読書と思索

読書と思索
読書と思索
田中美知太郎
第三文明社
2025年12月11日
18件の記録
  • もふもふ
    もふもふ
    @mof2
    2026年5月23日
  • じゅ
    @greatbear618
    2026年5月22日
  • ぺおり
    @peoringo
    2026年5月16日
  • ぺおり
    @peoringo
    2026年5月9日
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年4月29日
    "わたしたちは良識によって、いろいろな手段を、ひろい関連のなかで、うまく用いるように教えられる時、わたしたちに生得の利己主義がもっている、その盲目性を脱することになるとも言われるだろう。わたしたちの抜き難い利己主義を思う時、わたしたちは、せめて利口な利己主義者になることを、ある意味では、よしとしなければならない。つまり大きな打算は、わたしたちの小さな利己主義を脱皮させるかも知れないのである。しかし恐らく、わたしたちに大きな打算を許し、ひろく手段を見渡すことを教えるものは、むしろ常識であると言われるかも知れない。" (『良識と常識』) 「常識」という言葉の思索により馴らされた その表面に「良識」という言葉が浮き出し、 その「良識」の思索により馴らされた その表面に、今度は「常識」という言葉が より「常識」に磨きをかけて、また浮き出す。 著者は、思索を呼吸のように繰り返す。 この文章にはそのライブ感があらわれている。 文字通り、思索が息をし、生きている(Live)。 "われわれは、それを何か一定した言葉や法則として語ることはできない。それはそのような定形をのり越えるものなのだ。だからわれわれは、良識を一定の仕方で、教えたり、学んだりすることはできない。われわれはただ、自由の心をめざめさせるために、たがいに批評し合うことができるだけだとも言える。" (『良識とは何か』) 言葉を殺すこと、それはその言葉を出入りする「息」の根を止めることではないかと思う。 会話のうちにも死んだ言葉はあり、 沈黙のうちにも生きている言葉はある。 「息苦しさ」とは、言葉どうしの回路が「定形」として固まってしまっているときのサインではないかと思う。 著者の述べていることではなく、ああでもないこうでもないという文章上の放浪そのものにこそ、著者のほんとうに言いたいことが現れているのではないかと思う。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年4月28日
    むかしの人たちは、ひとりいる時にも神と共にあり、集会にも遊戯にも神の臨席を仰いだと言われるが、わたしたちも、ひとりで自分だけの考えを追求する時にも、また人々と議論する時にも、何か真実なるもの、善美なるもの、聖なるものを、遠くに凝視していたいと思う。 (p.33「自分の考えを大切にしよう」) 真剣に考えたり、対話したりしているときは、 祈っているようなものであり、お告げを待っているような状態だとも言える。 だからそこにいない「誰か」に見守られていたいと思うのでは。
  • Blue moon
    Blue moon
    @mimosamimi
    2026年3月17日
  • あつこ
    あつこ
    @atsuko_books
    2026年3月17日
  • つく茶
    つく茶
    @tkcn
    2026年3月4日
  • Si
    @si_rubber
    2026年2月27日
  • ぬる
    @nul
    2026年2月15日
  • benisuzu
    benisuzu
    @benisuzu
    2026年1月4日
    「目次:考えることのよろこび/自分の考えを大切にしよう/自己を知る/自己語る 青年時代の読書/読書いろいろ/私の読書遍歴/書物を買う/私の読書法/私の著作/私の好きなよみもの/読書人のゆめ/良書とのめぐりあい/読書メモの切れ端/学習帳…」
  • yoshi
    yoshi
    @yoshi
    2026年1月1日
  • kyo
    kyo
    @kyo_20251221
    2025年12月14日
  • じゅ
    @greatbear618
    1900年1月1日
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