砂漠の教室

29件の記録
- Yamada Keisuke@afro1082025年9月17日読み終わった先日読んだ『音盤の来歴』で、著者の別作品に関する言及があり、積んであった本著を読んだ。これまで何作か著者の本を読んできたが、その中でも骨太な一冊だった。紀行エッセイとしてオモシロいのはさることながら、イスラエル、ユダヤ人に対する価値観が克明に書かれていて興味深かった。 タイトルの「砂漠の教室」とは、ヘブライ語を学習するために訪れたイスラエルの語学学校のことであり、著者がイスラエルで過ごした期間に書かれたエッセイが中心となって構成されている。過去作同様に著者の観察眼は冴え渡り、教室にいる生徒や先生たちのユニークな雰囲気がふんだんに伝わってくる。時代は70年代であり、第二次世界大戦の余波がまだまだある中で、ユダヤ人たちの立場の脆さや、イスラエルという国をなんとか理解しようとストラグルしている。検索、さらにはAIに尋ねたりと、知らないことを学ぶ上で、現代ではたくさんのアプローチがある。しかし、当時、生きた情報を得ようと思えば、現場に直接訪ねることがもっとも確実だったのだろう。だからといって、夫婦二人でいきなりイスラエル行ってヘブライ語を学ぶなんて、相当トリッキーではある。 特に心をつかまれたのは「イスラエル・スケッチ」と呼ばれる章だ。銀行員との会話、兵士のヒッチハイク(花と銃の対比!)、ベドウィン、イスラエルの料理など、イスラエルで暮らす人たちの生活がまさにスケッチされるかのように微に入り細に入り描かれていた。特に今回は料理にフォーカスしていて、なかでも「悪夢のシュニツェル」では、イメージする中東料理が裏切られていき、イスラエルと欧州の関係性のねじれを料理をアナロジーにしてズバッと表現していて見事だった。 エッセイにとどまらない思索が載っている点も本著の特徴だろう。具体的には、最後にある「なぜヘブライ語だったのか」「おぼえがきのようなもの」という章だ。ここではイスラエル、ユダヤ人を著者がどのように捉えているか、言葉を尽くして書かれている。イスラエル、パレスチナの問題は日本から距離もあり、直接関係するわけでもないため、どうしても他人事に映ってしまうのが現状だろう。しかし、著者はユダヤ人と朝鮮人をディアスポラとしてオーバーラップさせ、イスラエル・パレスチナ問題がについて、私たちが他人事でいれるわけがないのだと喝破していた。 当時のイスラエルと2025年の今のイスラエルでは状況が異なり、ユダヤ人の不遇に思いを寄せることは今は難しい状況ではある。ただ、そんな中でも突き刺さる言葉はいくつもあった。 わたしは人間が人間に対してこれまでに行ってきた残虐行為の詳細な内容を知ることでは、もはやわたしたちの思想を力強いものにすることはできないと感じた。(中略)残虐、血、殺戮、死は茶の間でも日常茶飯事となり、わたしたちの感覚はしびれきって、持続しない、もろい「一般的な怒りの気持」としてあるだけで、結晶しない。正義の言葉のように思える言葉の一つ一つは、歴史に汚され、いやしめられ、萎えている。言語の貧困は思想の貧困を丸出しにしている、と思った。 今日もガザ侵攻のニュースが流れてきて、一体どうすればいいのか、もはやよくわからなくなってきているが、こうやって本を読んで理解を深めることは必要だと感じている。最近、イスラエル擁護の視点を日常生活の中で目撃して、そこで違和感を感じたのは、間違いなく自分で能動的に情報を取得しているからだ。自分の違和感を少しでも伝えていくしかないのかなと思う。
- ieica@ieica2025年6月4日読み終わった「なぜヘブライ語だったのか」 「おぼえ書きのようなもの」 とても難しいので簡単に理解できないし、理解したつもりにもなれない重たい問題。 容易に噛み砕くことも咀嚼することも丸呑みすることも口から出すこともできないものを口にしてしまって茫然としている。
- ieica@ieica2025年6月4日読んでる「あかつきのハデラ病院」 「ポーランドで生まれ、ブラジルに暮らし、イスラエルにやってきた」5カ国語(フランス語、スペイン語、イディッシュ語、ヘブライ語、英語は少し)を喋る病院の掃除のおばさん。 文字通り「生きるために」必要に迫られてそれらの言葉を習得したであろう彼女の人生を考える。
- ieica@ieica2025年6月3日読んでる美味しそうなレシピやハイファのスーパーでのエピソードの中に、イスラエルに住むアラブ人の貧しさや兵役問題(教育問題でもある)がさらりと差し込まれる。 今現在起きている事は今突然発生した事ではないのだ、と当たり前の事に気がつく。 でも拗れ切る前にできた事があったのでは?と考えてしまうのは所詮遠い国に住んでいる人間の傲慢さか?
- ieica@ieica2025年6月2日読んでる「オリエントの舌」 参考文献の『中東料理の本』クローディア・ローデン著が気になる。 文中で紹介されるお料理、絶対美味しい!と思う。 と、脇道につい逸れてしまう。
- ieica@ieica2025年6月1日読んでる「ヨセフの娘たち」 突然差し挟まれる藤本氏の超個人的な出来事をめぐる回想に、読んでいいものか?とどぎまぎする。 安易な共感や理解は絶対に許されないような気がする。でも、難しいからといって理解する努力を放棄するのも許されないだろう。
- ieica@ieica2025年5月31日読んでるいわゆる(?)留学奮戦記だと思っていたらとんでもない場所へ連れて行かれそう。 心して読まねば。 当時の国際情勢もだけど、まずは「ヘブライ語とは何ぞや」「ヘブライ語を学ぶという事はどういう事か」という前提が分かってないとお話しにならないか。
- ieica@ieica2025年5月30日読んでる本文中に「イスラエル生まれのイスラエル人」の割合が不意に出てきたり、ヨーロッパの強制収容所から生き延びた女性たちのエピソードがあったりする。1977年当時の世界情勢が頭にあった方が理解が深まるか。
- 小林はやき@hayaki2025年3月21日読んでる午後半休。午後の青空の下、電車に乗りながら読み進める。 「ヨセフの娘たち」の章を読む。 インド系ユダヤ人のモリスさんへのインタビューに挟み込まれ、著者の子宮内膜症の治療経歴が書かれている。著者と、同じ疾患を治療したことのある私は、『迷路のようだ』という言葉で邂逅したように思う。
- 小林はやき@hayaki2025年3月14日読んでる金曜日の朝、出社前にコーヒーを飲みながら読んでいる。 半分ほど読んだところに、何を買ったのかわからない部門02を買ったレシートを挟んだまま、しばらく読んでいなかった。最初から読み直すことにした。 著者は1977年のイスラエルの語学学校に通っている。悲惨な出来事が起こっている現状が頭の中をちらつくが、この本では個人に国や歴史が切り離せないものであるとしながら、それぞれ個人が個人として生きているエピソードが描かれているので、丁寧に読みたい。