流されながら抵抗する社会運動:鶴見俊輔『日常的思想の可能性』を読み直す (いま読む!名著)

流されながら抵抗する社会運動:鶴見俊輔『日常的思想の可能性』を読み直す (いま読む!名著)
松井隆志
現代書館
2024年2月20日
17件の記録
JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月23日読み終わったお風呂読書@ 自宅出張から帰ってきて最後まで読み終わる。いま読めてよかった一冊。 〈だからこそ、政府が戦争を始めてしまう前に、それぞれの国の民衆が抵抗できるようになっていなければならない。「理不尽な命令がもし出されたら、そのときには反対する」という決意だけでは戦争を防げない。目の前の自由や権利が失われてしまうかもしれない可能性を見据えて、抵抗の「練習」を行い続ける必要がある。〉(206-207頁) 〈しゃべること以上のところにふみだすことが、しゃべることを保つためにも必要だ。私たちの日常の生活を通して、しゃべることの意味を別の仕方で表現できればいいのだが。〉(鶴見俊輔『日常的思想の可能性』295頁)


JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月22日まだ読んでる@ 電車今日は友田さんさん『「手に負えない」を編みなおす』のイベント対応で福岡出張。羽田までの電車で第4章を読む。 〈社会運動のこの二重性は、ある社会運動がその集団目標達成に失敗しても(実際、成功は少ない)、しばしば「失敗」とは判断・総括されない理由を説明してくれる。[...]/これらは、社会運動をその目標(集団目標)から演繹させるだけでは見えてこない。個々人の営みに即して社会運動を位置づけることで、初めて観察可能となる地平だろう。/では、「集団目標/個人目標」という形で社会運動が二重性を不可欠に持つとして、両者の結節点にあるものは何か。言い方を変えれば、日常の中で様々な欲望を抱く個人が、抽象的で集合的な社会運動という営みに関わるとすれば、その鍵となる要素は何か。〉(173頁) シンプルだけど、押さえておきたい見方だと思う(「鍵」の答えは本書にて)。 以下のくだりはジェイク・ホール『みんなこうして連帯してきた』とも通ずるものがあって面白かったな。 〈社会自体が必然的に「失敗」を生み出し、否応なくそれに対する抵抗が必要になると考える場合、その前提からすれば、社会運動の必要性から逃れられる人はいなくなる。正確に言えば、何も知ろうとしないか知った上で無視を決め込む場合や、発生する「失敗」で被害を被らない者たちならば無関係でいられるかもしれない。しかしそうでない大多数の人々は、社会運動の当事者にならざるを得ない。〉(175頁) 〈社会運動が単一の理論を信奉する「主義者」たちの営みでしかないのであれば、細部までの判断の一致は、その理論の妥当性を体現するものとして歓迎されるはずだ。しかし、社会の「失敗」に対する抵抗としての社会運動という見方からすれば、その運動の根拠は理想の一致にあるのではない。もちろん、「シングル・イシュー」としての目標の共有はある。だがそれは、どちらかと言えば消極的な、強いられた一致だ。〉(177頁) 思想とは、主体性とは何かについても、現代的に思われる。 〈思想を「信念と態度の複合」だとするならば、それは「知識人」の専有物ではなく、生きている誰しもが持つものだろう。そして、矛盾の少なさや材料の多さを競うような作品としてではなく、どこからどこに向かうという「動き」自体が、思想の評価軸となる。〉(184頁) 〈全き主体性など存在し得ない。流されながらの微々たる変化にこそ主体性を見出さなければならないのではないか。〉(191頁)




JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月21日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅第3章2節以降も読む。ベ平連、小田実、吉本隆明が「補助線」として引かれていく。以下のくだりが特に面白かった。 〈「自らに対して」ならば「〜すべきだ」ということはあるが、「他の誰か」に向けてはそうは言わない。純粋な「政治」の論理であれば、現状認識や社会構造の問題点を指摘し、そこを目指して「〜すべきだ」という議論になるだろう。一方、小田の考えるベ平連の運動では「〜したい」・「〜しよう」という言い方が基本となる。先の「量」の重視が鶴見との対立点だとすれば、「〜すべきだ」と言わない姿勢に武藤との差異が表現されている。/[...]繰り返すが、この三者が絡み合って約十年続いたのがベ平連の運動だった。〉(151頁)

JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月20日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第3章1節読む。ここからはとても大事なパート。丸山真男による批判の紹介や、鶴見の論考「日本思想の可能性」に対する批判が展開される。「日常的」を「日本的」にたやすく置き換えるなという丸山の批判の切れ味よ。
JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月19日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅「国会正門前大行動0519」の夜に、第2章3-4節を読む。「集団論」から「運動論」へ。以下のくだりは今の私たちにとっても重要なことなので引用しておく。 〈「指一本あがらなかった」という状態は、戦後いったん薄れた。だが、これからの時代はわからない。果たして「何もできなかった」という状況に陥ることを克服することはできるのだろうか。そこで重要となるのは、戦争反対の認識自体ではない。それを行動へと結びつける方法だと鶴見は考える。〉(105頁) 〈「反射」こそ、自由が奪われつつある社会の中でも「体がすくんでしまう」ことを跳ね返しながら、知識を行動につなぐことを可能にする。行動なしには、戦争を止める具体的な力にはならず、言葉は言葉だけで終わって「お守り言葉」が跋扈する時代を導くことになろう。〉(106頁) 〈非暴力直接行動をとる場合、その効果の考慮は二番目のことだ。第一のことは、この行為が自分の反射を新しくするだろうという期待だ。〉(鶴見『日常的思考の可能性』307頁)




JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月18日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅第2章2節まで読む。「かるたの話」、「言葉のお守り的使用法について」、「字引について」の順で解説されていく。やっぱり言葉の話は面白いなあ。『日常的思考の可能性』持ってないから読み終わったら買いたいな。
JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月16日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅基本的なところをおさらいできる良き第1章だった。60年安保、「声なき声の会」、ベ平連、JATEC。次章からはいよいよ『日常的思想の可能性』の読み解き。


つるりんご@Tsururingo1900年1月1日読み終わった鶴見俊輔の著作をもとに、社会運動に関わる姿勢や思考を読み解いて現代の糧にすることはできるか?という観点で編まれた論考。 独特かつ読み取りづらい表現も多い、と個人的に思ってた鶴見俊輔の文章、なるほど同時代の思想家との比較ってこーやるのか。と思うなどしている。











