本を書く (ポケットスタンダード)

27件の記録
gato@wonderword2026年10月3日読み終わった再読引用ディラードは「魅力的な仕事場は避けるべきである。部屋には眺めなどいらない」と言いながら部屋から眺めた風景についてばかり語っているし、「作家は文学を学ぶ。世の中を学ぶわけではない。もちろん、彼は世の中に住んでいる。そこから逃れることはできない。ハンバーグを買っても、飛行機に乗っても、その経験を読者と分かちあうことはしまい」と言っているのに、最終章は丸々スタントパイロットのラームと彼の飛行機に乗ったディラード自身の体験に捧げられているという、韜晦というか矛盾というか、捻くれた書き方に特有の面白味があると思う。 単行本版訳者あとがきの「彼女の文章はジェンダーレスである」「訳していて、彼女の思考に性別を感じなかった」という柳沢さんの言葉、ストックホルム大学で学びフェミニストとしても活動する人の96年当時の言葉だと思うとまた違った響きがある。 ディラードは別に"男ぶってた"わけじゃないし、柳沢さんが言いたかったのもそういうことではないだろう。本書にはこんなくだりもある。 「あなたは結婚なさっているようですな」と、ある男が私に言った。ニューヨークで私の本の出版社が開いてくれたフォーマルな昼食会の席上でのことだった。 「本を書く時間など、どこにあるんですかな」 はあ? 「だって、そうでしょう」とその男は言った。「例えば、庭の世話があるでしょう。ご主人のお客ももてなさなければならないだろうし」 p.31


gato@wonderword2026年9月30日引用世界があなたで終らないことを褒め称えるがいい。あなたが敵を称えるのと同じように。彼から目を逸らしてはいけない。その場から歩み去ってはならないのだ。 p.129

gato@wonderword2026年9月25日再読引用やっぱこの本面白いな。 私は二十フィートの会議用テーブルの助けを借りて原稿を「書いた」ことがある。テーブルの端に沿って原稿を置いていって、仕事を広げるのだ。その列に沿って歩く。要らないものを少し除き、少し移動し、少し掘り起こし、両手をいっぱいにして庭いじりをしている人のように列の上にのしかかる。二時間ほどたつと、途方もなく退屈な九マイルのハイクをしたことになる。家に帰り、足湯をする。 p.77 いまにも死にそうな人のように書くのだ。同時に、読者はすべて死期に近い患者だけであると想定して書くのだ。つまるところ、そういうことなのだから。 p.110
gato@wonderword2026年9月20日再読引用ぱらぱら読んだ『胡椒 暴虐の世界史』の感想で久しぶりに長文を書いたらなかなかに疲れた。だから気心知れたこの本を開いて、アニー・ディラードの言葉に触れたくなった。 A・E・ハウスマン[イギリスの古典学者、詩人]はニーチェとは反対に、ほとんど初めから、「私が詩作をするのは、たいていからだの具合が悪いときである」という態度を保持した。これもまたよくわかる。本を書くには、元気すぎて困るということもある。 p.15 スケジュールは理性と秩序の模型である。それを望み、でっち上げ、そして現実のものにするのだ。それは時間の破滅の中に仕掛けられた平和であり、安息の地である。それは何十年も後に、まだ生きている自分が乗っているはずの救命ボートにもなる。毎日が同じで、あなたはあとでその連統をぼんやりした、しかしながら強力な模様として思い出すのだ。 p.22

- さみ@futatabi2026年9月15日読んでるするするとは読めず、選びぬかれたことばひとつひとつにあたまのなかは充実し、思考は立ち止まっているけど、気分は四肢が踊りたがっている感じ。著者の書きたいこと、言いたいことのほんのすこしもわたしは理解していないと思うが、このエッセイをあいするひとがたくさんいるのだろうなという感覚はなんだか理解(それを遠目で見ているのでもない。ただ理解)。浮世離れしたようでものすごく現実的に、不要なものを削いで削いでけずりあげられた鋭利なもので書かれているというか……読んでるあいだ妙に集中できずぽわぽわする、それがなぜかをわかりたい。

さや@saya_shoten2026年2月5日かつて読んだnoteより引用。 私が参加していた読書会は予め読んでおく必要はなく、読む本を持って行けばOK。用意できなければ、主催者にプリントしたものを配布してもらえる(コピー代は有料)。 読書会は90分で、改行ごとに読む人を分けて、声に出して回し読む。途中で感想を言い合う時間が設けられていたり、最後にお茶とお菓子の時間があるのも楽しみの1つだ。 今回は、第3章を5人で読んだ。 章の冒頭には毎回詩か何かの一節が載っているのだが、第3章はこんな具合だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今日もまた一日働いては一ドル稼ぐ暮らし がんじき履いて十四時間、ああ、パイが食べたいな。 ーーーメーン州のわな仕掛け人の日記より ーーーーーーーーーーーーーーーーーー-- 1ドルが日本円で幾らなのか分からないし、「がんじき」も聞き慣れない。雪駄みたいなものだろうか。パイはきっとアップルパイではなく、食事用のパイだろう。メーン州がどこかよく分からないし、「わな仕掛け人」の生活形態も謎だ。猟師や木こりに近い感じだろうか。冒頭だけで「?」が渦巻くのだが、異国の話を想像で補いながら聞くのは楽しい。 第3章では(第3章でも)、「書く」とはどういうことか、あらゆる表現で語られている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「ライオンを部屋に入れて!」と、私は叫んだ。 しかし、ライオンはいなかった。私は毎日を一匹の犬と一匹の猫とともに過ごしていた。彼らの身振りのすべてが、今日という日は一日中、頭のいい生き物は寝て過ごすのだということを強調するものばかりだった。私は自分自身をクランク代わりにしてエンジンを始動させるしかなかった。 エンジンを始動させるために、私はジャッキの上に立って自分自身を吊り上げた。自分自身をボルトのように引き締めた。からたを万力の締め具の中に入れて圧力が十分に高まるまでハンドルを引き上げた。私は正確に計った用量のコーヒーを飲んだ。それはなかなか微妙な問題だった。腕のいい麻酔専門医顔負けの、用量に関する微妙な判断が必要だった。コーヒーが効果を上げる分量の幅はごく狭い。量が足りないと役立たずで、適量を越えるとまったく逆効果だった。 【エンジンを掛ける】 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー しかし今度は、ああ、私はあまりにも強くクランクを入れてしまった。もうレコーダーを吹くことはできない。軍隊らっぱが必要だ。ピアノなら壊してしまいそう。キャビンのまわりでなにができるか。割るべきまきはない。金属用の弦のころで切らなければならない仕事があったが、そんなものはこの際繊細すぎる。赤ん坊を養子にするとか、授業のカリキュラムを作るとか、ヨットで海に出るとか? 犬は片目を開けて、上目遣いに私を見て、再び目を閉じる前にとろんとして白目を見せた。道徳的な動物になど餌を与えてはならない。彼らがそんなにえらいというのなら、彼らが書いた本はどこにあるというのか?おなかが空いて死にそうだった。が、食べるなんてもってのほかだった。吐き気はこのエネルギーを鎮めるかもしれないが、食べたらこのエネルギーはなくなってしまう。 【エンジンを掛ける】 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 犬も猫も飼えなかった私には大変羨ましい環境だが、冷静と狂気の狭間を漂う著者の頭の中を、他者の声を通して知るのは面白い。


米谷隆佑@yoneryu_2025年12月5日読み終わったアニー・ディラードは一九四五年生まれの"女性"であるが、訳者があとがきに記した気づきが面白い。 "もう一つ興味深いことは、彼女の文章はジェンダーレスであるということ。 訳していて、彼女の思考に性別を感じなかった。いやあえて言えば、書くときに自分を女性とは思っていないのではないか、というほうが正しい。男性の言葉で書いているとも感じない。性のカテゴリーとボーダーを超えた人間として書いているのかも知れない。" 書くことの覚悟を、哲学と豊かな比喩表現で記される本書は、一度読むだけでは足りない満足感に襲われる。もっと書く生活を送ってから読めば、また見え方が変わるかもしれない。 表紙の写真を上田義彦さん、巻末のエッセイにBOOKNERD店主の早坂大輔さんと、〈好き〉な対象が本文をサンドしていて、二人のファンにとって良書。
Reino@Reino2025年11月9日読み終わった数年前、書店で装丁に惹かれて購入したまま、ずっと机の上に目に入る位置で置いたままになっていた。 ふと気が向いて読み始めてみると、「本を書く」方法ではなく「本を書く」行為が丁寧に描かれており、文学を書く苦しみを追体験するかのようだった。
みどりこ@midorikko_032024年9月14日読み終わったいや、想像してた本と違った。帯の須賀敦子が決め手で読みたくて読んたけど私にはまだ早かったかな……。コレは翻訳大変だっただろうなぁ〜。読み直すことでわかるようになりたい。




















