

紫嶋
@09sjm
読書備忘録
文芸から新書から学術書まで、幅広く読みます
- 2026年8月23日
訳詩集 月下の一群 (岩波文庫)堀口大學借りてきた読み始めた - 2026年8月19日
額縁のなかの女たち池上英洋借りてきた読み始めた - 2026年8月18日
借りてきた読み終わった『十角館』を読んだあと、折角だから館シリーズを読破するか!と思い、二作目の『水車館の殺人』も読んでみた。 前作が「本土と島」の二視点で展開していったのに対し、今作は「過去と現在」の二視点で交互に物語が進展していく。過去(一年前)に水車館で何が起こり、それが現在にどのような影を落としているのか。時系列としては行ったり来たりの反復横跳びになるが、現代からの回想や推理の一環として過去パートが物語られることが多いので、それほど混乱することなく自然に読むことができた。 (この「自然に読むことができる」こと自体も一つの叙述トリックになっていたのだと、後になって気付かされる笑) 前作から続けて読んだからか、「島田さんがちゃんと探偵してる……!」というのが第一の感想だった。『十角館』の時は、外野で好き勝手に想像を広げて、当たっていたり当たっていなかったりする推理を繰り広げていた島田さんだったが、今回は単身実際の館に乗り込んできて、推理の先で真相に辿り着いている。 そのさなかに死体も目撃するわけだが、彼が死体を見るのはこれが初めてと言われて、なるほど確かに笑 前作でもあんなに人死にがたくさん出て血なまぐさかったにもかかわらず、そういえば島田さん自身はその現場に全く居合わせていなかったんだよなあとしみじみ。 中村青司が設計した館という共通の舞台設定も提示されて、シリーズ感が出てきたことにもワクワクした。 一連の事件の犯人が誰なのか、本当に姿をくらましていたのは誰なのかについては、普通に読んでいる中でも大体予想はつくかもしれない。細かなトリックや行動の部分まで判明した時、「あっ、だからあの部分はああいう書かれ方をしていたんだ」「なるほど、だからあの時この人はこういう言動をしたんだ」という気付きがセットでやってくる。 『十角館』の有名な「あの一言」ほどの派手なインパクトはないが、この『水車館』もあとからじわじわ効いてくるような、上手い叙述トリックが忍ばせてあったなという印象。それを把握したうえで二周目を読むのも面白いかもしれない。 引き続き、館シリーズを読んでいきたい。 - 2026年8月13日
星の嵌め殺し川野芽生借りてきた読み終わった私には短歌を技巧面で評価できるほどの知識はないので、これらの短歌が「上手いのか、否か」の判断はつかない。 なのであくまで「好みか、否か」とか「印象に残るか、否か」などで語るが、それで言うなら「綺麗だけどそれだけの短歌」という薄めの印象だった。 自由な言葉、自由な題材、自由なリズムで読める点は現代短歌の良いところ。 この短歌集に収められている短歌も、作者が好む世界観や風景、質感といったものがふんだんに散りばめられている。 それらを短歌の31文字の中で、どれだけ綺麗な単語と、雰囲気ある字面の漢字と、古語めいた響きで表現するかに注力している印象を受けた。 例えるなら、小さな額縁の中にいかに好みの綺麗な花や小物を並べるかという作業。 そうして仕上げられた文字列は確かに絵としては美しい。雰囲気短歌、アート短歌、ファッション短歌としては申し分ないだろう。 だが、そもそもなぜ短歌なのか、なぜその言葉なのか、なぜその情景なのか…そうした心に訴え迫りくる必然性のようなものはあまり私には感じられなかった。 例えばなぜ「白い」ではなく「皓い」の方の字を用いたのか。なぜ普段用いる言葉ではなく、あえて古文めいた言い回しで綴るのか。そこに「なんか雰囲気的に綺麗でかっこよくてそれっぽいから」以外の理由が伝わってこない。 作者と世界観を深く共有していたり、雰囲気に強く共感したりできる人ならば、これらの短歌も心まで響いてくるのかもしれない。 だが残念ながら、私にはほとんど響いてこず。 これが好みの違いなのか、私の感性の拙さなのかはわからないが。 装丁含め、雰囲気は申し分なく「綺麗」なので、本棚に並べて映えることは間違い無いと思う。 - 2026年8月8日
みんなこわい話が大すき尾八原ジュージ借りてきた読み終わったジャンルとしてはホラーになるが、わりとライトな印象。ホラーが苦手な人でも読めると思う。 得体の知れないおどろおどろしい不気味な現象が……というよりは、早いうちからはっきりと怪異の存在は提示された上で、その怪異によって周囲が次第に狂っていく様だったり、霊能力者のお仕事ぶりであったり、そういった展開や設定を気楽に楽しむお話だった。 一番怖いのは生きている人間の念や情なんだろう。 初めは無関係に見えていた事象や人々も、次第に繋がりが明らかになっていくのもストーリーとして面白かった。 なんとなくだが、実写映画化したら映えそうだなと思う。 - 2026年8月6日
リセット<新装版>垣谷美雨読み終わった買った電子書籍三人の女性が直面する、女の生きづらさと人生の選択の物語。40代後半での「もし人生をやり直せたなら」という願いの通りに、不思議な力で高校時代へ遡った彼女らの第二の人生や、その先にある選択を描く。 旧時代的な男尊女卑や家父長制の考え方が残る家庭や田舎で育った三人は、三者三様の人生を歩みながらもそれぞれに「女ならでは」の生きづらさや理不尽を経験する。 それは後悔だらけの最初の人生だけでなく、やり直して今度こそ上手くやろうと決めたはずの第二の人生においても、違った形でやはり降りかかってくる。 作中の女性たちは、私の母親くらいの世代かなと思う。彼女らが味わった生きづらさは、私たちの世代では少し軽減されてはいても、まだまだ残っているなと感じるものも少なくない。私たちの子や孫の世代にとって、それらがもっともっと軽減されて、いつかゼロになりますようにと祈らずにはいられない。 この作品のフェアなところは、女性が直面する困難だけを描くのではなく、女性自身の愚かさもきちんと描いているところだと思う。 男尊女卑の社会の中で、あえてそれに甘んじることで楽に流される道を選んでしまったり、女性同士で相手をどこか羨みながらも、同時にナチュラルに値踏みし見下していたり。 そういった、女自身の欠点、女同士の不毛さのようなものも、大変リアルに感じる作品だった。単に同情を誘うだけの話ではない分、「女性が自ら選択し意志を持って生きること」の鮮やかさが浮かび上がってくるのかもしれない。 - 2026年8月5日
黒祠の島小野不由美借りてきた読み終わったこの小説が最初に世に出たのは2001年とのことなので、少し古い作品にはなるが、今風に言うところの「ザ・因習村ミステリー」だと思う。 かつて邪教と見なされた信仰を維持し続けている島。排他的かつ閉鎖的なコミュニティと謎めいた風習。法も富も思いのままな絶対的権力者の家系。そんな島で起きた殺人事件の謎。 連絡の途絶えた知人を追って、探偵役の主人公が島に到着した時には、事件はすでに発生した後で、権力者や島民による隠蔽工作も働いている状態であった。 余所者である主人公にとって圧倒的不利な状況から、いかにして事件の真相や信仰の謎を解き明かしていくのか。地道に新たな情報を拾い集め、因果関係をつなぎ合わせていく、その過程を楽しむためのミステリーだと感じた。 発生した殺人事件のありようこそ血なまぐさいものの、リアルタイムな連続殺人事件というわけではないため、主人公が島に到着した物語開始以降は、新たな事件が起こることはない。 ひたすら主人公があがきながら情報を集め、ああでもないこうでもないと推理するパートが続く。静かな雰囲気の中、捜索や会話、思考の流れを丁寧にじっくり楽しみたいという人にはオススメしたい。 逆に、派手な展開や奇怪な儀式のようなものを求めている人には、少々地味で冗長に感じる可能性もある。 私も基本的には、丁寧な描写や様々な謎が浮かび上がっては消えを繰り返すさまを楽しみながら読むことができた。 だが強いてマイナス点をあげるとすれば、あいつが怪しいんじゃないか・こういう可能性もあるんじゃないかと作中でたくさん提示される一方で、それらがあまり引っ張られることもなく数ページ後には呆気なく否定されてしまったり、散々主人公が苦労した割に権力者側の意向一つで急に重要な情報が出てきたりという展開もあり、「じゃあ今までの時間はなんだったんだ」と思わなくもなかった。 最後の最後に明らかになる真相についても、腑に落ちるのか、なんやねんと感じるかで分かれそうだなとは思うけれど、何より舞台設定の面白さに惹き寄せられて読んでしまう作品であった。 - 2026年7月17日
喫茶ガクブチ 思い出買い取ります柊サナカ借りてきた読み終わったさっくり読めるハートフル系短編集。 額縁・額装という決して生活必需品ではないものが、日々だけでなく人生そのものにまで彩りや輝きを与えてくれる。そこに、喫茶店のお茶や甘味がほっこりとした雰囲気も添えている。 タイトルにある喫茶ガクブチという空間は想像するだけで心惹かれるものがあり、本業の額装業を営む兄妹の対照的なキャラクター性も魅力的だった。 しかしメインストーリーはお客さん側の事情にフォーカスが当たる分、喫茶ガクブチ自体の出番や描写は意外と少なめで、タイトルに惹かれて読み始めた人間としてはちょっとだけ残念だったかも。 気楽にほっこり読書がしたい人にはちょうどいい一冊だと思う。 - 2026年7月13日
家から5分の旅館に泊まるスズキナオ借りてきた読み終わった「旅」がテーマのエッセイ集。 とはいえ、巷に溢れる旅行記とは一線を画していると思う。 著者のスズキさんの旅のあり方は、どこか日常の延長のような空気が漂っているように感じた。 思い出の地や行き慣れた場所であったり、生活圏の少し先、あるいは気になっていたご近所であったり。 たとえ初めて訪れる場所であっても、ふらりと電車から降り立って、その場で気ままに予定を決めてしまう身軽さがある。 行き先が違っても、そこでやることといえば、酒を飲み、銭湯をハシゴし、地元で長く愛されてそうな店で食事をし、その土地の街や自然の景色を眺める…というようなルーティン。 身構えない旅の仕方が、ホッとしてどこか懐かしいような旅情を生んでいる。 そのように旅のスタイルはゆるい一方で、著者は旅の最中に実にさまざまなことに、繊細なくらいに想いを馳せてもいる。 自分や家族のこと、世界のこと、過去のこと、未来のこと。かつてそこにあってもうないもの、この先いつか失われてしまうもの。変わっていくものと、変わらないもの。 それはきっと物理的な移動以上に、心や思考が時間や場所を越えてあちらこちらへ旅をしているということなのだと思う。 あるいはそういう時間を設けるための旅にも感じた。 著書内に登場するいい感じのお店の中には、この半年以内に閉業してしまったらしい場所もあり、それがまた形容し難い切なさを感じさせる。進行形で物事がどんどんと過去になっていっていて、仕方のないこととはいえ、なんだか勝手に寂しい。 - 2026年7月10日
「いき」の構造九鬼周造,藤田正勝借りてきた読み始めた - 2026年7月9日
一次元の挿し木松下龍之介借りてきた読み終わった※ネタバレ注意※ 話題作。あらすじのインパクトと引力がとにかくすごいなと思う。これだけで「読みたい」と思わせる設定の力を感じる。 正直なところ、そのあらすじの一番の売りであるところの「何故二百年前の人骨と現代を生きる妹のDNAが一致したのか?」については、登場人物の一人の専門が遺伝子学であることや、その人物が過去に成したとある功績が語られた時点で予測できてしまった。 なのでそれ以降は、主人公を取り巻く人々の思惑や、全ての裏に隠された真相が何なのか、それを楽しむ方向にシフトしつつ最後まで読んだ。最後の最後まで、どう着地するのか好奇心が刺激される展開で面白かった。 企業と新興宗教の裏のつながり、遺伝子学という学問や科学の話題もふんだんに出てくるため、硬派なミステリ作品かなと思いきや、人物描写…とりわけメインの女子たちの書かれ方は割とライトだなぁと感じなくもない。よく言えばキャッチーで魅力的、悪く言えば男が都合よく惹かれるラノベ的なキャラクター。ちょっと非現実すぎる。 そのためか、脳内で概ね実写調でイメージできていた中で、彼女らはアニメ絵でしかイメージができず。実写ドラマのキャスティングをチラッと見た感じ、その辺はもう少し大人びた雰囲気の俳優さんたちをあてている様子で、そうなるのもわかる気はする。 文体も読みやすく、読書習慣のある人であれば、サクッと読めると思う。 - 2026年7月7日
十角館の殺人 <新装改訂版>綾辻行人読み終わった買った電子書籍この本を読んだのは、今回が二度目。 一度目は、紙の文庫本。一昨年の旅行中、長距離の電車移動の最中に、のめり込んで一気読みした。 舞台化されるにあたり内容を復習したいと思い、今年再読。今度は電子書籍を選び、暇を見つけてはゆっくりと読み進めていった。 真相を知る瞬間の衝撃は、初読の一度きりしか味わえないとびきりのご馳走だった。この作品は特に、その「一回きりの瞬間」があってこそなところがあるので(ミステリとは大抵そういうものかもしれないが)、二度目以降はどうしてもおさらい感が出てしまう。 とはいえ、全てを知った上で細部を噛み締めつつ読んだ二度目も、それはそれで面白かった。登場人物それぞれに愛着も湧いてくるし、本の形態や読むスピードが違っていたのも良かったのかもしれない。 改めて読んでみると、この作品は日本の現代ミステリの金字塔の名にふさわしい、新しい古典と呼んでも差し支えない一冊でありながらも、決してすこぶる優れた名探偵がいるわけでも、複雑極まりない繊細なトリックが存在しているわけでもない。 作中の探偵役は皆どこか見当はずれな方向へ推理を自由に羽ばたかせがちで、それが逆に読者のミスリードを誘う。 犯人の手口や計画も、明かされてしまえば割と運任せや行き当たりばったり、忙しなく駆け回りながらなんとか成立させたもので、これでよく犯行を完遂できたものだと思う。動機だって同情の余地はあるが、突っ込みどころがないわけではない。 登場人物たちの背景について、佳境に差し掛かってから唐突に「実家が病院で〜」「家族を強盗に殺されていて〜」などが飛び出してくるのも、都合よく生えてきた設定に見えなくもない。 そう考えると、割と内容としてはフワフワしているのである。 それでも稚拙という印象にはならず、作品としてここまでの面白さを叩き出しているのは、徹頭徹尾エンタメとして、読者を楽しませるカラクリとしては抜かりなく構成されているからであり、そして誰もが口を揃えていう「あの一行」が、これ以上ないという最高のタイミングで目に飛び込んでくるからだろう。 だからちゃんと面白い。「あの一行」の衝撃を味うためだけに読む価値があると感じるからこそ、他人にもオススメしたくなる一冊である。 - 2026年7月2日
花まんま朱川湊人借りてきた読み終わった昭和の時代を舞台に、「大人による幼少期の回想」という形で綴られる短編集。いずれの話も人の生と死の気配が色濃く漂い、そこに性や差別、幻想がゆるやかに織り込まれている。 回想の物語であるというのがポイントで、つまり作品はどれも子供目線で語られる。 まだ人の生き死にというものに対しても、性的なものや差別的なものについても、また現実と非現実の境界に関しても、大人ほど明確に意味づけや線引きをしていない(できていない)子供の目を通した物語だからこそ、全てが渾然一体となったありのままの形で展開する。 それを目の当たりにした子供たちも、なんとなく嬉しくなったり悲しくなったり、不安を覚えたり妙に悟った気になったり…という素直な感情を抱く。そこから生まれる柔らかさのようなものも、この本の味わいの一つに思う。 とはいえ、子供目線の物語であっても子供のための物語ではないので、登場人物の中にはひどいとしか言えない大人も沢山出てくるし、語り部だった子供の中にはその後悲惨な人生を歩んだ者もいる。幻想的な要素が組み込まれつつも、人間に関する描写は大変現実的であるところもまた、作品らしさかもしれない。 いくつか収録されている話の中でも、表題作の『花まんま』は、一番安心して読めるというか、あまり人間の醜悪な面に触れることなく、温かな気持ちになって終われるお話だった。 (この話は映画化もされたようだが、登場人物の設定などが大幅に改変されてる様子なので、原作は原作として読まれて欲しいと思う)
- 2026年6月26日
- 2026年6月21日
- 2026年6月21日
怪異学の可能性東アジア恠異学会借りてきた読み終わった『東アジア文化圏における「怪異」のあり方の把握、「怪異」という言葉の持つ歴史的有用性の発見と解読などを目的』とする学究団体による論考集。 現代の我々が怪異と聞いて思い浮かべるホラー現象やオカルティックな創作話ではなく、近代以前の日本においていわゆる「ふしぎなできごと=怪異」の類がどのように捉えられ、対処されてきたのかを、歴史学的な観点から分析・考察をしている。 これらを事象そのものに着目したり、民間伝承的な領域で探ろうとすれば民俗学の方へと寄っていくのだろうが、この本で行われていることはそれとも異なっている。 各時代における政治の場面でどのように「怪異」が取り扱われてきたのか。支配階級にある人々が何を「怪異」と捉え、それに対してどう対応をしてきたのか。 例えばある時代においては、朝廷と縁の深い寺社仏閣の境内で動物の不自然な死骸が発見されたなら、それは不吉な予兆(お告げ)であるとされ、占いや祈祷を行うという対処法まで確立されていた。「怪異」が起こった際、それに対処することが、むしろ政治の大事な仕事だった時代が確かにあった。 いくつもの論考からは、ある意味ではとてもシステマティックに「怪異」が取り扱われてきたことや、時代や政治体系の変遷と共に「怪異」のあり方も変化してきたことが浮かび上がってくる。 着眼点としてはとてもユニークだと感じた。怪異を極めて真面目に、学術的かつ史料に基づいて分析・考察することで、歴史的「事実」のみを追っていては見えてこない側面も捉えることができるかもしれない。 試みとしては面白いと感じるその一方で、「怪異」という言葉そのものに囚われすぎている印象も少し受ける。 また、科学的知識の不足していた近代以前の日本では、本来はもっと多くの出来事が「ふしぎなこと、こわいこと」として見なされていたはずだが、そこから娯楽的要素、民間ベースの事象を取り除いていくと、後に残るのは「鳥居が倒れた」だの「動物が死んだ」だの「火事になった」だのといったことばかりで、似たパターンの寄せ集めになってくる。 それらの「事象&対処の事例」を史料から拾い集め、この時代はこうだった、あの時代はこうだったとまとめるのみでは、学術的な広がりはあまり見込めないかもな…とも思う。 思考の枠組みは面白い分、中身がワンパターンになりがちに感じたのが残念だった。 - 2026年6月20日
借りてきた読み終わった中東・イスラーム圏に関する文化人類学者である筆者が、自身の研究や現地滞在の経験をもとに、イスラームの人々の生活に深く根付いた「移動」のあり方などについて綴った本。 位置付けとしてはエッセイとのことだが、しっかりとした研究が土台にあるため、深い考察やデータを交えた記述も多い。 歴史的に見ても、イスラームの人々は生活や商い、巡礼や学問のためなど様々な理由から絶えず世界の広範囲を移動してきたこと。また、それを彼らは個々人レベルで肯定的かつ積極的に行なってきたことが読み取れる。それらは侵略や布教といった目的ではなく、あくまで生活様式である。 彼らの移動は物や知識、信仰を世界中に運び、今日に至っている。 筆者は、そんなイスラーム的な移動のあり方と、一つの場所にとどまることを良しとする傾向にある日本人とを対比させるように書きつつも、日本においても古くは「動」の文化が確かに存在していたこと、また現代社会においては生活様式の変化や技術の進化、国際化などにともない、人間全体が移動志向になるだろうとも書いている。 なにぶん、この本が書かれたのは30〜40年前のことで、歴史的な内容はともかくとして、現代社会の分析としては内容が古い。 ただしそんな中でも、筆者が述べる異文化間での「共存」と「共生」の違いや、イスラームの人々の文化や生活のあり方については、今この時代においてもヒントになるように思う。 現在、日本にも様々なルーツを持つイスラーム(ムスリム)の人々が移り住んでいる。差別的に排除するのか。生活様式の全てを日本的にすることを強いるのか。それとも、うまく折り合いをつけながら「共生」していくのか。 この本を読みながら、この先の日本の選択についても思いを馳せることになった。 - 2026年6月17日
桃を煮るひとくどうれいん借りてきた読み終わった日常の食にまつわるエッセイ。飾らない文体で綴られた、食べることを純粋に楽しんでいるエピソードの数々に、読みながら自然とこちらの方の力も抜けるようだった。 何気ない言い回しや着眼点に、筆者の独自のセンスが光る。 一人だと外食できないという話は、単独行動上等な私とは正反対で、そういう人もいるんだなぁ〜と驚き半分興味半分。 けれどそういう筆者だからなのか、この方の食のエピソードには、常に「他者」の気配や温度、思い出が寄り添っている。 誰と食べたのか、どんな会話をしたのか。幼少期の家族との思い出や、人から送られてきた食べ物。 それらがあるからこそ、各エピソードがより特別なものに見えてくるのかもしれない。 個人的に、「焦げちゃった」と「ねずみおにぎり」のエピソードが好き。私もやりたくなった。 - 2026年5月23日
今夜はジビエ小川糸借りてきた読み終わった有名作を数多生み出していらっしゃる小説家さんの暮らしのエッセイ。小説の方は一作も読んだことがないまま、いきなりエッセイに触れてしまったのは、果たしてよかったのか笑 手作りを楽しみ、自然を愛で、小さな工夫をこらしながら穏やかに暮らす人の生活の様子を知るのは、純粋に興味深いし色々と参考にもなる。 そうした理由で時折こうした暮らし系のエッセイに触れるのだが、本作もまた様々な面白さや興味のひかれる話題があった。手作り石鹸の作り方や、ハーブの育て方など、読む中で気になった話題があると、その都度読書を中断してネットで調べてみたり。 しかしまあ、少し穿った見方をするのであれば、環境や動物を守るべしと唱える人が、原生林の土地をわずかであろうと買い上げ拓いて山小屋を建ててしまったり、都市的な生活への疲れを訴え不便でも自然の中での生活が良いと言いながら、それでも車ありきネットありきではあり、かついざとなれば東京という大都市に戻ることもできる環境はキープしたままであることを踏まえると、こうした「自然と共存する素敵なライフ」の裏側にある、余裕ある人間の傲慢さや矛盾をも感じてしまった。 日本人、ある程度の年齢になると田舎暮らしやロッジ暮らしに憧れるもんねっていう。 とはいえ、長野の山の暮らしはさぞ美しかろうと思う。その光景を想像すると、やはり惹かれるものがあった。 - 2026年5月21日
金木犀とメテオラ安壇美緒借りてきた読み終わった北海道の新設私立女子校の一期生として入学した少女たちの、青春と葛藤の日々の物語。 メインとなる二人の少女は、成績首位を争う学年のツートップ。しかしそれぞれに、家庭環境の悩みや、自身のプライドと現実との差などに喘ぎ、苦しんでいる。 周囲からは「なんでもできる天才」「才色兼備のマドンナ」であるように一目置かれている彼女らも、本人たちは溺れそうになる現実の中で必死に水面を目指すようにもがいている。そしてそれを他人には悟らせず、血の滲むような努力を重ね、しかし内心ではギラギラドロドロと感情を燻らせたり、時に他人を「自分より恵まれている者」だと勝手に決めつけ蔑んだり羨んだりもする。 十代の、まだ狭い世界の限られた選択肢の中で生きているからこその、じりじりと足場がなくなっていくような窮屈な焦燥感が描かれており、大人から見ても苦しそうだなと感じる。 そんな「悩める少女」たちを、決してキラキラした青春の1ページというだけで美化することなく、醜い部分も含めて描かれているのがよかった。 また、そんな彼女らを取り巻く等身大の友人たち、人の良さが伝わってくる寮母、時にそっとヒントになるような一言をくれる先生といった存在も、良いアクセントや癒しとなっていた。 この作者の作品は、まず『ラブカは静かに弓を持つ』を読み大変面白く感じたが、それを受けて期待を込めて読んだデビュー作『天龍院亜希子の日記』は残念ながらまったく面白味を感じられずにいた。 この『金木犀とメテオラ』はその二作の間に書かれた作品にあたるが、こちらは物語や人物に厚みがあって、とても良い作品だったなと思う。こちらの方が、デビュー作よりも作者本人の本来の持ち味が発揮されているのだと思う。 ただ、たとえ植生が本土と少し異なる北海道であっても、さすがに春に金木犀が咲くことはないと思う。おそらくそこには特別な意味はなく、単に作者の勘違いによるものか。 金木犀が根付くことが一つ大きな奇跡として象徴的に使われている分、咲く季節の設定を盛大に誤ったままなのはもったいなかった。
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