

雨
@___amadare
- 2025年10月4日菜食主義者きむふな,ハン・ガン読み終わった"ある叫びが、泣き叫ぶ声が幾重にも重なってそこにつまっているの。肉のせいよ。 あまりにもたくさんの肉を食べたわ。その命たちがそっくりそこにつまっているの。間違いないわ。血と肉は全部消化されて体の隅々に散らばり、そのカスは排泄されたけれど、これらの命だけはしつこくわたしのみぞおちにくっついているの。 一度だけ、ただ一度だけでいいから大きく声を張りあげたい。まっ暗な窓の外へと走っていきたい。そうすれば、この塊は体の外へ飛び出るのかしら。そうなるかしら。 誰もわたしを助けられない。 誰もわたしを生かすことはできない。 誰もわたしに息をさせることはできない。"(p.79)
- 2025年9月28日
- 2025年9月11日ケアと編集白石正明読み終わった
- 2025年9月3日
- 2025年8月25日「壇蜜」(1)清野とおる読み終わった
- 2025年8月21日喫茶店の水qp読み終わったお冷のグラスもお店によって個性が様々。水滴すら美しい。私もオリジナルグラスが販売されてるとつい買っちゃうから喫茶店の水愛好家かも。でも普段愛用してるのはIKEAのステンレスタンブラー。
- 2025年8月21日
- 2025年8月9日プリズン・ブック・クラブーーコリンズ・ベイ刑務所読書会の一年アン・ウォームズリー,向井和美読み終わった
- 2025年7月25日きのう何食べた?(24)よしながふみ読み終わった
- 2025年7月23日忘却の河福永武彦読み終わった"私は昔ギリシャ神話を読んで、うろ覚えに忘却の河というのがあったのを覚えている。三途の河のようなものだろう、死者がそこを渡り、その水を飲み、生きていた頃の記憶をすべて忘れ去ると言われているものだ。しかし私にとって、忘却の河とはとの掘割のように流れないもの、澱んだもの、腐って行くもの、あらゆるがらくたを浮べているものの方が、よりふさわしいような気がする。この水は、水そのものが死んでいるのだ。そして忘却とはそれ自体少しずつ死んで行くことではないだろうか。あのらゆる過去のがらくたをその上に浮べ、やがてそれらが風に吹かれ雨に打たれ、それら自身の重味に耐えかねて沈んで行くことではないだろうか。"(p.82)
- 2025年7月18日
- 2025年7月6日
- 2025年6月19日
- 2025年6月15日見るレッスン蓮實重彦読み終わった"時には見たくないものを見なければいけないこともある。だから、「救い」という言葉が使われた時にわたくしは無闇に腹が立ちました。「救い」を求めて映画を見に行ってはならない。似たようなニュアンスの言葉に「絆」や「癒し」などもありますが、そんなもののために映画ができたわけではありません。 映画を見る際に重要なのは、自分が異質なものにさらされたと感じることです。自分の想像力や理解を超えたものに出会った時に、何だろうという居心地の悪さや葛藤を覚える。そういう瞬間が必ず映画にはあるはずなのです。今までの自分の価値観とは相容れないものに向かい合わざるをえない体験。それは残酷な体験でもあり得るのです。"(p.11)
- 2025年6月5日センスの哲学千葉雅也読み終わった"・ひとことで言えないから、わからなかった、要するにどういう意味?ということになりがちだが、その先へとセンスを開いていくには、小さなことを言語化する練習が必要である。 それは、重要とは思えないちょっとした何かでも、どうなっているかを「観察」して言語化する練習です。たとえば、家具屋さんでスタンドライトを見て、ここがこういう形なのがいいねとか、そんなちょっとしたことから始める。それを言うのは意外と難しいかもしれません。そういう言語化には心理的なハードルがあったりする。意味がない、無目的だと思えるからです。 日常のささいなことを、ただ言葉にする。それはもう芸術制作の始まりです。ものを見る、聞く、食べるといった経験から発して言葉のリズムを作ることだからです。もう文学です。"(p.111-112)
- 2025年6月4日工場日記シモーヌ・ヴェイユ,田辺保読み終わった"ひどい疲れのために、わたしがなぜこうして工場の中に身をおいているのかという本当の理由をつい忘れてしまうことがある。こういう生活がもたらすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになった。それは、もはや考えることをしないという誘惑である。それだけが苦しまずにすむ、ただ一つの、唯一の方法なのだ。ただ土曜日の午後と日曜日にだけ、わたしにも思い出や、思考の断片がもどってくる。 このわたしもまた、考える存在であったことを思い出す。わたしは、自分がどんなにか外的な事情に左右される者であるかを見てとると、ほんとうにぞっとする。そういう事情のためにある日、週一回の休みも与えられない仕事に従事しなければならない境遇につきおとされれば、それでもうおしまいなのだ──そしてこのことは、とにかくいつでも起こりうることなのである──そうしたら、わたしは、おとなしい、じっと苦痛をこらえる(少なくとも、自分ひとりのためなら)、牛馬同然の人間になりさがってしまうであろう。"(p.58)
- 2025年5月15日きみのまち 歩く、旅する、書く、えがく今日マチ子読み終わった
- 2025年5月13日
- 2025年5月2日
- 2025年4月30日
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