アンチ・スポーツの哲学

45件の記録
- ヨヤク@yoyaku4892026年10月2日読み終わったむしろ私たちが目指すべきは、既存の競技が生み出すすごさを前提とするのではなく、世界に無数に存在する異質なすごさを発見し、祝福し、それを見抜く感性を鍛えることだ。
岡本悠@oka_tfc82026年9月12日スポーツ哲学の本を初めて読んだ。 スポーツに道徳性を求める観客の姿勢など、共感できる部分もあった。 オリンピックの章から少し話が複雑になって、置いて行かれた感がある。 あと、成功からしか学びが得られないという主張も筆者の視点と僕の視点とでは違うと思った。 けれど、こういう考え方があるという意味で知れてよかったとも思う。 なんだかんだいって、スポーツを言葉で表そうとすると、少し違和感は残ってしまうと思う。 全てを定義することは出来ないから。 1章は面白かった分、途中から入り込めなかったのが悔しい。
-ゞ-@bunkobonsuki2026年9月7日スポーツを「すごいやつを決めること」と定義し、世間で言われているスポーツの美点を検証・反駁する『アンチ・スポーツの哲学』。 本書は「アンチ・スポーツ」と書いているが、スポーツを否定しているわけではない。むしろ、スポーツの本然に帰ることを勧めている。 その本然こそが「すごいやつを決めること」なのだ。 読みながら、個人的に想いを馳せたことがある。「武道のスポーツ化」という言葉がある。武道の精神がスポーツ化することによって消えてしまうという批判である。 この言葉がよく分かっていなかった私だが、本書を読んで納得がいった。 2009年に剣道部の部員が稽古中に熱中症で倒れ、そのまま亡くなるという事件があった。この時、顧問は「過酷な鍛錬をすることで強くなる」という態度を取ったために部員を無理やり練習させていたという。この顧問の態度は体育会系の部活で広く見られるものだ。 だが、武道はスポーツではない。 別物なのである。 武道とは「生きる」知恵の体系である。 それが生まれた背景には「いつ襲われるか分からない」という現実があり、どれだけ死ぬ確率を減らせるかが武道の目的だった。 いわば武道はサバイバル術なのだ。 武道の系譜たる剣道もそうであったはずなのだが、いつしかスポーツ・体育会系の「しごき」的な文化に染まった。その結果、武道の考えとは真逆の現象が起きてしまったのである。 スポーツというと汗を流す光景が浮かぶ。 それは生存が確約された環境でのみ生じる特殊な光景である。だが、人は生存を当然だと思うようになると、あらゆる現象をスポーツに変えてしまう。「武道のスポーツ化」は、そのひとつである。 だからこそ「アンチ・スポーツ」の考えは必要なのである。当たり前のことを疑い、より高めること。それこそがスポーツ的な価値観ではないか。


阿部義彦@xtc1961ymo2026年9月3日読み終わった難波優輝さんの本、3冊目読了です。(何故か新書ばかり、次は単行本に挑戦したい) 私も難波さんも運動音痴でしたが、自分は学校のスポーツテストが毎年苦痛でした、特に持久走。逆上がりも苦手でした。難波さんは『スポーツする』は明快なルールに基づいてすごいやつを決めることを目的として行う活動と定義します。自分的には、スポーツで勝ち負けの味を味わい、一般社会ではもっと厳しい競争が有るのだから、今のうちに痛みに慣れた方が良いと言う『失敗主義』ー幼いうちから多くの苦痛を体験させるようにすること。この言説が運動会で順番を付けない、昨今の状況に対するイチャモンの様に言われるが、著者も言うように失敗はしないならしないに越したことは無いのです。それよりも成功体験に基づいて、別なことを学んで行くのが自然なやり方なのだ。同じことが第三章、体育系文化に関してもいえて、挫折を過度に美化するのも、自分はおかしいと思う。本音は「自分がこんなに苦しんだのだからお前も苦しめ!」なのでしょう、こういう心理を『シャーデンフロイデ』と言うのだそうです。...φ(・ω・ )メモメモ、あとは、キリが無いので、その他ジェンダー、障害者スポーツ、競技者の経済的余裕は、何故クラス分けの要素にはならないのか?等色んな考えるヒントに満ちていました。









じょるじゅ。@kameupaupa2026年8月26日読み終わった難波先生の新刊ということで拝読させていただきました。 私自身、スポーツはあまり好きではない(身体を動かすのもそんなに好きではないし、球技がまるでできなかった)のですが、本書を読んだことで、自分は<スポーツ>するのが嫌なのではなく、スポーツに関する雰囲気や文化、イメージが好きではなかったのだと気づきました。 難波先生がご指摘する通り、スポーツとは何かを考えるとき、私たちはスポーツそのものよりも、その周辺にある物語や道徳性を含めて「スポーツ」をイメージしているな、と思いました。 ただ、スポーツ自体は“究極にフェアな競い合い“であるはずで、「道徳心が育つ」とか「挫折が今後の人生の糧になる」というのは本当なのか?と、文化部オンリーだった私も側から見ていて疑問でした。 もしかしたら、ルールに則った上で相手を潰すことが公に許されている…というか、それが目的だからこそ、そういった競争心や暴力性を正当化するためにそういった考えが生まれていったのかなぁとも考えました。 また、難波先生はスポーツはゲーム的とおっしゃられていましたが、個人的にはギャンブル的な側面も強いのではないか、と感じました。というのも、母が熱狂的な燕党(私も燕党ですが、母ほどではない)なのですが、負けると翌日までギャーギャー嘆いて「もう野球は見ない!」と何度も言うくせに、夕方になると先発は誰だ、スタメンが発表されたとソワソワ。そして試合が始まれば、コソコソとスマホを見て一喜一憂。 あまり感情の波を起こしたくない私は、「それなら見なきゃいいのに」と思うのですが、その一喜一憂自体にある種の中毒性があるようなのです。だからこそ、最近は観客やSNS上での行き過ぎた非難や暴言が加速しているように感じます。 スポーツ選手のペルソナを勝手に理想化し、ちょっと何かあればすぐにこき下ろしてしまう…身近な人であれば表立ってできないであろうことを、スポーツ選手などの有名人であればOKというのは恐ろしい心理ですよね。 またも脱線になって恐縮ですが、私が誰かを熱烈に応援するのが苦手な理由もわかった気がしました。その人のことをよく知らない(こっちが一方的に知っているだけな)のに、「好きー!」と騒いで、もしもその人が法に触れるようなことや不祥事を起こしたときに、自分はどう振る舞えるのか…相手の更生を信じて支えられるか、というところまで考えてしまうせいかもしれません。 「ひどい、裏切られた!」と見限るのは簡単なのですが、それこそその人のペルソナを勝手に消費して、使い捨てるような気がして、どうも居心地が悪くなるのです。 難波先生のご著書は、自分の経験と照らし合わせて色々と思い巡らせることができるので、とても有難いです。 そして本書を読んでいる間に、難波先生の最新刊が発売されたようなので、そちらも読ませていただきたいと思います!
阿部義彦@xtc1961ymo2026年8月25日気になる最近、一部ではかなり名前の知られている美学者の難波さんの朝日新書からの新刊です。世の中のスポーツ好きを、今回は敵に回す問題作か?私はスポーツには全然興味が無いので、実に痛快です。ネットニュースでも、スポーツのタグはカットしてます。それでも通知で、誰々がホームラン記録とか、ウザイわー、と内心思ってます。




かけ@kake2026年8月25日読み終わった俺は正直言ってスポーツがあまり好きじゃない。 ずっと野球をしてきた側の人間としてこのような感覚を持つことがおかしいと思っていたが、この本を読んでその違和感を言語化できそうだ。 スポーツは人格形成において有効だとよく言われるが、俺は全くそうは思わない。運動部というのはむしろ、スポーツで他人を排斥することをモチベーションにしていて、それは中高大とレベルが上がるごとに、他人を排斥してきた、あるいは排斥できる側の人間が残っていく。 そんなスポーツを美談として語る社会も嫌だ。汗、涙、努力というのを自分達ではなく、周囲から押し付けられる。ゴールではなく努力すること自体に価値があると言われる。 スポーツを倫理学的目線で見ることはずっと体育会系社会で生きてきた俺が、客観的目線を手に入れるごく僅かな手段だろう。 非常に面白い1冊だった。



静と動@Kaz20252026年8月22日買った読み終わったまた読みたい読書メモじゅうぶん読んだ書店でこの本のタイトルと著者を目にして即買い。一気に読んでしまいました。スポーツを「すごいヤツを決める」と定義した上で、そのスポーツにまとわりつく道徳やジェンダー、仕事との相関性など、何かモヤモヤしたことや、常識として覆われていたことを、「ホントはこうなんじゃないの?」と揺さぶってくる内容でした。期待通りの本。また読みます。






























