村田エフェンディ滞土録
28件の記録
🌾@kanaho_32025年11月8日買った読み終わったなんてこと、これは本当に人生の書。 田舎で生まれ育ち都会に出た末に大洋の向こうへ、文化も歴史も思想も言語も食も気候も何もかも違う、そんな場所へ腰を据えたことのあるひとなら、心の奥で自分の思い出のように燻るそれとの類似点に心がどうしようもなく震えるのではないのかしら。 家森奇譚の姉妹編だということは読んでいる中で気づいたけれど、私はどうにもこのシリーズが本当に心の奥底からだいすきだな。


きなこ@kinako20252025年11月7日読み終わった考えさせられる最高p56「やはり、現場の空気は良いものだ。立ち上がってくる古代の、今は知る由もない憂いや小さな幸福、それに笑い。戦争や政争などは歴史にも残りやすいが、そういう日常の小さな根のようなものから醸し出される感情の発露の残響は、こうして静かに耳を傾けてやらないと聞き取れない。それが遺跡から、遺物から、立ち上がり、私の心の中に直接こだまし語りかけられているようなので充実。私は幸せであった。」 『家守綺譚』の番外編。綿貫の友人、村田がトルコに留学していた時期のことを描いた小説。彼は大学の史学科在籍の講師でトルコの遺跡発掘物の整理をしていた。 彼が下宿していた屋敷にはドイツ人のオットー、ギリシャ人のディミィトリス、管理人兼家政婦のディクソン夫人、給仕のムハンマドらがいた。 それぞれの登場人物の背景や土地の人々との関係、現地にいる日本人とのやりとり、全てが細やかな描写でグイグイと物語の世界に引き込まれる。 村田が日本に帰り、その後第一次世界大戦と思われる戦争が起こる。しばらくしてディクソン夫人から届いた手紙の内容に胸が締め付けられた。 ラストで、元々はムハンマドが拾ってきた鸚鵡に村田が「ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ)」と囁きかけると、工芸品のように古びた様相の鸚鵡が叫んだ言葉。 涙無くしては読めない。 心に沁みた一冊。

草大福@yadokari152025年10月5日読み終わった読後つらすぎる。家守奇譚がとても良かったので、シリーズくらいの気持ちで読み始めたが、かなりしんどい。特に今、世界情勢が不安定で、日本も政情不安定な予感がする中でこの本を読むのは精神的にくるものがあった。 素晴らしい物語ではあるし、家守とのつながりもあるのだけど、もっとゆるゆるトルコライフ⭐︎ちょびっと怪異もあるよ♪くらいの話かと思って読んだので読み終えた今、ちょっとどんよりしている。

よみみ@yomir2025年10月1日読み終わった感想心の底からよかった。読み終わってすぐだけど思い出すとまた涙が出てくるよ〜!えーん!! 家守綺譚に登場した村田がトルコに文化研究で招かれたよ!ドイツやギリシャ等何ヵ国かのみんな、それから鸚鵡と同じ家で過ごすよ!な本。 家守綺譚のあの雰囲気はそのままなんだけどもっとね…こう、現実というかなんというかそういう要素もある感じ。うまく説明できないから家守綺譚読んだうえでこの作品を読んで欲しい。頼む!! すごく尊い作品だった。青春というか、友と一緒にすごす時間の尊さを教えてくれたしいい言葉もたくさんあったよ〜。 ○よくあることだ。人が全てを注視し続けることなど、所詮不可能なのだ。何かは見落とすものだ。(オットーのなぐさめ!確かに!そうだよね!) ○ テレンティウスという古代ローマの劇作家の作品に出てくる言葉なのだ。セネカがこれを引用してこう言っている。「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と いい言葉だなー、いい言葉すぎる。そしていい人間だ、オットーもディミィトリスも。 遺跡掘りも、醤油を持ってきてくれた時もよかったなー。読んでいて楽しかったな。 元々素晴らしいあの時であったけれど、過去になっていろんな思いが積もってより一層あの時が尊く素晴らしくなっちゃうのかなー。ここでまためそめそします。 disce gaudere ディスケ・ガウデーレ ラテン語で楽しむべきことを学べだそうです。 図書館で借りてきた作品だったんだけど後ろに読書感想文コンクールの課題図書とのシールが。 これを読んだ高校生の子たちは何を思っただろうか、青春の真っ只中にいる子たちは。 まとまらないけどとても好きな作品だった。友よ!


「しゃーなしやぞ」@furu-o2025年9月21日読み終わった「友よ」 はじめて読んだ時は泣いたし 確か友人にも贈った気がする。 もう書かれて20年経ってるんだね 2023年の新潮文庫版の方には梨木さんのあとがきが収録されてるらしい
さくらゆ@skryuh_2025年4月5日お気に入り読んだ表紙の柔らかい雰囲気と掛け離れた本文の文体に、読み始めてから少し戸惑ってしまいました。 (あれ? 梨木香歩さんの御本じゃなかったっけ? 梨木さんって明治の方だっけ? あれ?) と困惑。現代を生きる作家さんが「明治や昭和初期頃の文豪のような文体」で書かれたものを初めて読みました。時代小説といわれる作品は江戸時代以前のものが多い印象ですが、確かに昔の言葉で書かれていますから、明治頃の文体を現代作家が書くのもありですよね。 文体は古風で戸惑いましたが、内容は梨木香歩さんの魅力が満載でした。 物語の始まりは "ムハンマドが通りで鸚鵡を拾った"。 そこから"村田"のトルコ留学記の様子が少しずつ見えてきます。 ラストにある "ああ、私はこういうことだけ延々と書いていたい。鸚鵡が何と言ったか、とか、オットーが何に笑ったか、ムハンマドがどうして腹を立てたか、そういう日常の、ごくごく些細なことだけを。" この文章のような異国での戸惑いながらも幸福な日々の話が続くのかと思っていたけれど、梨木さんらしい甘いだけではない、「生」についての話で、「友」についての話で、「国境」についての話で、「人権」についての話でした。 舞台は異国の地の話でしたけれど、これは現代の日本にも通ずるものだと思います。
O@46_962025年1月11日読み終わった感想@ 図書館梨木香歩といえばの『西の魔女が死んだ』は積読中で、これと『家守奇譚』だけ読んだ形になる。そんな私の中でたった2作の梨木香歩が、終盤に不意に重なって驚いた。 19世紀も終わりのトルコに生きる、彼らの顔がよく見える。温かい日常。その表情までよく見えた分、襲いかかる世界大戦の影が暗く、恐ろしい。 すっかり彼らのことを好きになった後だったけれど、戦争というものはお構いなしだった。自分にとって名前のある人も、そうでない人も、簡単に奪われる。 鸚鵡の、なんて光であることよ。























