

HIRU NE
@hirune
インターネットでひとり雑貨屋さんを営んでいます。家で過ごす時間がなによりも大好きで、静かに本が読める時間はひそやかな贅沢。
- 2025年11月21日
ミアキス・シンフォニー加藤シゲアキ読み終わった人物描写、凄っ。「芸能人が書いてる本か〜どんなんやろ〜」みたいな下世話な関心で手に取ったことを心底、恥じました。ごめんなさい。パレットにたくさんの語彙を会得して、世界を細かく観察して、その眼差しから得た情報を自分の中で吸収して分解して構成して描写することを、呼吸をするように続けてきた人の文章だ…と思った。書くために。同世代だけど私はあと何回転生したらこんな本書けるんだろ。凄っ。 - 2025年10月25日
このあたりの人たち川上弘美読み終わった面白かった。半径数kmの『このあたり』に住む個性豊かな人たちを描くショートストーリーで紡がれた、オムニバス形式の作品。実際にはたから見てちょっと様子のおかしい人っているので、エピソードの数々は妙に生々しさを感じさせる。かと思えば唐突に、あくまでも自然にぶち込まれるありえない展開。そしてファンタジーに寄りすぎることもなく、物語は再び平凡な生活へ静かに散らばっていく…といった独特の感触がクセになる。また、ひとつのストーリーが濃いのに端的で短いため、忙しい人でもサクサク読むことができる。いろんな意味で新しさを感じさせていただけた作品でした。 - 2025年9月13日
壇蜜的人間学。壇蜜読み終わった - 2025年9月6日
いい音がする文章高橋久美子読み終わった - 2025年8月4日
- 2025年7月6日
- 2025年6月14日
恋愛の哲学戸谷洋志読み終わった - 2025年5月29日
読み終わったかつては口のうまい側だった著者が、難病を経験して「言葉で伝えることができない」側に回った。 言葉とは、私たちが互いに覗くことのできない胸の内を見せ合うための有力なツールであって、それと同時に取り返しのつかない摩擦を生む諸刃の剣でもある。なぜ言葉にしてくれないのかという揉め事で百年の恋も終わる。裁判では証言によって罪が決まる。そういえば、私たちは表面的なものを余りにも信じている。 決して悲壮感ただよわせず、淡々と、少しコミカルな感じさえする語り口で語られるエッセイの数々。普通だったらそう考えないだろうというような、葉っぱを日に透かして裏柄から見た葉脈のような。そんなささやかな喜びを示してくれる。 立場の弱い者にしか見えない世界がある。実体験や出会った人々とのエピソードを通して語られる優しい視点。それにじんわり励まされてゆくのは、私もまた同じ側の人間だからなのだろう。 - 2025年4月14日
かなわない植本一子読み終わった写真家・植本一子さんのWEBで公開していた日記からまとめられたもの。母親としての何気ない生活の連続が記される前半、母親の役割を一切振り切るかのように一人の仕事人・女性としての日々が描かれる後半。 そのあまりのコントラストにどういう心持ちで読み進めたらいいのかと動揺した。私自身は母にならない人生を選んだが、知りたい作りたい表現したいという得体の知れない欲が内からとめどなく湧き出る感覚、そしてそれに伴い家庭という自分が主体となって守るべき場所がおろそかになってゆくもどかしさも痛いほど理解している。事実、胸が痛むこと。 波風のない現状維持こそが求められる家庭と、変化と上昇が常に求められる仕事や自己実現。女性にとって、その方向性のまるで違う2つの熱量を自分の中に同居させることはなかなかにしんどく、切り離すことができない。作中にもあった「私が普通のお母さんになれていたなら」という一文に思わず息を呑んだ。この“普通”こそが難しい人も確かにいる。 淡々と綴られているのになぜだか最後まで目の離すことのできない、鋭く生々しいエッセイでした。 - 2025年3月30日
ビューティフルからビューティフルへ日比野コレコ読み終わった読みながら終始、自分の中になかった感性の連続に驚いていた。研ぎ澄まされた鋭い言葉の並ぶ様はまさに裏表紙にあるように“乱反射”。ヒリヒリとどこまでも安寧のない、寄る辺のない少年少女たちの心模様が交互に描かれる。解説もないままこちら側を置き去りにしてすごい速度で溶け合っていくような、トリップ感のある作品でした。 ーーーーーーーーーー (下記ネタバレあり後日追記) ビューティフルからビューティフルへ。言葉の芸術だと思って最後まで読んだけど、ラストの唐突なタイトル回収にクエスチョンマークな読後感だったが…今なんとなく腑に落ちた。 それぞれの目線で語る主人公3人はそれぞれ“生きるのが巧いのにずっとしにたい人”と“ずっと中毒的にビビッドに生を感じたい人”と“ずっと圧倒的主人公の前で自分を持たない人”と、全員タイプが異なりながらもアイデンティティに危うさを抱えているという共通点が。 しかしビューティフルという観点で見たら、それぞれに哲学を持って生きている。独自の哲学、それって捉えようによっては“ビューティフル”なのではないか…たとえ人から見たら薄汚かったとしても。“ビューティフル”それは絶対的な肯定。 結局のところ人は自分を、自身に与えられた道を、肯定していくしかない。自分を救ってあげられるのは自分。それは哀しさでもありチャンスでもある。過去も未来も肯定することができたとき、地面に足をつけて生きていけるのだろう。 - 2025年3月9日
ハラヘリ読書宮田ナノ読み終わったかつて読んだ食の楽しみと読書の楽しみ、どちらも再発見できる一冊。料理の苦手な自分はいかに普段、食事を義務に感じてきてしまったのか…を、あらためて反省。食べること、そして文章を味わうこと。どちらも生きている間だけ許された、貴重で甘美なエンターテイメント。
読み込み中...