「空気」の研究
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- 高橋@takaryo2026年5月11日読み終わった空気、水=通常性、自由 対象の臨在感的(呪物的?)把握によって、論理とは別の領域(動物的、無意識的)が拘束される。(それは日本が汎神論的、つまりモノに「感じやすい」、からなのか? 一神教世界にもそういう呪物はあるはずだけど、偶像崇拝の禁止の論理とかの延長で、それに罪悪感があるのか) 論破とかされても人間は変わらず、その別領域(日常に溶け込んだ虚構、物語)に駆動され続けるし、その領域を抜け出そうとしても、まさに空気のように目に見えず、意識できないから、結局は別種のフェティッシュを信仰せざるを得ない。 それに「水を差す」ことで、ある種、空気を笑えればいいのだけど、その笑い自体が、また別の体系を前提にしている(ボケとツッコミはある種の「常識」(これが情況倫理?)を前提している。その場の人間がその「常識」を共有した上でボケにツッコむからはじめて笑える)。その常識が、「一教師、オール3生徒」の構造になってるから(ならざるを得ないから、オール3を生徒につけるには超越者が要請されるから)、(というかそれが、倫理という固定的なものであるためには)超越論的な絶対者というフェティッシュを結局再生産してしまっている。 しかもその相互に「父と子の隠し合い」の倫理感覚が入り込み、芯をつくような、エグい「ツッコミ」をすれば、すべりちらかし、もう二度と舞台には上がれないどころか、うんぬんとなるので、結局は「空気を読んだツッコミで場を和ませる」くらいしかできなく、和ませているだけなので、何も、変化はしないし、むしろ、その連続によって空気は固定化、そして強化されていく。(いわゆる「くだり」のように) だから本当に水を差すなら笑いを取ろうとマンキンで舞台に立ってる(空気に反射的に水を刺そうとする)場合ではなく、地道に土を掘ったりしなくちゃ?透明な空気を掴もうとしなくちゃ?いけない。 共産党は、おもんない奴らのままなら生きていけないし、おもろい奴になれば、そのとき元の共産党は失われ(訂正され?)、メジャーに迎合して売れたけど、インディーズのあの感じがよかったんだよみたいになる 、、??? そういう空気の根本にあるのが、汎神論的なもの。 汎神論的神政性の体制。 動物的?=非合理=「聖書」=「科学」=民主主義=合理=人間的?の、分かたれない人格から、科学以降のところだけ取り出して日本に適応しても、日本的不合理な(パニックになったりしたときの)力の氾濫は抑えられないから、汎神論的な日本人の気質に合った憲法がないと結局大事なときに機能しないみたいなやつ、面白かった 一神論的体制から

マロ@hiromaro04222026年3月7日読み終わったこの本が執筆された50年前と変わらず、今なお空気の支配する日本。 山本七平の鋭いインテリジェンスから考察される、あまりに非合理な“空気”なる不思議な拘束力。 50年前なので使われる言葉は古いけど、内容は色褪せるどころか、より空気に流されやすくなっていることに気づかせる。名著📕
yusatoh@yusatoh2026年1月22日@ 百年 吉祥寺めちゃくちゃ面白かった。日本においては、論理的なことや、データの裏付けがあるということよりも、その場の空気がものごとを決めるということ。 そしてその空気を壊すのは水を差すという行為。 昔に書かれた本なのな今でも通じるところがあるのは、いいのか悪いのか。
Bruno@macchoca2023年9月8日読み終わった「空気」は、理屈ではなく、場に漂う無言の命令。 人はその中で思考し、呼吸し、やがてその形に似てくる。 山本七平は問う。 あなたを動かしているのは、誰の意思か? 「空気」は水のように透明で、しかし濁りを持つ。 それを相対化できる者だけが、自由に泳げる。 対象を絶対化した瞬間、人は思考を失う。 だからこそ、「水を差す自由」を持たねばならない。 場の調和を乱すことを恐れず、沈黙を破る勇気を。 進歩的という名の保守に気づいたとき、 はじめて人は、自分の空気を外から眺めることができる。


































