探究(1)
14件の記録
寝待月@lesoleil2026年2月17日読んでる読み終わったまたいつか他社、外部に関するものが読みたくて買ったもの 理解できたようなできてないような…… ただやはりおもしろい! かんそうに関しては僕の解釈が間違っているかもしれないが、また再読するときの参考にしたいためメモ程度に羅列していく! (間違っていたらすみません) 私が共同世界から隠れられないというのは、私が私自身から隠れられないというのと同じ、私は私の考えていることを知っているだろうか、というより、内的な過程が実在するだろうか ここ、なにがびっくりしたかというと、過去にふと自分が考えていたことだからだ、僕が何か言葉を発したあと、伝えたあと、なんでぼくはこう思ったんだろう(これは思ったこと感じたことについて理由はわかるが、その詳しい過程を辿れないことに気づいて感じた疑問)と感じ毎度反芻するが、わからない、なんでここにたどり着いたのか……というのと同じに感じ感動した 規則はあとから見出される、だからぼくは分からなかったのだ また、「話すー聞く」が結局は独我論に収束せざるをえないが、「教えるー学ぶ」という関係においては、非対称的な関係にあり、ここで他者との出会いを可能にしている。 対話は言語ゲームを共有しない者との間にのみある、それはそうなのかもしれないが…言語ゲームを共有している者の間でも教える学ぶの関係はあり、僕の中ではそこから他者に出会っているとも感じる。 探究IIも楽しみ!
ふじQはや○@fujiq-hayamaru2025年11月16日読み終わった気まぐれに線をひきながらじっくり読む。教える-学ぶの非対称性こそ独我論(モノローグ)をのりこえ、「他者」との"対話"をはじめられるという話。交換のあと、事後的に意味や規則、価値は見出される。マルクスとヴィトゲンシュタインの話だった。
blue-red@blue-red2025年10月26日再読した哲学・思想講談社学術文庫ウィトゲンシュタインの言語ゲームを核にして、「他者」とは何かを探る本。色んな哲学者・思想家の言説を紐付けながら思考を広げていくさまには舌を巻く。「話す-聞く」の立場から「教える-学ぶ」の立場で言語に接することで「他者」が現れるという視点は面白い。 言語ゲームの規則を共有する者の集まりが共同体であり、共同体と共同体の間、すなわち言語ゲームの規則を共有しない者との接触で「他者」が現れるというの全くその通りだろう。だが、別に共同体を離れるような仰々しいことをしなくても、言語ゲームの規則のすれ違いは誰とでも常に起きるので、そこに敏感でいることが「独我論」から離れる秘訣だと思うな。少なくとも日常レベルでは。 ウィトゲンシュタインと並んでマルクスの資本(の中の貨幣論)も議論のウエイトを占めるが、これもものすごく雑に平たくまとめると、商品や商売のおかげで「他者」と出会えるよねという結論になるな。うーむ、自由市場経済万歳。 しっかし、ドストエフスキーの小説で出てくる、あのねっちこい陰キャラ感全開の予防線張りまくり長回しセリフたちにこんな高尚な意味があったとは!? バフチンのポリフォニー理論は知っていたつもりだったが思わず本当かよとツッコミまずにいられない。
ivory79@ivory792025年4月29日読み終わった独我論と他者についての論考が手を変え品を変えくりだされる。対話を話し手-聞き手ではなく売り手-買い手の関係にたとえ、物を売ることにひそむ暗闇の中の跳躍を経由することで言語ゲームの外に属する他者へと言葉をつたえることの不可能がわかりやすく示されている。










