公園へ行かないか? 火曜日に
22件の記録
DN/HP@DN_HP2026年3月22日かつて読んだarchive「目の前に確かにあるものと、人の意思や関係ややりとりで成り立ってたいることと、今自分と話している人が思っていること知っていることと、わたしが理解していることが、常に少しずつずれていて、それがときどき重なったりつながったりして、いくつもの層のあいだを漂っているみたいに、」書かれている小説だと思った。世界も実際にそんなふうで、言葉や文化、記憶と記録、人と人、あるいは世界との間にあるずれが、ときどき重なったりつながったりする瞬間を愛おしいと思う。愛おしいと思いたい。 他言語、多文化のなかで過ごす日本人の書いた本が読みたい、みたいな話をしたことがあるけれど、それは自分と近いと思いこめる人がそこで出会う“ずれ”とそれをどう受け止めるか、そして重なったりつながったりする瞬間を読みたかったからなのかもしれない。 --- 同時に、いつかの開店前のライブハウスの前での会話も思い出していた。それは「ずれ」というには複雑でとても深い亀裂のようなものの話で、それを目の前にしたときに立ちすくんでしまう、というようなことを話した気がする。そこで話された土地の人たちはこの本のなか、それぞれに訪れたアイオワで出会い楽しそうに会話をしていた。そんなに簡単なものではないとも思うけれど、重なりつながる瞬間だと思えた。その会話は霧散するように終わってしまったけれど、ずっと心に残っていた。その先の話が数年前に書かれたこの本に書かれていた気がしてしまった。読み終わった後に気が付いたエピグラフもとても印象的に読めた。また本を読もう、知り考えて、“世界”にもそこにあるずれにもしっかりと目を向けよう、そんなことも読み終わった後に考えていた。








shu@shu_2026年3月13日読み終わった素晴らしかった。滝口悠生のアイオワ日記とは違う形だった。いくつかの短編形式になっていて、小説のようだと思っていたら、佐々木敦との対談で、本人は小説のつもりで書いたと言っていてガッテン。所々に読み返したくなる部分が出てきた。そんなとき以前は付箋を付けていたけど、最近はiPhoneのメモのスキャンで撮り溜めている。
shu@shu_2026年3月2日読み始めた先日、滝口悠生のアイオワ日記を読んだ流れで。いきなり共通の登場人物「ケンダルさん」が出てきてうれしくなる。 柴崎友香と滝口悠生の文体は何か通じるものがあり、その二人がアイオワで同じような体験をして同じような文章を書いていることは読み手として贅沢だなと思う。


うお座@uoza2026年1月12日読み終わった言葉や文化の違い、アイオワやニューオーリンズのこと、様々な国の作家たちのそれぞれの過ごし方や考え方、その国でおこっていること、どれも興味深く楽しかった。柴崎友香さんの文章だからこそ、だと思った。 作家さんたちの名前がたくさんでてきて、最初はざっと読んでいたのだけれど、読み進めていくうちにハオだ、ヴァージニアだ、ハオはシカゴに行ったのか、だなんて少しずつ身近に感じていくのが楽しかった。


- ufo book@yy2025年6月4日まだ読んでる数年越しで読んでる(というか暫く放置してた)けど、エッセイのようで小説のような形式が面白くなってきた。読み始めたころは普通にエッセイかと思って読んでた気がする。情景が浮かぶ感じがするのがよい。

彼らは読みつづけた@findareading2022年8月10日かつて読んだ電子書籍*読書で見つけた「読書(する人)」* 《隣の席には、若い、たぶん二十代半ばの褐色の肌の女の子が座っていた。スウェットもスニーカーもセンスよく着崩していて、ニューヨークの子だろうな、と思った。彼女は、席に着いてすぐに本を開き、ずっと読んでいた。会話部分があるから、たぶん小説だった。彼女は、ひたすらそれを読んでいて、めずらしいな、と思った。スマートフォンやラップトップを取り出さずに、本だけ読んでいるのは、日本の通勤電車でもほとんど見かけなくなったのと同じように、アメリカでも少ないことだ。》 — 柴崎友香著『公園へ行かないか? 火曜日に』(2019年1月Kindle版、新潮社)





















