Reads
Reads - 読書のSNS&記録アプリ
詳しく見る
徒然
徒然
@La_Souffrance
等身大の記録|いいねやフォロー失礼します。
  • 1900年1月1日
    生物と無生物のあいだ
    「いのち動的平衡館」に行ったときに疑問を抱き、もう少し深く知りたくて手に取った。
けれど、読んでみてもそのモヤモヤは完全には晴れなかった。 本書の大きな主張は、「生命の本質は動的平衡である」というものだ。
生命は、エントロピーの増大に逆らうように、自分を壊しながら作り直すことで、同じ“かたち”を保ち続けている。つまり、止まっているように見える体も、実は絶え間なく入れ替わっている——そういう仕組みを「動的平衡」と呼んでいる。 この説明はとても印象的で、「なるほどな」と思う部分もあった。
でも一方で、「なぜそのプロセスそのものが“生命”だと言えるんだろう?」という疑問は残った。
私の感覚では、動的平衡を成立させている分解や代謝のような生命活動は、遺伝子の情報をもとに起こっている。だから、生命の本質が動的平衡であるというのであれば、その動的平衡を維持している遺伝子こそが中心になるのではないか、と思ってしまう。 しかし筆者は、そうした「遺伝子がすべて」という考えに対して、「生命はそれだけでは説明できない」と言いたいのだと思った。
設計図(遺伝子)があっても、実際に“流れ”がなければ生命とは呼べない。
つまり、彼は“生命を実体ではなくプロセスとして見る”視点を示しているのだろう。 ただ私は、そこにやや飛躍を感じた。
プロセスが大事だというのはわかるけれど、「生命=プロセス」と言い切られると、肝心な説明が抜け落ちたような印象を受けた。
科学的な裏付けを期待して読んだ分、思想的な語り口が強くて戸惑ったというのが正直なところだ。 それでも、「生命とは何か」という問いを改めて考えるきっかけをもらえた本だった。
「生命=遺伝子」と捉えるのか、「生命=流れ」と捉えるのか。
その視点の違いを意識するだけでも、世界の見え方が少し変わる気がする。 カバーと表紙のデザイン好き。
  • 1900年1月1日
    モヤモヤする正義
    モヤモヤする正義
    トーン・ポリシング、マイクロアグレッション、適応的選好形成など、初めて知る言葉も多かった。
なるほどと思う部分と、うーん…と引っかかる部分がどちらもあり、その分考えながら読めた。 「表現の自由は大切だが攻撃的な表現は許容できない」「少数派に配慮すべきだが、多数派が無視されるのもおかしい」——多くの人が揺れるこうした正義の間で、どのように社会の規範を考えるか、という内容だった。
筆者はその指針として公共的理性の重要性を挙げ、そこから各論(キャンセル・カルチャー、弱者男性論など)を検討していく。 明快に割り切れないテーマを少し冷静に見つめ直せる一冊。
  • 1900年1月1日
    モヤモヤする正義
    モヤモヤする正義
    読み始めた。 「結局物事には良い面も悪い面もあるよな〜」の「結局」の部分を考えるのかなと予想。 思ったより分厚いぞ、!読み終えられるかな…
  • 1900年1月1日
    天使
    天使
    生まれながらに特殊な「感覚」を持ったジェルジュはウィーンの権力者に拾われ、諜報部員にされる。第一次大戦前夜のヨーロッパで、同じ「感覚」を持った諜報部員同士が繰り広げる壮絶なサイキック・ウォーズの結末は。 って話で、かなり厨二心くすぐられる。 ただ、感覚や舞台設定について細かな説明はない。 それこそ感覚で楽しむか、第一次世界大戦について知っていればより面白いかも。 表紙が白で、見返しが黒っていうデザインも好き。 数日経った今でもまだ余韻が残っている。
  • 1900年1月1日
    侍女の物語
    侍女の物語
    めっっちゃ面白かった……あまりにも真に迫っていて「面白い」と言って良いのか迷うほど。 心のうちの多彩な比喩と、外の閉塞感の対比が鮮烈で、一文一文を味わいたいのに結局駆け抜けてしまった。 内面を守ろうとする心と、外部の見えない力に縛られる構図が強烈に響く。 "彼らに捕まえられないほど深く自分の内部に入り込むことは可能なのだ。" という文章がもういっそ痛々しかった。 ジャニーンの出産シーンで主人公含め周りの女性たちが一心同体になるところは、映画『ミッドサマー』でみんなで一緒に笑ったり悲しんだりするところを思い出した。 以下、『侍女の物語』『1984年』のネタバレあります。 作中にはこちらに語りかけるような文もあり、過去の手記を拾い上げたような読書体験。そしてラスト、この手記をギレアデ共和国の証言記録として歴史家たちが紹介する場面で締めるのも鮮やかだった。 ディストピアものだとジョージ・オーウェルの『1984年』も名作。 両作品の共通点は、国家や体制が個人を徹底的に管理し、もはや駒のようになるところだと思う。 しかし、『1984年』が、行動の監視や言葉の制御で思考をも支配しているとしたら、 『侍女の物語』は、制度化された日常や宗教的正当化で人を絡め取っていく。
ウィンストンが最後には心まで支配されるのに対し、オブフレッドは語りや記憶を手放さず、手記として未来に残していく。その違いがとても印象的だった。
  • 1900年1月1日
    百年の孤独
    百年の孤独
    淡々と出来事が並べられてるだけなのになぜこんなにも面白いのか…… 「人間は、死すべきときに死なず、ただ、その時機が来たら死ぬんだとね」というセリフが出てきたとき、寺山修司の本に出てきたのはここか!!となり嬉しかった。進研ゼミ現象だった。 他にも、この表現…!好き…!となる文章が度々あり、好きすぎて苦しい気持ちにさえなった。もはや文章への恋。さわやかとは言い難い文章構成も相まって、余計にたまらない気持ちになった。 "つらく悲しい思い出が純化され、拡大され、永遠の命を与えられていたからだ。" "魚がドアから奥へはいり込んであちこちの部屋を泳ぎまわり、窓から外へ抜けられるくらい、空気は水をふくんでいた。" 湿気がすごいときに、魚泳げそうっていう比喩言ってみたい。 同じ名前が出てきたり、遠回しな書き方で読みづらさはあるものの、一文一文が重厚で、物語の世界を反映している。 ラストの種明かし(?)が効いて、あぁ!!そういうことか!となり満足。 『族長の秋』よりグロくない。
読み込み中...
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved