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さみ
@futatabi
自由
  • 2025年5月15日
    利他・ケア・傷の倫理学
    近内悠太さん2冊目、面白いので脳が何らかの物質を分泌し始め、落ち着きがなくなり序盤までで喫茶店を出てしまった……
  • 2025年5月11日
    私の小さな日本文学
    私の小さな日本文学
    高校生のとき、教科書でいくつか近代の日本文学にふれてから本を読むようになって、これからまだ見ぬたくさんの本を読めることに胸を膨らませたり、どこでどんな本を読もうか、今日はどの本を鞄に忍ばせてみようか計画したり、人と話したくなくてとりあえず本を読んでやり過ごしたり、そういう振り返ればきらめいているような時期に結びついているのが近代の日本文学だったーーということを読みはじめてやっと思い出した。小説を読まなくなって、まして近代の作品に手を伸ばすことはめっきりなくなって、そうするとそれに親しんでいたときの記憶ごとさっぱりなくなるものなのだなあ。 短編はほんとうにみじかいけど、あとがきにもあるように、みじかいなかに宇宙が詰まってる。読み終わってぼんやりしているとき、時間の流れが気にならなくてふしぎだった(それこそ宇宙遊泳のような)。ひとつひとつの短編にささやかな一文が添えられていて、どんな意味を込めたのだろう、読みとったのだろうと考えるのもたのしい。書きながら思ったけど、でもかつて近代文学を読んでいたときは、すてきなものを見つけるぞという意欲よりも、有名な、多くの人に親しまれた作品を一つでも多く読んでおきたいとか、お気に入りのものをもっと深めたい・広げたいとか、そういう方向性だったような。知っている作家の知らない短編、知らない作家だけど本のなかでだいじに拾われた短編、こういうものをゆっくり味わうのはやっぱり大人になってからでないとわたしにはできなかったことかも。
  • 2025年5月10日
    こじらせ男子とお茶をする
    人の話っておもしろいな……?となってる。人の話っておもしろい。 佐々木典士さんの回で、すごい人たちに会うとだんだん自分の言葉を失って「この前あの人がこう言ってて〜」ばかりになるというのが書かれていて、ぎくっとした。尊敬する人とやりとりすることがあると、他の人にすぐその人との話ってばかりしてしまう……気持ちとしては「こんな人がいる世の中、希望」という自分のよろこびを伝えたいのと相手にも希望を渡したいことが大きいんだけど、たしかに「それであなたのことばはどこに……?」とも思えるなと。自分では自分のまわりの話をしているだけだと思っているから、どこでことばがなくなってるか気づかないまま進んでしまいそうだから、この話はわたしに刺しておきたい。
  • 2025年5月10日
    あなたのフェミはどこから?
    あなたのフェミはどこから?
    藤高和輝さん 「フェミニストになることによって、私のせいはがらりと変わった。私は世界を素朴に受け入れるのではなく、むしろ、世界を批判的に疑い、問うようになっていった。また、私自身が世界のなかでどんな社会的位置にいるのか、様々な視点から自己批判的に考えるようになった。そして、なにより、私は私自身の生をどのように生きるのか、私が生きたい生とはどのようなものかを必死に考えるようになった」 私もまさにこのように、フェミニズムを知ったときから今に至るまでがつながっていて、それによって自由を感じるときもあれば苦い気持ちになることもあるけど、タイミングがいつであってもやっぱり「知ることのできた」人生でよかったよなとあらためて思った。好ましい(自分にぴったりだと感じる?)作家、アーティストなどなど、いろんなことについて「知れてよかった」と日々思うけど、フェミニズムもそうだった。そう思える人が増えるときっと良いんだけどなと思いつつ、ありがたい切り口の本だな〜
  • 2025年5月8日
    私が諸島である カリブ海思想入門
    4章まで 「「発見」において優位なのは、常に「発見者」なのだ」 わたしもそのようにして自分の意識の中で、優劣がつくかたちで他者(ひとでなくても)を対象化してしまっていると思う。それに気づきたい。
  • 2025年5月8日
    鬱の本
    鬱の本
    いつか買うだろうと思っていたけどやっと今日買った。精神がとりだされ、ていねいにあつかわれている。気分によって、読んだときの感じかたも違うのだろうな。それも一緒に楽しめそうで(楽しんでいる余裕なんかないときに手を伸ばすこともあるだろうけど、振り返ったときに)これからまた何回も本をひらくのがたのしみ。
  • 2025年5月4日
    密航のち洗濯
    密航のち洗濯
    映像作品を観ているようだった。読み終えてようやく、そもそも少なくない当時の人間が「密航」せねば自分を守れなかったというような状況の異常さと、その異常に深く関わる国でここまで過ごしていながら、ほんの数十年前に起きていたことにここまで目を向けずに、主張される被害や権利について無頓着でいられたことののんきさに、改めて驚かされる。構造の中にあると、人は人をこうもこんなに近くにいても無視できるのか。 「こうして登志子は、「朝鮮人」となり、「外国人」となった。だが、それはあくまで国家や行政がそう処理したというだけの話である。日々の生活において、その境界線は簡単に越えられるものではなく、また同時に曖昧な形で行き来するものでもあっただろう」 国籍に限らず、自分の人生を、自分のしたい時にでなく外部からの要請で気まぐれに証明させられることの暴力性。
  • 2025年5月4日
    世界は贈与でできているーー資本主義の「すきま」を埋める倫理学
    副題回収した〜! 資本主義いやだ!しかなかった思考にひとつ灯りを見つけたかんじ。あたらしくて面白かったので、こういう本を人は必要としてお金を出して買っていくんだ……などとも思った。想像力と、想像力を発揮するための基礎体力=教養。生かすための、ほんとうの教養。
  • 2025年5月4日
    言葉なんていらない?
    終章キレキレ。ここに書かれたことを当たり前のことだと思えるまで、どうか力を貸してください……と頼りたくなるキレ。「遅さ」、忘れぬように。
  • 2025年5月3日
    おいしくってありがとう 味な副音声の本
    平野紗季子さんの本を読むということは滋味深い完全栄養食を食べるということなので、もう読書とはまた別の楽しみかたで堪能してきたものなので、でもあえてここに書きとめたくなったのは、最も愛しているチーズケーキwithつめたいレモネードを食べながら読んでしまったから。この代えがたい経験を棺桶に入れることはできないので、その日にはこの本をおさめてほしい。
  • 2025年5月2日
    私が諸島である カリブ海思想入門
    3章まで 3章さいごの詩「西インド諸島を定義する者へ」が、とても、良い
  • 2025年5月2日
    密航のち洗濯
    密航のち洗濯
    1章の手前まで、いったん書きのこしておきたい 知らない話だ、と思った。そもそも他人のことで知っている話なんてないはずだけど、それ以上に、こういう状況にあった人々の存在自体を今のわたしは知らなかった。いや、想像はできたのにしてこなかったと言う方がしっくりくるかも。自分自身の、今足をつけている地面の、捉え方の問題。 「日本はかつて植民地化で一方的に「大日本帝国民」とみなした人々を、またもや一方的に「外国人」とみなした。そして、たとえ生き延びる術を求めて日本に戻ってきた人々であっても、日本にいてはならない「イリーガルな存在」として、追い出し得るし追い出すべき「密航者」として、印をつけて、炙り出そうとした」 学校で教わった歴史をちゃんと一つずつたしかめていけばこの通りの理解にたどり着くはず。でも、そういう教わり方をしなかったのはたしかで、そしてそのままで何ら不自由を感じずにここまで過ごしてきてしまった。序盤のこの節だけで、自分の中のもやもやとしたイメージ(理解のなさに対する罪悪感とかそれでもちゃんと調べてこなかったこととか)などがいっきにクリアになった。……と思っていたところで、こんな一節も。 「当時の地元紙が伝えた下関の様子と、尹紫遠が描いたシーンはとてもよく似ている。だが、当時の新聞をつぶさに読んでも、「密航者」たち自身の言葉はそこに存在しない。私が今、1946年について得られる情報は決してニュートラルではない。(…)だからこそ、尹紫遠が書いた意味は大きい。「密航者」として対象化された人々自身はそのとき何を感じていたのか。何を思っていたのか」 何かを知るって簡単なことではないなと改めて。今はこの本と綴られたことばを借りて、知らなかったひとつの事実をたしかめていきたい。
  • 2025年4月30日
    なぜ人は自分を責めてしまうのか (ちくま新書)
    この本では母と娘が主に取り上げられているけれど、それだけでなく、教師と生徒とか、「人権は対等にあるけど」けして関係性としては対等でない人たちの構造を捉えながら見守れるようになろう
  • 2025年4月30日
    グレーとライフ
    この文章たちが書かれて、本として世に出ることになって、本屋に並んで、ありがたい形で見つけられて、家に置いておくことができてよかったなあと思いながら読んでいます。はじめて読む著者のエッセイでこんな気持ちになれると、いつだってうれしい。
  • 2025年4月29日
    世界は贈与でできているーー資本主義の「すきま」を埋める倫理学
    7章まで 副題に「資本主義の「すきま」を埋める倫理学」とついているのに今気づいたのだけど、資本主義にいかりながらも都合よく(それこそ気づくこともなく)恩恵を享受している自分にはそこから考えていくのがちょうどよいはじまりなのではないか。 贈与を「届かない手紙」と見立てるデリダのテキストに言及されている部分で、「贈与は差出人から見れば、たしかに「届かない手紙」かもしれません。ですが、受取人の視点に立つならば、贈与は「届いていた手紙」になるのではないでしょうか?(…)僕らはいつも他者からの善意を見落としてしまう。(…)僕らにできることは、「届いていた手紙を読み返すこと」ではないでしょうか。あるいは、届いていた手紙を読むことができる人間へと変化することと言ってもいい」と書かれていて、元気?をもらっている。本を読みながら何かに気付かされるとき、そのように変化すればいいんだよというメッセージを見つけると、こうして過去を反省するのも重要だけど、これから修正していくことをいっそう大事にしようと思えるようになります。
  • 2025年4月28日
    隣の国の人々と出会う
    ここまで積み重ねてきた方からの、「答えを急がないことが、あいだにいることを楽しむいちばんのコツかもしれない」ということば 刻む
  • 2025年4月27日
    隣の国の人々と出会う
    友人に貸してもらった。2章まで 直訳すると違和感の残る言い回し、それを違和感のない日本語に置き換えて出版翻訳とするということ。そこで目の当たりにしたことばを、「それを翻訳に直接反映はしないが、そこを通過したことをショートカットしたくない」と、日本語としてのわかりやすさが形として残る過程を振り返って述べているところ、これから斎藤真理子さんの訳書を読むときに何か気づけたらいいなと思った。訳者以外のおしごととして斎藤真理子さんのお名前をよく目にするようになって、どのような考えをされる方なのか知りたかったので、別の本も読んでみたい。
  • 2025年4月25日
    世界は贈与でできているーー資本主義の「すきま」を埋める倫理学
    2章まで 自分にとって良いことばかりな行為を受けたときには「とても支払えない見返りを求められるんじゃないか」とか、何も返していないにも関わらず与え続けてくれる人に対して「その人を消費しているのではないか」とか、そういう不安への解決は「そんなことを考えるのは失礼だ」というのがわたしのなかでシンプルでメジャーになっていたけど、もっと大きな世界や社会から受けたものをその一員であるわたしに返している、という可能性(本人が明確にそう思っているから別として)はなんか海みたいなひろさで心地いいな〜 考えてみればそれはすてきなものでありながら、まあ、そんなもんだよなという気もする。そんな感じでやっていきたい。
  • 2025年4月20日
    能力主義をケアでほぐす
    この本を買うかどうか決めるとき、いくつもの本の感想が編集された本、というものの読み方をよくわかっていないけれど楽しめるかなというのがあった。ひと月かけて読み終わって思うのは、そのスタイルは、今変わりつつある自分の本の読みかたに影響を与えてきたものだなと。感想は長すぎず断片的なものもあれば別の作品と有機的に繋がったり、あとから眺めたらひとつのテーマが浮かび上がったり、それが自然に実践させられて?いて、さらに彗星のごとくあらわれてくれたReadsの特性によって、読んだら(なんか書きたくなったら)ちぎる、をあまりに気楽に行えるようになって停滞していた思考をすぐべりべり切り離せる、切り離しっぱなしのこともあるし、記録を見返すことで新しい思考と繋がりやすくもなって、あと楽しく本を買わせてくれるいくつもの書店、本を読ませてくれるいくつもの喫茶店のおかげで今とてもいいかんじです。
  • 2025年4月20日
    ニューヨーク精神科医の人間図書館
    ニューヨーク精神科医の人間図書館
    あっという間に読み終わった……ひと息に読んでしまいたいとさえ思わされた。どのエピソードもだいじにしたいけれど、「大丈夫じゃなくても大丈夫」はとくに自分に引き寄せて考え続けたい。大丈夫になる、という言い回しはここ数年でたくさん聞くようになって、わたしはたいてい大丈夫じゃない人だからそのフレーズがすきで、まあまあ生きのびた結果、自分の思考を操縦できることも少しずつ増えてきた(がんばってるはず)。だから次には、人に「大丈夫じゃなくても大丈夫」と言えること、それはつまりあなたが大丈夫じゃなくてもわたしがどうにかするので、そういうわけなので大丈夫ですよと、そう構えられる人でありたいなと。自分のことも忘れずに。両輪で。
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