その土地に雨音は踊る
9件の記録
JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月5日読み終わった@ 自宅第五章(終章)「他者が織りなす土地という社会」もよかった。運動論としても面白かった。 「物」(所有の対象)としての土地ではなく、「土地という社会に生きる」とはどういうことか、その「生活の実感」とはどのようなものか。先住民の運動に非先住民が、キャンプの生活に都市生活が、どのように関わって(関わり合って)いるのか。石山徳子先生のお馴染みの概念も参照しつつ「犠牲区域」(cf. 『「犠牲区域」のアメリカ』)展開される。運動を、一時的に盛りあがり立ち消えるデモンストレーションではなく、持続的な生活の場としていくことのヒントをもらえる章でもあった。 総じて、別様の社会への想像力が刺激される良い本。先住民運動の強みである、静的かつ動的な「根のあるダイナミクス(rooted dynamics)」を、私も(「踊りだせる」仲間たちと共に)生みだしたい。 〈[先住民にとっての土地と同じように]国家もまた異なる存在同士の関係から成るもの、つまり社会の一種である以上、国家を穿つ方法は、そのただなかに別様の社会を築いてしまうことだ。未来のどこかではなく、資本-国家の力が支配するいまここでの、別様の社会の創出。〉〈168頁)




JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月4日まだ読んでる@ 自宅第二〜三章読み終わる。先住民側から見た、もう一つのカナダの(セトラーコロニアルな)歴史。 インディアン法、寄宿学校、60年代スクープ、王立カナダ騎馬警察(RCMP)、ハドソン湾会社、土地権原、「条約」、「和解」等々、カナダを学ぶ上で避けては通れない基本的な用語・概念を含め、首尾よくまとまっていてかなりありがたい。直接行動の戦略的な大事さもよくわかる。 〈先住民が民族ごと、個々人ごとに能動的によりよい生を模索するからこそ、このような多様性がうまれるのである。国家の統治によって一律に均されない運動の多様性には、いまを生きる先住民の政治的意思が映しだされている。〉(85頁)




JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月4日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書@ 自宅第四章読み終わる。俄然面白いくなってきた。章のタイトルも良い。「思いだせない昔から」。具体的な先住民思想家たちや運動の話が出てきて、知らないことばかりで楽しい。 アルフレッドの「再起」の思想、クルタードの「土地に根ざした規範性」概念なんかは、中村達さんに教わったカリブ海思想、記憶の詩学と繋げて考えられそうで興味深い(cf. 『君たちの記念碑はどこにある?』)。 なによりこの章では、シンプソンの「クィア標準性」概念を知れたのがよかった。カナダ先住民社会になぜ男性中心性や異性愛的な男女二元論が根づいてしまったのか、という話も重要だよね(いま作っている本とも関係する話題)。とにかく、まったくその存在を知らなかったけど、偉大な詩人・語り部だリアンヌ・シンプトン...。 最終節でふれられる、肯定的否定としての「拒否」の力も、アクチュアルに重要と思った。時には「承認」を拒否する必要もある。〈拒否はコミュニケーションの断絶ではなく、接続の一形態といえる。[...]入植者国家の「いつもどおり」の統治を拒否する先住民運動には、グローバル資本主義の同伴者たる国家が主導するのとは別の、先住民と非先住民の異なる関係構築への糸口がある。〉(124-125頁)
JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月2日まだ読んでるお風呂読書@ 自宅今日はイベント対応で(心地よく)くたびれたので、第一章第三節まで。助走が終わり、本論へ。楽しみ〜。 〈資本-国家の問題が噴出する最前線におり、自分たちの社会生活を守らなければならない圧力下に置かれる先住民の批判的立ち位置からは、主流社会からは出てこないような独自の批判がうまれている。知識生産と社会運動の両面からこの批判を描きだし、そのポテンシャルを伝えるのが、本書の目的である。〉(27頁)


JUMPEI AMANO@Amanong22026年5月1日読み始めた就寝前読書お風呂読書@ 自宅思ったよりも身近な事例や話題から始まり、先行研究の整理も面白い。今日は第1章第2節まで。期待の新刊。 〈この批判は「唯一」とされる現実を相対化し、別の可能性をリアルにする。ただしそれは、現実を否認し、空想の理想郷を追い求めるものではない。[...]そうではなく、確かな経験的現実から出発する点で間違いなくリアリズムだが、現実を単一化せず多種多様なものと捉える多元的リアリズム(multi-realism)なのである。本書はこうした発想から、資本-国家リアリズムに回収されない先住民運動の現実を描きだしていく。〉(12頁) 〈だがポスト開発論の核は、開発の多様な実態を明らかにすることではなく、開発中心的な世界観から逃れる別様の社会生活を描きだし、その意義を伝えて拡張させることにある。それこそ、開発が資本主義体制に呑みこまれ、この体制が持続可能でないことが明らかな今日、開発をめぐる批判的研究に課された役割ではないか。〉(16-17頁) 〈重要なのは、国民国家が[...]行政的・法的側面だけでなく、わたしたちの日常的な想像力においても強い拘束力を持つことだ。〉(17頁) 〈アナーキズムは無秩序の思想どころかまったく逆に、「支配を否定しながらいかに秩序ある社会をつくれるか」を追究する。命令体系にどっぷり浸かって生きるわたしたちにとって、この問いに応えるのは簡単ではない。だがだからこそ、問う価値がある。〉(19頁)
