砂漠の教室

22件の記録
- ieica@ieica2025年6月4日読んでる「あかつきのハデラ病院」 「ポーランドで生まれ、ブラジルに暮らし、イスラエルにやってきた」5カ国語(フランス語、スペイン語、イディッシュ語、ヘブライ語、英語は少し)を喋る病院の掃除のおばさん。 文字通り「生きるために」必要に迫られてそれらの言葉を習得したであろう彼女の人生を考える。
- ieica@ieica2025年6月4日読み終わった「なぜヘブライ語だったのか」 「おぼえ書きのようなもの」 とても難しいので簡単に理解できないし、理解したつもりにもなれない重たい問題。 容易に噛み砕くことも咀嚼することも丸呑みすることも口から出すこともできないものを口にしてしまって茫然としている。
- ieica@ieica2025年6月3日読んでる美味しそうなレシピやハイファのスーパーでのエピソードの中に、イスラエルに住むアラブ人の貧しさや兵役問題(教育問題でもある)がさらりと差し込まれる。 今現在起きている事は今突然発生した事ではないのだ、と当たり前の事に気がつく。 でも拗れ切る前にできた事があったのでは?と考えてしまうのは所詮遠い国に住んでいる人間の傲慢さか?
- ieica@ieica2025年6月2日読んでる「オリエントの舌」 参考文献の『中東料理の本』クローディア・ローデン著が気になる。 文中で紹介されるお料理、絶対美味しい!と思う。 と、脇道につい逸れてしまう。
- ieica@ieica2025年6月1日読んでる「ヨセフの娘たち」 突然差し挟まれる藤本氏の超個人的な出来事をめぐる回想に、読んでいいものか?とどぎまぎする。 安易な共感や理解は絶対に許されないような気がする。でも、難しいからといって理解する努力を放棄するのも許されないだろう。
- ieica@ieica2025年5月31日読んでるいわゆる(?)留学奮戦記だと思っていたらとんでもない場所へ連れて行かれそう。 心して読まねば。 当時の国際情勢もだけど、まずは「ヘブライ語とは何ぞや」「ヘブライ語を学ぶという事はどういう事か」という前提が分かってないとお話しにならないか。
- ieica@ieica2025年5月30日読んでる本文中に「イスラエル生まれのイスラエル人」の割合が不意に出てきたり、ヨーロッパの強制収容所から生き延びた女性たちのエピソードがあったりする。1977年当時の世界情勢が頭にあった方が理解が深まるか。
- 小林はやき@hayaki2025年3月21日読んでる午後半休。午後の青空の下、電車に乗りながら読み進める。 「ヨセフの娘たち」の章を読む。 インド系ユダヤ人のモリスさんへのインタビューに挟み込まれ、著者の子宮内膜症の治療経歴が書かれている。著者と、同じ疾患を治療したことのある私は、『迷路のようだ』という言葉で邂逅したように思う。
- 小林はやき@hayaki2025年3月14日読んでる金曜日の朝、出社前にコーヒーを飲みながら読んでいる。 半分ほど読んだところに、何を買ったのかわからない部門02を買ったレシートを挟んだまま、しばらく読んでいなかった。最初から読み直すことにした。 著者は1977年のイスラエルの語学学校に通っている。悲惨な出来事が起こっている現状が頭の中をちらつくが、この本では個人に国や歴史が切り離せないものであるとしながら、それぞれ個人が個人として生きているエピソードが描かれているので、丁寧に読みたい。