生きるかなしみ

13件の記録
- 読書猫@bookcat2025年8月24日読み終わった(本文抜粋) ”「生きるかなしみ」とは特別のことをいうのではない。人が生きていること、それだけでどんな生にもかなしみがつきまとう。「悲しみ」「哀しみ」時によって色合いの差はあるけれど、生きているということは、かなしい。“ ”大切なのは可能性に次々と挑戦することではなく、心の持ちようなのではあるまいか? 可能性があってもあるところで断念して心の平安を手にすることなのではないだろうか? 私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか? 本当は人間の出来ることなどたかが知れているのであり、衆知を集めてもたいしたことはなく、ましてや一個人の出来ることなど、なにほどのことがあるだろう。相当のことをなし遂げたつもりでも、そのはかなさに気づくのに、それほどの歳月は要さない。“ (山田太一「断念するということ」より)
- 益田@msd2025年3月29日読み終わった高史明「失われた私の朝鮮を求めて」の親子の分断と生き地獄が凄く強烈だった。支配者側の視点からしか歴史を知らなかった身としては、植民地側の分断や地獄をこの本で目の当たりにし、考えさせられた。また、一方で杉山龍丸の「ふたつの悲しみ」も子ども(大人ももちろんだが)が生身で凄惨な現実を受け止め、それを理解して生を歩んでいくのが残酷だなと思った。この両者の視点を大切にしたい。 このふたつが強烈だったが、他の話も自分の人生において無力さを実感させられる話が多く(特に佐藤愛子の話)かなしみを理解して歩んでいきたい。