犬の記憶
12件の記録
DN/HP@DN_HP2025年10月11日「ひとりでぼんやりとしていてなすことのないとき、いつのまにかそばに思い出がやってくる。思い出はときにかすかに甘くほろにがいこともある。そんなとき、ほろにがさの向こうにひとりの女が見えて、その背景には褪色したいちまいの地図といちまいのカレンダーが貼ってある。(…)その女と出逢って、そして別れるまでの道すじと月日は、すでに手ざわりもなく時の向こうににじんでいる。女と過ごした街の輪郭はぼやけ、女と送った季節も過ぎ去って、思い出はなにもかもが遠い存在になってしまった。」という思いから「かつての思い出の街に行ってみることに」するのはエモいけど、まあまあキモいも入ってくる。それでもわかってしまう感もある。 この本は全編にわたるエモ語りが最高だと思っている。過去を思い語ることは常に少し哀しいけれど、それを写しとる写真を語ることもやはり哀しいのかもしれない。


DN/HP@DN_HP2025年10月10日記憶について「過去を現在に、現在を過去に重ね合わせて見ることが記憶を検証することではない。もとより記憶とは、自身の内部に懐かしく立ち現われる、かく在りきイメージの再現行為などではなく、現在を分水嶺として、はるか前後へと連なっていく大いなる時間に向けて、したたかにかかわっていく心の領域のことだと思うからである。」 ——「陽の当たる場所」

DN/HP@DN_HP2025年10月2日「人間が持っているように、街も夢や記憶を持っている。人間の記憶がさまざまな混成系であるように、街もあらゆる物質と時空が交錯する混成体である。」 昨日夕食を食べているときに流れていたラジオからも、「街の記憶」という言葉が聞こえてきた。






DN/HP@DN_HP2025年9月29日読んでる心に残る一節「人はみな思い出を持ち、過ぎた日をかかえている。程度や気質の差こそあれみなそれぞれの過去をひきずって生きている。そして、過去をふりかえるまいとすることで逆に過去にこだわってしまう人もいるだろうし、過去にこだわろうとすることで反対に過去が見えにくくなってしまう人もいるだろう。さらに過去が稀薄になった人だっているかもしれない。しかしいずれにせよ、気がついてみれば、生きてきた過去には手ざわりがなく、現在生きていることにも足がかりがなく、まして未来が分からないとすれば、不安のなかで人はあらためて個の記憶を洗いなおす作業にとりかかるのかもしれない。」 この本にあるような文章を書くことが、その「作業」ということだろう。そんな文章を読んでしまった夜には、自ずとわたしもその「作業」にとりかかることになる、ような気がしますね。今夜はエモくなりそうだ。



徒然@La_Souffrance1900年1月1日読み終わった「いつどこへ旅しても、僕につきまとういい知れぬ不安。といえば体裁よく思われてしまいそうであるが、本人はほんとうにつらい。むろん現実からぷっつり切れ、自意識を捨て切ることなど生きている以上いかなる事態においてもありえないから、それを旅に望むことは不可能である。むしろ旅とは、そうして丸抱えにしてしまっている自分のぬきさしならなさを、未知の時空に投げ入れることによって、さまざまな擦過の過程のなかから、自分のなかにさらに新しい自意識の覚醒をはかることであろう。僕の内にひそむ、過去の経験による多くの記憶と、未知への予感から生れる記憶との交感によって、かならずしも、自覚的ばかりではない自分を発見し予見する行為のひとつのかたちが、たとえば旅である。」 寺山修司みたいだなと思ったら寺山修司出てきて激アツ。最初は鋭さが足りない気がしたけど、後半に行くにつれてどんどん良くなる。






