成熟と喪失 “母”の崩壊
13件の記録
Itfym@kakushika332026年2月4日p.108 17章〜 かなり図式的な読み、あるいは『抱擁家族』が図式的な小説だなぁと、よく出来てはいるが退屈にも感じられてしまう 「母」あるいは「女」と「自然」を結びつける言説をどうやったら崩すことができるだろうか

Itfym@kakushika332026年1月22日読んでる〜p.108 15章で「神」や無限の責任やら世間の目やらが論じられ始めて一気についていけなくなった。小説の主人公・俊介だけでなく(当時の)社会を論じているようなのだけれど、さっぱり分からない 『抱擁家族』未読なので、そんな展開なんだ〜となった。意外と派手
Itfym@kakushika332026年1月20日読んでるp.62まで 「妻」や「母」という役割から抜け出せて「ただの女」として俊介の眼前に時子が立ち現れた……的なくだり、いや「女」だって社会的な役割やんけ ジェンダーを自然化しすぎだろう! とは思うけれど、さすがに面白いし文章もうまくてかっこいい 風景=自然=「母」的な楽園への憧憬/執着……のようなロジックなるほどねと思った。使い易いよね〜 だからこそ使い過ぎには注意だし、柄谷『起源』のような「風景こそ近代の産物だ」論も片や屹立しているわけだけれど。

いあに@IANI832025年12月6日買った読み終わった江藤淳の批評のまなざしに圧倒されつつ、うん?と思ったところは上野千鶴子が解説にて批評を展開していた。どちらも容赦ない肉薄した批評なのだけど、それぞれの真剣が伝わって良かった。それはさておき、上野千鶴子の批評からも二十年ほど経ったけれど皆どう思う? 今このとき、今のこの時代をさ。と誰かに聞いてみたい。


- mkaizyuu@waita2562025年3月4日読み終わったヘーゲルとラカンは、自己が自由であること、理性的であることは他者によることで初めて実現することができると述べた。そして自己の発見がラカンの「鏡像段階理論」、つまり幼児期の現象を持って説明されていることは極めて示唆的である。つまり、江藤が「成熟すること」=「再度自由になること」、つまり自由になることの前提である「他者」のいない状態を未成熟な状態であると評したのは至極当然の論理の帰結なのである。







