ヒトラーとナチ・ドイツ

ヒトラーとナチ・ドイツ
ヒトラーとナチ・ドイツ
石田勇治
講談社
2015年6月18日
6件の記録
  • 喜多倉
    喜多倉
    @kitakura473
    2025年8月6日
  • あんちゃん
    @an_choco
    2025年7月22日
    「解放法」についてp.94 ・「例えば、カトリックの強い地域では、神を恐れないマルクス主義が貶められ、労働者地区では、資本家の横暴と金権政治がやり玉にあげられた。農村では、都市に頽廃をもたらした物資文明、食糧生産を軽視する都市の政治家が批判された。」 (p.101 13行目 ) ・「共通にしていたのは、どんな場所でもユダヤ人が引き合いにだされ、不満をユダヤ人に向ける扇動が行われといたことだ。そしてどの地域でも、現下の苦境の原因はヴァイマル共和国の議会政治家にあるという批判を展開し、議会制民主主義の打破を訴えた。」(p.102 2行目) 議会政治家=社民党、中央党、民主党、ドイツ人民党? =「ナチ党はおよそすべての社会階層に支持された。」 ・「あらゆる層で支持を得たもう一つの理由の例は、選抜兵士の追悼式での挙行である」 (p.102 11 行目) ・「第一次世界大戦のドイツ戦没兵士を追悼し、傷痍軍人の栄誉を称えることの意義を強調した。」 →ヴァイマル共和国はその点消極的だった。 ・また、「ミュンヘン一揆のような反ヴァイマル闘争に身を投じて亡くなったナチ党の若者たちを、ww1で斃れたドイツ兵と同様の『民族の大義』に殉じた英雄だと称えた。」(p.103 6行目) →・「第一次世界大戦で重傷を負い、そのために社会復帰が困難となった多くの傷痍軍人は、戦後の社会は自分たちの敬意を示さず、報われないのと感じていた。」 ・「ヒトラーは、戦場で戦い、傷ついた者は、それ相応の補償を与えられるべきだと政府に要求した。」 =「傷痍軍人の心を掴み、彼らのナチ党の支持勢力とすることに成功した。」 ・「ヴァイマル期の農民は、共和国政府が進める二つの政策によって苦境に立たされた。」 (p.104 12行目) 「①ドイツの経済再建に向けた貿易振興政策だ。これによって農産物の関税が引き下げられ、国内農業市場が外国産農作物に開放された結果、農民は厳しい国際競争にさらされた。②安価で良質な外国産農作物に対抗するため、生産の集約化・標準化をはかる合理化政策だ。」 →「困窮にあえぐ一部の農民は、共和国が安定期にあった28年、北ドイツを中心に衝撃的な事件を次々と引き起こしした。」 =「ヒトラーはこうした過激な破壊運動の出現に、ナチ党の農村進出の好機を見てとった。」 また、「工業利益を優先しがちな共和国だけではなく、既成の政党と農業利益団体に対する農民の幻滅の表れでもあった。」 ・1932年ナチ党の支持率が低下した理由 「①投票率が前回の84%から4%下がり、浮動票が掴めなかったこと。②これまでの選挙で票を与えてきた都市部の中間層・保守層が、選挙の直前にナチ党がベルリン交通局のストライキ加わり、共産党とともに首都の公共交通を麻痺させたことに幻滅してナチ党から離れたこと。③ナチ党の急伸に危機感を覚えた保守層がパーペン政府を支持する意味で国家人民党に投票したこと。④経済状況が好転し始めたこと。など」(p.115 8行目) 「だが一番の原因は、ヒトラーのカリスマ性の限界であった。ヒトラーは、新しい国民的な大衆運動の指導者として、多くの有権者に希望を与えたが、まだ何一つ成果を示すことができないでいた。」(p.116) ・ヒトラーは1933年2月1日のラジオで「農民、労働者、手工業者など国民各階層の苦況を引き合いにだし、その原因が共和国を率いた『十一月諸政党』にあるとしたうえで、『四年の時間を我らに与えて欲しい。我らに審判を下し、我らを裁くのはそのときにしてほしい』と訴えた。」(p.137 最後の行) ・「『四年のうちに農民は困窮から脱し、四年のうちに失業は克服されるだろう』」(p.138 2行目) ・1933年3月の選挙はこれまでの選挙戦といくつかの点で異なっていた。 「①ラジオ放送と飛行機が宣伝の手段としてフルに利用したこと。②公権力の介入によって、ナチ党に圧倒的に有利に選挙戦が行われていたこと。」 (p.143 7行目) ・②の具体的な内容 「『ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令』は集会と言論の自由に制限を加え、政府批判を行う政治組織の集会、デモ、出帆活動等を禁止した。」 →「共産党をはじめ、野党勢力はナチ党の攻撃に応戦しようにも自由な意見表明ができなくなった。」 (p.143 12行目) ・国会議事堂炎上事件によって、共和国の政治と社会のあり方を一変させた。(p.146) ・ヒトラー政権樹立から半年の流れ(p165) ・なぜ人々はナチの政策に反発しなかったのか 「国民の大半がヒトラーの息をのむ政治弾圧に当惑しながらも、『非常時に多少の自由が制限されるのはやむを得ない』とあきらめ、事態を容認するか、それこら目をそらしたから。とりあえず様子を決め込んだ者も、大勢いた。実際、当局に拘束されていた者は多いとはいえ、国民全体から見ればごく少数に過ぎなかったのだ。」(p.168 4行目) 「『議事堂炎上令は一時のもので、過激な共産主義者が一掃されればすぐに廃止されるだろう』」 「『基本権が停止されたといっても、共産主義や社会民主主義のような危険思想に染まらなければ弾圧されることはない』」 「『いっそヒトラーを支持して体制側につけば楽だし安泰だ』」 ヒトラーの支持が熱狂的になった理由 ・「ヒトラーが新生ドイツにふさわしい『正当な指導者』だ、と世代・性別・党派・地域を超えて認識されるようになった。」(p.170 3行目) ・「プロテスタントとカトリックの両キリスト教会が、それぞれの宗教指導者の態度表明を通して、ヒトラーへの支持を訴えたことである。」→when ・「高名な大学教授や作家・文化人など知的エリートというべき人びとがヒトラーを礼賛する声明文や論説記事を次々と発表した。」【ex)マルティン・ハイデガー】(p.172 1行目) ・「宣伝省の戦術が国民に親しみやすいヒトラーのイメージ作りに効果をあげた」 ・「ヒトラーを偉大な指導者とすふゲッベルスの宣伝は、ヒトラーを神がかった存在にする『ヒトラー神話』を生み出していた。」(p.175 6行目) →「夏になると休暇中のヒトラーを一目見ようと山荘に多くの人びとが押し寄せ、巡礼者の聖地となった。そこで人びとと気さくに歓談する『民衆宰相』の様子はフィルムに収められ、宣伝映画となって国民の共感を得た。」 ・「ラジオ・新聞・出版・映画から文学・音楽・美術・舞台芸術にあたるまで、すべてのメディア・文化活動を監視統制しながら、活発なプロパガンダを展開した。」(p.194 4行目) ・「非合法化された共産党、社会民主党、左翼系労組がこれまで刊行していたおびただしい数の新聞・雑誌は全て廃刊となり、編集者も職を追われた。」 (p.194 8行目) ・「プロパガンダは〜大衆の行動をある方向へ取る誘導することができた。」(同ページ 14行目) ・「自らにふりなじょうほうはいっさい伝えず、有利な情報だけを誇張、潤色、捏造もお構いなしに発信し続け、大衆の共感を得る。敵を仕立て上げることも情報操作ひたつでたやすきことだ。」(p.195) ☆「ドイツの経済はヒトラー政権の誕生前にすでに景気の低を脱し、いまや政府の強力な後押しがあれば一気に回復局面へ移行できる段階にあった。」 (p.208 14行目) →パーペン、シュライヒャー両政府によって ex)・「世界恐慌を生き延びた企業はどこも社員を大量に解雇し、コスト削減をはかった。そのため、生産性が向上し、経営に改善の兆しが見られた。」 but ・一方で、ヒトラーは公約に掲げたものの「そのために練り上げられて計画を持ち合わせていなかった。」(p.209 2行目) ・フォルクスゲマインドシャフト(p.214)  =民族共同体 →ドイツ市民を再び戦争のできる国民に作り変えることを目標に掲げた。 ・ナチ党大会(p.218) ・「『力による喜び』(歓喜力行団)は、演劇、音楽会、スポーツ、旅行など昔の労組が全く実現できなかったさまざまな余暇と娯楽の機会をメンバー全員(労働戦線)に提供した。毎月の積立金で外国旅行をしたり、乗用車が手に入ったりする。そんな触れ込みで人気を博した。」(p.226 12行目) ・「『世界に冠たるドイツ』と言えないまでにも、せめて英仏と同等の地位を取り戻したいという思いは、同時代のドイツ人なら誰もが共有していたと言えるだろう。」(p.228 9行目) ・「ユダヤ人が職を追われ、地位を失う方で逆に利益を得る者もかなりの数にのぼった。既成組織の人事がどご一時的に流動化し、昇進したりする者が多数現れた。」(p.176 3行目) =「ユダヤ人の上司や同僚を快く思わない人にとって、職業官吏再建方は好都合だった。」 ・ヒトラーは『我が闘争』からも分かる通り「ヒトラーはww1のドイツの敗因を、国内ユダヤ人の『裏切り』と、ユダヤ人の本性を見抜かなかった旧ドイツ帝国の『無能さ』に求めていた。」(p.278 6行目) →「首相として戦争への意志を固めたヒトラーにとって、同じ過ちを繰り返すことは許されない。ユダヤ人は混交によってアーリア人種を墜落させる有害な異人種で〜、戦争になれば敵国に通じ、人心を乱し、〜。」 =「『ユダヤ人なきドイツ』な実現は、ヒトラーが戦争をするために必要不可欠」(p.278 最後の行 ) ・『水晶の夜』事件の経緯「ポーランドからドイツに出稼ぎに来ていた約1万7千人のユダヤ人に国外退去命令が下された。これに反発した出稼ぎポーランド・ユダヤ人の17歳の少年が、パリのドイツ人外交官エルンスト・フォム・ラートに発砲して重傷を負わせた。」(p.286 14行目) ・ドイツ市民による反ユダヤ政策に対する反応 「人口の1%にも満たない少数派であるユダヤ人な運命は、当時の大多数のドイツ人にとってさほど大きな問題ではなかった。」(p.290 最後の行) ・「ヒトラー政権下の国民は、あからさまな反ユダヤ主義者ではなくても、あるいはユダヤ人に特別な感情を抱いていなくても、ほとんどの場合、日常生活でユダヤ人迫害、とくにユダヤ人財産の『アーリア化』から何らかの実利を得ていた。」 (p.291 3行目) ex)「同僚のユダヤ人がいなくなって出世した役人」「近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族」「ユダヤ人の家財道具や装飾品、楽器などを競売で安く手に入れた主婦」「ユダヤ人が経営するライバル企業を安値で買い取って自分の会社を大きくした事業主」「ユダヤ教ゲマアンデの動産・不動産『アーリア化』と称して強奪した自治体の住民たち」 =無数の庶民が大小の利益を得た。 ・「ドイツ社会では、優生思想の普及がはかられた」 →「学校、〜などの公共の場で、『人の価値には生来の差があること』が事実として教えられ、『劣等種との交配は高等種の価値を低下をもたらすこと』『劣等種は増殖能力が高等種の何倍も大きいため、隔離しなければならないこと』など周知徹底された。」 (p.304 1行目) ・ヒトラーの「預言者演説」(p.324 6行目)
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    2025年4月25日
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    2025年4月6日
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    2025年3月6日
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