あわいの力

8件の記録
  • Tsukusui
    Tsukusui
    @tsukusui
    2026年9月22日
    心(こころ→自意識 おもひ(乞い}→能 心(しん≒芯≒神  →以心伝心 能楽堂に行くことは、時間という枠組みから自由になること 手毬唄の拍子(リズムと違う メロディやリズムではなく身体の状態を真似る 純粋数字が東洋では情緒(易など)となり、西洋では論理となる 能の謡では「掛詞」を使い〜ひとつの言葉にいくつもの意味を重ね合わせて人間の感情のひだを表現し… 稽古は、心(しん)の状態に到達することを身体で学ぶ〜心(しん)が深層からポーンと出てくる、そういう状態を作り出すために稽古の場と時間がある 予定調和のリズムを生きるのではなく、いまここを刻む拍子を生きるのが、あわいの力 内臓の同期(スプランクニゾマイ ユートピア→内臓→身体→輪郭→外部       (儀礼) そこを訪れる人たちに、心とからだの愛撫をほどこし、身体の輪郭、有限性を思い出させ、それと同時に、そのゆうげんせころユートピアであることを知らせます。それによってはじめて、俗世間で外へ外へと向かって生きる人たちが、自分の内にも世界を見出せし、豊かな生活を送ることができるのです。 アッカド語 知恵、こころ→耳 たとえば、舞台上でただ座る。それは、高速で回転している駒のように座れ、と言われる。
  • 先日読んだ本にご登場されていた安田登さんの著書が気になり、桜木町にある「STORY STORY YOKOHAMA」で偶然見つけ、購入しました。 最初のページを開いてからもう、一気にワーッと拝読させていただきました…! 安田先生の濃ゆいご経験から語られる、「心」とは、「あわい」とは何なのかについて、ひとつひとつの言葉が、胸に響きました。 文字は次の世代へ知識や歴史を継承していくために大事なものです。ただ、「文字」にしてしまった、「言葉」にしてしまったからこそ、存在するようになってしまったものは少なくないのではないでしょうか。 確かに今の時代、曖昧を嫌うというか、何もかもはっきりしなければならないという傾向が強いように感じます。自然科学至上主義というか、感覚的なもの、抽象的なものは排除されていっているのかも知れません。 (科学者ではないのであくまで推測なのですが、実際の科学の世界は「こうなんじゃないか?」という想像力が重要な気がします。やれエビデンスだなんだと目に見えるものを求めるのは、そういった業種から離れた人たちだったりするような…?) また、古来の日本の感覚はどことなくスピノザやウィトゲンシュタインに近いところがあるのかもしれないな、と思いました(哲学初心者の感想なので、的外れかもしれません)。 そして余談ですが、私も以前、誰もいない山の中で足を滑らせたことがありました。ひっくり返ったはずみで見上げた先は、何十メートルもあるんじゃないかと思うくらい高い木々で囲まれ、その生い茂る葉の隙間から優しく陽が差し込んでいて、「ああ、死ぬなら今がいいな」とぼんやり思いました。あの瞬間が、「死」というものを明確に意識した瞬間でもあり、私にとっては自分の体を媒介し、自然と一体になった瞬間だったように思います。
  • ルリオ
    ルリオ
    @rulio
    2026年5月12日
  • katam
    katam
    @katam
    2025年10月11日
    スプランクニゾマイ=内臓が動く 英訳 compassion 和訳 憐れみ
  • 夏河
    夏河
    @myhookbooks
    2025年9月30日
  • 昆布川
    昆布川
    @knbwkmmz
    2025年9月27日
  • katam
    katam
    @katam
    2025年9月20日
    言葉、心、身体、能。面白い。寝る前に少しずつ読んでる。
  • ぼんたん
    @bontan
    2025年8月28日
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