィリアム・ブレイズによる『書物の敵』を、庄司氏が日本語訳した上で適宜加除補正したものとなる。 1880年に初版が出版されたブレイズの『書物の敵』を、50年後の1930年という極めて早い段階で訳し、日本国内で読める形にしたという点は評価に値する。 それから長らく、日本語で読める『書物の敵』といえば庄司氏のこの本のみであったという点も、一定の価値と認めることはできよう。 しかし、上記の通りこの本は純粋な和訳ではなく、「適宜加除補正」がなされているという点に注意が必要である。 そしてまた、この「適宜加除補正」の仕方がとにかく酷い。 ブレイズが書いた元の文章の和訳が続いていたかと思うと、シームレスに庄司氏の主観混じりの補足や主張が挟み込まれたり、ブレイズが記した文章を端折り、代わりに日本における事例を書き加えたりと、やりたい放題だ。 そのせいで、一体どこからどこまでが真にブレイズが記した『書物の敵』の内容なのか、一見しただけでは分からなくなってしまっている。 加除補正を行なった理由として庄司氏は、50年の歳月が経過して現状からズレが生じていたり不足があったりすることを挙げているが、せめて純粋な和訳を載せた後、各章末に補足として私見なり自論なりを載せればよかったのに……と思わずにいられない。 こうした、ともすれば編者の驕りともとれる改変のせいで、結果としてこの本自体の価値も薄れてしまっている。 幸いなことに、現代では八坂書房から出版された完全かつ純粋な日本語訳の『書物の敵』が存在している。 ブレイズの『書物の敵』に興味を持った人は、ぜひそちらをお読みいただきたい。
  • 2026年1月3日
    書物の敵
    書物の敵
    元となるのは19世紀イギリスの書誌学者、ウィリアム・ブレイズが啓蒙も兼ねて記した書。その完全かつ純粋な日本語訳は、この本が初めてかつ唯一となる。 「書誌学」という学問の存在を、私はこの本を読むと同時に初めて知った。物(ガワ)としての書物の有り様や取り扱われ方を研究分析する学問…というところだろうか。古の巻物や羊皮紙に記された写本から、現代の印刷技術で大量生産された本に至るまで、全てが研究対象になり得る。 古い書物であればあるほど、現物が失われていたり不完全であったり、原本がなく不確かな写しやさまざまな記録から情報を集めるしかないことは想像に易い。 この『書物の敵』はタイトル通り、古来から絶えず書物の敵となり続けてきたさまざまな要素を、火や水、埃や虫、人の手による破壊など章ごとにまとめ上げている。 そこには、書誌学に向き合ってきたブレイズ本人の経験や想いも多分に含まれているのだろう。きっと自身の研究を進める中で、抗えない天災で失われた書物を思って悔しさを味わったり、無知や軽率さからくる人災で損なわれた書物を知って憤まんやる方ない思いを抱えたりしたのだろうな…と文章の端々から滲み出る彼の嘆きや怒りから推察される。 21世紀の今においても、火や水は常に書物の敵であり続けているし、ブレイズが本を記した当時と比べれば幾分かマシになっているとはいえ、本を雑に取り扱う人や本の価値を顧みない人によって、今なお書物は損なわれ続けている。 読書家、特に紙の本を好んでいる人がこの『書物の敵』を読んだなら、きっと書かれている内容やブレイズの想いに共感できると思う。 そしてまた、彼の時代にはなかった、現代ならではの書物の敵についても思いを馳せたくなる。読書人口の減少、デジタル化の推進、図書館や大学など文化施設の予算も減らされるこの時代において、紙の書物は果たして適切に守られ残されていくのだろうか。 本文の最後に添えられている、ブレイズの後書き文がまた良い味を出している。ここに込められた「書物愛・読書愛」は、時代を越えて通ずるように思う。
  • 2025年12月14日
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    良いところで上巻が終わっていたので、続きが気になりすぎて読み始めた下巻。最後の最後まで気の抜けない展開にハラハラワクワクしながら読破した。 以降、ネタバレ含むので注意。 前情報なしで読み始めた時に想像していた内容とは良い意味で異なっていた本作。一言で表すならばSFバディ物とでもいう話だった。 そのバディの相手が、人間でも地球産のアンドロイドでもなく、遠い星の異星人であることがとにかく面白く、彼の存在が終始癒しであった。当然言葉も何もかも通じない二人が、意思疎通できるようになっていくまでの流れはかなりの見所だと思う。 また、そんなバディの二人が「共闘」して挑む対象も、宇宙に生息する微生物や、それらがもたらす深刻な環境問題であり、銃火器で戦争をするのとは異なる方向性での深刻で気の抜けない「戦い」の様子から目が離せない。 各々の星や種族の滅亡がかかった重大なミッションでありながらも、どこかユーモラスな空気が漂い続けているのは、彼らが二人とも純粋でひたむきな知的好奇心の持ち主だったからだと思う。 知らないことに対する「知りたい」という気持ちは、相互理解においてもあらゆる進化においても、また問題解決においても極めて重要な鍵になるのかもしれないな…と感じた。 映画化も進行しているとのことで、成功したら良いなと願っている。
  • 2025年12月4日
    日本怪談集 取り憑く霊
    動植物や物、人体に関する霊や怪異の物語を集めたアンソロジー。どれもひと時代前に生み出された話なだけあり、古き良き怪談の香りがする。 幽霊そのもののあからさまな恐ろしさよりも、何かが起こるかもしれない、何かがいるかもしれない、あるいはもう裏では何かが起こっているかもという不安を煽る雰囲気ホラーは日本の十八番であり、この本でもそんな元祖ジャパニーズホラー的空気を味わうことができた。 江戸川乱歩の『人間椅子』を怪談扱いすることの是非については要審議だと思うが…今で言う「人怖(ヒトコワ)」のはしりとして捉えればありなのかもしれない笑
  • 2025年11月10日
    怪異学の可能性
    怪異学の可能性
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