さよなら、男社会

12件の記録
- さみ@futatabi2025年3月25日読んでる3章 ・「父が力を誇示すればするほど明らかになったのは、幼い頃の彼自身の未解決の問題が落とす影の濃さだった。彼が行っていたのは『自分の無力さを武器に自他の関係を操作する』ことに他ならなかった」 うわあ〜と思ったけど、家族という枠組みに限らず、あらゆる関係性で実践されうることじゃないかとも思って、わたしもやってはいないかと。 ・戦後のフィクションで描かれた典型的な父親像にみられるふるまいは戦争体験のPTSDを内包しているのではないか、息子たちはこれをたんなる男性性として受け取ってしまったのではないか、という推測、とてもなるほどと思っています。 ・「象徴的なのは、軍においては靴のサイズを潤沢に取り揃えるほどの余裕はなく、そこで『靴に足を合わせろ』と言われたことだ。(…)精神力が現実の歪みを補正すると半ば本気で思っている人たちがいたし、そうした傾向はいまなお存在している」 はたしてわたしは現実の歪みをはっきりと「歪み」だと捉えられているだろうか。自分の精神力の器のかたちを捉えられていないから、器をととのえることをまず先に行っていたような。
- さみ@futatabi2025年3月16日読んでる1章 「つまり何をもって「論理的」としているかと言えば、現行の男社会の作法が「それを論理的とする」と位置づけているからだ」 別に読んでいるポストコロニアリズムと能力主義の本にも通ずる。「男社会」だけでなく西洋中心主義的価値観にも当てはまるし、私が内面化しているさまざまな「正しいもの」を疑うための目線にも繋がる。
- 読書会@coffee caraway@caraway2025年3月6日かつて読んだ男性たちが「社会」と呼んでるものが実際は(男)社会であると、男性である著者が糾弾するところに大きな希望を感じた。 同時に脱・男社会が男性をも解放すると説く、フェアな視点が魅力の一冊。