口の立つやつが勝つってことでいいのか

92件の記録
- Blueone@bluestuck42025年7月4日読み終わったヴォネガットの「愛は負けても、親切は勝つ」はマジでそうだと思った。愛をみんな神聖化しすぎてる。本当に人を救うのは親切心なのでは? 「私のおじさん」が描いたのは、そういうことだったのかもと思った。
- ふるえ@furu_furu2025年6月21日読んでる借りてきた何かを言葉にすることが、言葉にできないことに勝るとか劣るとかそういうことではないという話になんだか元気づけられる。読み進めていくのが楽しみ。
- はる@tsukiyo_04292025年6月13日読み終わった「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづける」 この言葉をSNSで知り、読もうと決めた。 以前読んだ『カフカ断片集』を編訳された頭木さんのエッセイだ。 手術で入院中、一気に読んだ。 入院期間は短かったが、その間、私の話し相手になってくれた一冊だ。 緩やかに素直に綴られていく文章は、入院中でも負担にならず、楽しく読み進めることができた。 普段は当たり前のように受け流していたことを、ちょっと立ち止まって眺めてみるような本だった。 世の中で「良し」とされていることだけではなく、そうではないものも含めて、「これでいいんだ」と、考え方のゆとりを生んでくれた。 読む前よりも、物事を穏やかに捉えられそうな気がした。 カフカの話がたくさん出てきたので、またカフカの作品を読んでみたくなった。 . その水にしっくりなじめる魚は、その水のことを考えなくなる。その水になじめない魚だけが、その水について考えつづけるのだ。 (P139) . カフカは炭坑のカナリアのような人だと思う。他の人が平気なうちから、まず最初に苦しみだす。そして、文学という悲鳴をあげてくれる。それによって、鈍感なこちらも気づける。 私はずっと、カフカというカナリアを頼りに生きている。 (P177) . 『明かりがないと生きていけないという思い込み』 人生のほうも、暗いままなのは同じでも、そうやっていくらか平気に歩いていけるようになるといいのだが、こちらはなかなかそうもいかない……。 ただ、明かりがないと生きていけないという思い込みは、少しは減ったかも。 本のたとえは、懐中電灯と言うのはやめて、今は次のように言っている。 明るい道を歩いているときには、ひとりでもぜんぜん平気です。でも、日が暮れて真っ暗になった道をひとりで歩かなければならないとなったら、やっぱり心細いですよね。そんなとき、いっしょに歩いてくれる連れがひとりでもいたら、ずいぶんちがいます。そういう人が見つからないときでも、いつもいっしょにいてくれるのが本です。 (P183)
- かにまる@uri7142025年6月13日読み終わった能力主義に対する疑いの心を持て、というところにハッとさせられた 顔や家柄で人に序列をつけたり、評価したりすることはするべきでないとされているのに、能力だけはそれを尺度に人を評価することが公然と認められている。能力のある人がそれに応じた扱いをされることは否定しないが、それを全ての基準にしてはいけない、という内容
- HIRU NE@hirune2025年5月29日読み終わったかつては口のうまい側だった著者が、難病を経験して「言葉で伝えることができない」側に回った。 言葉とは、私たちが互いに覗くことのできない胸の内を見せ合うための有力なツールであって、それと同時に取り返しのつかない摩擦を生む諸刃の剣でもある。なぜ言葉にしてくれないのかという揉め事で百年の恋も終わる。裁判では証言によって罪が決まる。そういえば、私たちは表面的なものを余りにも信じている。 決して悲壮感ただよわせず、淡々と、少しコミカルな感じさえする語り口で語られるエッセイの数々。普通だったらそう考えないだろうというような、葉っぱを日に透かして裏柄から見た葉脈のような。そんなささやかな喜びを示してくれる。 立場の弱い者にしか見えない世界がある。実体験や出会った人々とのエピソードを通して語られる優しい視点。それにじんわり励まされてゆくのは、私もまた同じ側の人間だからなのだろう。
- ミキ@miki___632025年5月25日読み終わったカフカが読みたくなった。 […]もやもやした複雑な感情や感覚が、言葉にできただけのものに置き換わってしまうのだ。だから、ありきたりな表現をしてしまうと、自分の過去までありきたりになってしまう。そうならないよう、どう表現するかじっくり時間をかけて悩んでほしい。安易に書いてしまうのがいちばんよくない。自分の体験を大切にしてほしい。(p.59)
- 凪@nagi2025年5月15日読み終わった借りてきた私の中では「うんこ文学の人」でおなじみ、頭木さんのエッセイ集。 基本的にはそうだよなーと同意して、特に言葉にできること、できないことを、スープの具と液体に例えるのは上手いこと言うなーと思った。 一方で逆張りしすぎと言うか、「さすがにこれは世間の声の方が実感に近いかも」と思う部分もあった気がする。 カフカがとても好きらしく、読みたくなった。 宮古島に移住してべた褒めしているので、本当に?と行きたくなった。 先生のエピソードもなかなか強烈。
- あんこちゃん@anko2025年4月25日読み終わった借りてきた自分が言語化しやすいものを真実を知ったと思い込みそれにこだわり過ぎていた。軽い気持ちで読み始めたらクリーンヒットをくらった。 「本との本当の出会いは、読んだときではなく、その本を思い出す体験をしたときなのかもしれない」 手元に置いておきたい本。
- チャトラビ@beekichi2025年4月5日かつて読んだ「強火で一気にみたいな不幸にはみんな同情してくれる。しかし、とろ火でじっくりみたいな不幸には、人は冷たい」 難病の経験から見えてしまう真理。 泣き笑い所がいくつも。
- amy@note_15812025年3月9日かつて読んだ感想20歳から13年間闘病生活を送っていた頭木弘樹さんのエッセイ集。エッセイの内容は闘病生活のものではなく、頭木さんが考えていることなどをつづった普通のエッセイ 「言葉にしないとわからない」vs「言葉にできない気持ちもある」 収録されているエッセイの一番最初の内容が、まさに「言葉にできない気持ち」に関することだった。いまは色んなSNSで、推しや漫画やアニメや映画なんかを語るために「言葉」が用いられる インパクトの強い言葉はバズワードになり、たくさんの人を惹きつけ広まっていく。まさに大言語化時代なわけである。そんな状況で、とはいえ理路整然と言葉にまとめられないときもある、言葉にできない気持ちもあるというエッセイから出発し、「かわいそう」と思う気持ちは否定されていいのか、映画の上映中にスマホをいじるのはダメなのか、後悔はしないほうがいいのか、など世間一般では否定されがちな思いや環境のことを真摯に考えているエッセイがたくさん詰まっている。 自分の持っている言葉を、そうやって使うことができるのか、という驚きもあったし、それ以上にあらゆることへの慈しみのような眼差しに溢れていた TwitterやそのほかのテキストコミュニケーションがメインのSNSを愛好する人は、やはり言語というものへの親しみや慣れが大きいと思う。そういう人たちに届けたいエッセイ集だった