さみ
@futatabi
自由帳
- 2026年4月8日
アイデンティティが人を殺すアミン・マアルーフ,小野正嗣読んでる@ platform3 〈loneliness books × (TT) press〉人目を憚らず加熱しているように見える排外主義的な言動に対して、もはやのっかった方が楽だと思わされたり、しらぬ間に飲み込まれたりしないように、忘れないでおきたい本になりそう。一方で、自分の、人の好き嫌いというのは、常に差別的でなくあれるのだろうか? いつ、何がそれを踏み越えてしまうのかいつもわからない、と思いながら自己嫌悪に陥る前にその根源をひもとく用意をいつもしておけるように、この本は引っ越すときにも手放さないようにする。 - 2026年3月28日
調香師日記ジャン・クロード・エレナ,大林薫読んでる@ フラヌール書店 - 2026年3月19日
読んでる2章まで 「この地域でだけ貝紫が今も生きつづけているのは、制度でなく、計算でなく、存在するものたちに対するデリカシー、世界に対する感受性の強さ、鮮烈さのためだったと思います。 たかが貝紫ですが。こういうふうにしていろいろなものが、この世界からきえていくのです。」 20年前に出た本なんだ。20年前に出たこのおもしろい本が、そのさらに何十年も前に出た柳田國男の本をおもしろいと言っていて、本を読むことのたのしさ、無限じゃん……とこころ踊った。 踊ってたんだけど、ふとあらわれたこの文章に、指を紙で切ったときのような、よくある、でも受け止めきれない鋭さによって切られた感じがあった。こういうふうにしていろいろなものが、この世界からきえていくのです。消そうとしたからでもなくて、蔑ろにする態度が集積して。「消す」側にもなって、「消される」側にもなるのが、すごく現実的な毎日なの、いやだなあ - 2026年3月10日
令和元年の人生ゲーム麻布競馬場読み始めた急に外食したくなってそれなら片手で読める小説が欲しくなって購入。語り手たちが吐き出す視線の先の人たちの陳腐さ・面白くなさを読者として眺めながらまた、自分の見てきた学生時代の同様のものたちを思い出しながらまた、バレないように隠しているどうしようもない自分の浅さや愚かさをエンタメとして楽しめるくらいには時が経った……みたいに感じながら読んでいる。私は仕事を通して「成長」というなんらかの知見を得るよりも、のんびり本読んで落とし込みたいことがあったら可能な限りで日常生活に落とし込むタイプの「成長」が好きなだけだよなーと、クリシェ化した「成長」を冷静に見られるようになったっぽい。それもまた「成長」なので、別の誰かに冷笑されることかもしれない。自分の使うことばに誠実さを付与するのを焦らないようにさえすれば、それが外から見たら同じことでもどうでもいいのだ。 - 2026年3月7日
生類の思想藤原辰史読み始めた環境問題、環境……悪いのはわかるけど環境って何だ……とずっと他人事のような距離を感じていた、ことを気付かされた冒頭の一文から、そんなものだから「環境問題」にまつわるあらゆる知識がないにも関わらず、のめり込むようにして読んだ、というには、1項分読むのに1時間半かかったので進んではいないけど。なんというか単純に最近選んで買っていた感じではない本のため、「なんかすごい本読んでる」という霧の中にいる。そして単純に語彙が追いつかないので語れるまでには時間がかかりそうだけど、とりあえず一項目を読み終わったときに、だからどうして現代においてもある人々というのは、自分だったかもしれない存在を顧みることなく痛めつける(消す)ことができるのだろうと。なぜそれをしていいと考えているのだろう。為政者になろうとしているわけでない人までそうであるというのは、臆面もなくわざわざ言ってのけるというのは何のつもりなのだろう。そう思うように「なった」自分がその人たちと対峙して無力感を感じたり憤りを感じたりして、それで、それだけで、対話に向かえない。 あとサイエンス系の本も全然読まないので改めて突き付けられるとびっくりしたのですが、科学者、めちゃめちゃ人間以外の動物を用いた実験をしているものなのか。文で読むとぎょっとする……の間にとっくに議論が積み重なっていると思うけど。倫理の議論も気になってきた。 書いてて思ったけど、書きたいというよりは話したいという本かも(知らなさすぎるからか)。 - 2026年3月3日
資本主義を半分捨てる青木真兵読み終わった自分に「ちょうどよさ」の概念が入ってきたの、高校生くらいのときに読んだ柚木麻子さんの小説からだった気がする。「適量がわからない」みたいな文脈で。それから他人に決められたものではない、自分にとっての「ちょうどよさ」について常に頭にあるようになったような。 実際あるタイミングで「外出するにあたっての装いのちょうどよさ」を見つけたタイミングがあって、それから化粧や洋服選びへのさまざまな思い悩みがなくなった。ちょうどよさを探り当てると他者ニーズに応えようと動くのではなくなるというのはかなりそうだなあと実感をもって納得。 本を一冊読むだけで万事解決になるわけはないけど、読んだ本一冊それぞれの存在が重要で、こういうさまざまな実践や思考を記録した本を読み重ねていくしかないしそれがいちばん自分に合っているとも最近になって思えるようになったし、人生とはちょうどよさを見つける旅(なんかうまく言葉にまとまりすぎてるけど)に費やす時間の連なり、くらいに捉えようかな〜というさわやかな読後感。何よりこの本を読みながら、これまで読んだいろんな本、書かれていたことを思い出した。それが一番たのしかったかも。 - 2026年3月3日
ぼくたち、親になる稲田豊史読み終わった最終的には個々の考えについてどう思うかよりも「人は現状に対しどのように納得するのか」の具体例を濃密に見せてもらえたことに楽しさを感じていた気がする(というかステレオタイプでないからこそ個を個として粒のまま読む気力体力が足りなかったのかもしれない)。自分で過去はちゃめちゃ起きたときに「まあでも振り返ったらあの出来事がなければ云々」など整理していたことを思い出し、やっぱり人は物事をそれ単体で捉えるより人生の中で色々な糸を束ねて編む動物なのね……とあんまり関係ないことを思った。途中で幾度か出てきた「別に取り立てて言うことはない」的な層が大半なのでは、というのが響き続けている。SNSの苛烈さを現実の状況と認識してはならないのと同じ理屈で。 - 2026年3月3日
「ありのまま」の身体藤嶋陽子読んでる2章まで 書いている内容について言っているのではなくそこから考えの及んだこの世の構造への不満なのですが、「プラスサイズ「こそ」美しい」(モテ)という表現に至る理由として、「あなた「も」美しい」では今日の社会的状況では説得力に欠けてしまうため、好まれる「女性らしさ」を持ち込むことで異性愛的な文脈での優劣の転換が図られていると考えられる……の部分にやだ〜やだよ〜となっていた。他者からのルックスの評価がなめらかに異性愛に接続される→その評価いかんで自己受容がうまくいったりいかなくなったりする……の構造が強化されるのめっちゃ嫌なんですが、そもそも自己の受容と異性愛・性愛が効率的な順序的に?切り離せないほど強固というかもうそういうもんという感じになっている社会で生き続けるのは息切れしてしまう。市井の人々一人ひとりの意識ではもうどうしようもないところまで(異)性愛主義が蔓延ってるからその順序にせざるを得ないとして、工程的にそれが何ステップ目で、最終ゴールまでどういう変化を予想している……みたいなのメディアにあるのだろうか。入り口は異性愛的文脈だったとして、その先のこと。でもむしろ規範を利用してやっているともいえるのか? - 2026年3月2日
「ありのまま」の身体藤嶋陽子読み始めた今の日本では痩身で小顔で若いことが美しさの指標の一つになっている、という話が出ると「いや平安時代は〜」「現代でも海外では〜」と切り返す、みたいな構図があるが、何が美の基準になっているかということではなくて、その画一的な美の基準は誰が何のために設けているものなのか、差を産み出すものはなんなのか、ということを見つめなくてはいけなくて、でもややもするとすぐ美にまつわる資本主義に絡めとられそうになり、最終的には存在を承認することにその美しさは関係なくただ在るだけでいいのだという結論をもちたいと私は思っているしきっとそうだという人は多いだろう……と自分の現在地と理想のあいだを整理しながら読んでいる。ルッキズムは長い時間をかけて内面化されすぎて、もうすぐに解放されるとは思っていないので、問題点は挙げられれば挙げられるほど輪郭がくっきりしてくるので(そんなのんきな読者でいいのだろうかという気もしてきた)助かります!という気持ちで進んでいます。 - 2026年2月21日
友達じゃないかもしれないひらりさ,上坂あゆ美読んでる「生と死」パートの上坂さんの、人生で自分の選んでいないものはそれが自分なのではなくて自分の乗り物に過ぎない、という考えになるほど〜〜!と思っている。肉体は魂の容器でしかない、とは考えるようになっていたけど肉体だけではなく、名前も、ちょっと概念だけ借用させていただくことで考えようによってほかにもいろいろ適用できそうだから、それで乗り切れそうなものを乗り切ろうかな。 - 2026年2月20日
世界の力関係がわかる本千々和泰明読んでる第三章の第一次世界大戦の起こりまで。皇太子暗殺でなぜ世界大戦に……とわからないまま世界史の授業が過ぎていったので、背景が理解できてなるほど〜と思うとともに、軍事侵略という発想を捨てられないかぎりまたいつでも起こり得るのだろうなあということがかんたんにわかってしまう。そこにどんな善意がしきつめられていたとしても暴力がすべてを台無しにする。 - 2026年2月15日
資本主義を半分捨てる青木真兵読んでるたぶんもう何年もこういう本を読みたいなあと思ってきて、今このタイミングがいちばん効いて浸透するなあというときに読めている。自分にとってのちょうどよさを見つける難しさも、そこに常に対向があることも、バランスを考えることがつきまとうこともずっと真摯に添えられていて、現実感を失わずに夢中になれている感じ。ちゃんと栄養になっている。ちくまプリマー新書はほんとうにありがたい…… - 2026年2月15日
私の幸福論福田恆存読んでる書店員さんにご紹介いただいて! 「教養について」の章、「人文的なものを好みながら仕事になると人文的なふるまいができない」という自分のおなやみに効いている。「たんに知っているだけで教養ではない」ということです。振り回すことと使いこなすことの大きな隔たりが突き付けられる! - 2026年2月7日
渇愛宇都宮直子読み終わった二つ、しばらく考えそうなことがあった。 ひとつは神についてのこと。「りりちゃんは、誰かの“神”になってくれる人だった。でも、ヲタ同士が連帯することは危うく、難しかった。」とあって、りりちゃんが不特定多数の誰かにとっての神になろうとしたのか神にさせられてしまったのかわからないけど(他者の求める像を提供しようとするという話が繰り返し出ていたから、求めに応じたのがそのような形になっていったというのはありそう)、現代の人々というか人間の性質なのか、神のような存在を作りたがるのはなんなのだろう。信仰に基づいた行動の、そうでない主体的?な動きと比べたときの心理的な負担の低さがあるのだろうか。星占いもそれに近いのかなあ。りりちゃんが彼女を崇めた人たちにとって神である瞬間があったのは間違いなくて、神であり続けることと背を向けられることの、決定的な違いはどこで生まれるのだろう。逮捕がなければ神のままだったのか、神としてあり続けるには何か条件があったのか。 もうひとつ、終盤でりりちゃんについての製作予定だった映画の監督が、ホストクラブでの賞賛や被害者がりりちゃんに求めた恋愛を、コミュニケーションの努力を省略して得ようとする成果だという話をしていた。その省略は楽をしたい欲求というよりは、自分一人で向かったものでもなく、焦らされて、急いだ(そのつもりがなくても)結果のものだという気がしている。自己顕示欲というよりもっと外に向けた承認欲求みたいなもので、社会に作られたものだというふうに感じる。焦らせてくる社会は、コミュニケーションの努力の過程が踏みにじられる社会でもある。 「社会問題」とはいうけれど、ほんとうに社会が個人の在り方を規定してくるんだよなあと。だから他人のことなのに興味をもってしまうのだと思うし、となると逆に自分は何にまったく興味がなく、それは個人の問題だろうと片付けてしまえるのかも気になってきて、書いているうちにノンフィクション読みたい熱を高められている……! - 2026年2月4日
そいつはほんとに敵なのか碇雪恵読んでる@ UNITÉ(ユニテ)私は色々な「そいつ」を敵だと思いすぎなので買った。「自分が支持しない政党に投票した人に会いに行く(準備編)」まで読んだところで仕事に戻る。「実践編」、満を持して読みたい。ちょうど最近YouTubeの「たむともストリート」をよく見ていて、自分だったらすぐピリつきを出してしまうであろうところを、相手の話を聞いてから応答するスタイルが良いなあと思っていた。ちょうど正月にも親族一同に悪態をついたばかり。 - 2026年2月3日
ひとつにならない横道誠読んでる通勤の行きはphaさんの本をしずかに、帰りは頭ががちゃがちゃしちゃっているのだけどこの本はリズム合う感じがして読む、というのが今週のルーティンになりつつある。ありがたい。 - 2026年2月3日
- 2026年1月25日
友達じゃないかもしれないひらりさ,上坂あゆ美読んでる@ ウレシカいつか読みそうと思いながらなかなか買っていなかったのだけど、友達と行ったお店で見つけて、どんなやりとりがあったか忘れたけど友達と見つけたいまがこの本を持ち帰るタイミングなんじゃないかと思い、予定外?に購入。こういう入荷のしかたはたのしい。友達が編みものをしてくれている間にソファでごろごろしながら読んだ。本によい思い出が付与された。ひとりでもそれを思い出しつつ読んでいる。こんなにふたりの、それぞれの個人的なものというより「ふたりの」話を読んでしまってよいのかと戸惑いながら読んでいる。嘘がゆるされていないようで緊張感がある。それと同時に、嘘をつかずにほんとうのことだけ取り出して見せられる相手がいるのはすごくうれしいことでもあるだろうなと。 最近よく怒ってしまうので、「怪物とAI」での「人間は自分がもっとも気をつけていることを蔑ろにする他者に対して怒りを感じるようにできているのではないか」という提起に納得(よりすなでもこんな話題があったような)。自分では気をつけなきゃと思っていることがあまりにも多く、それがいつまでたっても自然なふるまいではなく「気をつけてあえてやっていること」のままだから「人々、気にしなさすぎ!!」というキレかたをしてしまうのだと思う。それを「まあいっか」と思えるまでのルートは果たしてあるのか。逆に私が何を気にしていないかをばしばし指摘してくれ(と頼んだらしてくれ)るのは友達なのだろう。そういえばタイトルはどのように回収されていくのか。 - 2026年1月23日
終点のあの子 (文春文庫)柚木麻子読んでるとてもだいじな本。映画を観たので、帰りに読むためにあらたに買って行った。おなじ本を、あるとわかっていてもういちど買うのはこれがはじめてになった。時間のゆるすかぎり、1編めと4篇めを読んだ。はじめて読んだ高3のときの自分が、どんなに衝撃を受けて、自由な気持ちになったかすぐに思い出せた。よく昔にすきだった映像作品を観返したときに「あのときとは感性や倫理観がずいぶん変わってしまった」とぼんやりすることがあるけど、『終点のあの子』は今のわたしにとってもだいじなままで、この本をだいじに思った過去の自分は、数少ない「自分がみとめている自分」であるかもしれないなあとも思った。改めて読むと、短編なのもあってひとつひとつの展開がぐいぐいと速い。でも行間が性急に感じない、こちら側に読みをあずけすぎではと思うこともない。最近よく漫画や映画に(小説をあまり読まないからそうというだけ)速い、速い、とおいてけぼりにされていたけれど、この速さは心地よい……また十年経ってこの本を思い出すときには、はじめて読んでからのことだけじゃなくて、今日のことも思い出せたらいい。 - 2026年1月21日
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