探究(1)
11件の記録
ふじQはや○@fujiq-hayamaru2025年11月16日読み終わった気まぐれに線をひきながらじっくり読む。教える-学ぶの非対称性こそ独我論(モノローグ)をのりこえ、「他者」との"対話"をはじめられるという話。交換のあと、事後的に意味や規則、価値は見出される。マルクスとヴィトゲンシュタインの話だった。
blue-red@blue-red2025年10月26日再読した哲学・思想講談社学術文庫ウィトゲンシュタインの言語ゲームを核にして、「他者」とは何かを探る本。色んな哲学者・思想家の言説を紐付けながら思考を広げていくさまには舌を巻く。「話す-聞く」の立場から「教える-学ぶ」の立場で言語に接することで「他者」が現れるという視点は面白い。 言語ゲームの規則を共有する者の集まりが共同体であり、共同体と共同体の間、すなわち言語ゲームの規則を共有しない者との接触で「他者」が現れるというの全くその通りだろう。だが、別に共同体を離れるような仰々しいことをしなくても、言語ゲームの規則のすれ違いは誰とでも常に起きるので、そこに敏感でいることが「独我論」から離れる秘訣だと思うな。少なくとも日常レベルでは。 ウィトゲンシュタインと並んでマルクスの資本(の中の貨幣論)も議論のウエイトを占めるが、これもものすごく雑に平たくまとめると、商品や商売のおかげで「他者」と出会えるよねという結論になるな。うーむ、自由市場経済万歳。 しっかし、ドストエフスキーの小説で出てくる、あのねっちこい陰キャラ感全開の予防線張りまくり長回しセリフたちにこんな高尚な意味があったとは!? バフチンのポリフォニー理論は知っていたつもりだったが思わず本当かよとツッコミまずにいられない。
ivory79@ivory792025年4月29日読み終わった独我論と他者についての論考が手を変え品を変えくりだされる。対話を話し手-聞き手ではなく売り手-買い手の関係にたとえ、物を売ることにひそむ暗闇の中の跳躍を経由することで言語ゲームの外に属する他者へと言葉をつたえることの不可能がわかりやすく示されている。










