イデオロギーの崇高な対象

イデオロギーの崇高な対象
イデオロギーの崇高な対象
スラヴォイ・ジジェク
鈴木晶
河出書房新社
2025年6月6日
11件の記録
  • るり
    るり
    @utatanest
    2026年5月31日
    わかるようでわからない、わかるかも、を繰り返しながら何度も読み返している。噛み締めるように。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2025年12月20日
    「モナドの中では、現在の配置が直接に過去の配置に満たされている限り、言い換えればそれが純粋な反復である限り、「時間は止まる」。反復は「時間の外に置かれている」。 …… したがってモナドとは不連続・断絶の瞬間であり、その瞬間に線的な「時間の流れ」は停止され、「凝固」する。なぜならモナドの中には、一般的な歴史によって確立された連続から押し出され、抑圧された過去が直接的にーすなわち連続的時間の線的な継起を迂回して一反響しているのである。」 p.266 「モナドのたまゆら」 読んでいてふと、そんな言葉が出てくる。 美しい響きとは、「抑圧された過去」の連続と その接触により奏でられる「今・ここ」の音楽。   たまゆらに昨日の夕見しものを   今日の朝に恋ふべきものか   (柿本人麻呂) 「曲玉の二つ三つ糸に通して静かにゆると 玉が触れ合ってかすかな音がする。 この音を治子は“たまゆら”と言っていた。 ——私は曲玉の古代の人を思ってみた。 古代の人がなにかと身を動かすにつれて 曲玉の“たまゆら”が聞こえたのだろうか。 ——私は古代の人の愛の時の“たまゆら”を 思ってみたのであった。」 (『たまゆら』川端康成) 川端康成の小説には、「モナドのたまゆら」 ——彼の「抑圧された過去」たちの触れ合い による、かなしくも美しいかすかな響き—— がその通奏低音として含まれている、 そんな気がする。 心に響いてくる小説とは、 人麻呂の歌うところの 「今日の朝(けふのあした)」 とも言えるのでは、そんなことを思う。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2025年12月11日
    「(『高慢と偏見』における)ダーシーの高慢さは、彼とエリザベスとの関係にかかわりなく存在している単純で肯定的な状態ではない。つまり彼の本性の直接的特性ではない。それはエリザベスの偏見の立場から見たときにのみ生じ、姿をあらわすのだ。その逆もまた然りで、エリザベスは、ターシーの傲慢な視点から見たときにのみ、うぬぼれ屋で愚かな少女なのだ。このことをヘーゲルの用語で述べるとこうなるーー他者の中に見つけた久点の中に、われわれは、それとは知らずに、自分自身の主観的な立場の虚性を見出すのである。他者の欠点とは、われわれ自身の視点の歪みを客体化したものにすぎないのである。」 自己の欠点が他者の虚性を照らし、他者の欠点が自己の虚性を照らし出す。ここがものすごく興味深い。 他者の欠点に怒りを覚える、怒りとは信号であり、その瞬間に自己の欠点が炙り出されているということに気づかねばならない。 イワンの傲慢がスメルジャコフの卑屈を肯定し、同時に得体の知れない怒りを察知する。そしてスメルジャコフの卑屈が父殺しへと成就し、イワンの傲慢をへし折る。「カラマーゾフ的」とは、この血族どうしにより照射された欠点と怒り、それに導かれ引き出される行為そのものであるということ。 無意識の願望に気づく、その鍵は「怒り」にあるということ。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2025年10月19日
    「道徳律は、現実(リアリティ)によってわれわれに課せられた限界をいっさい考慮しない無条件の命法という〈現実界(リアル)〉である。それは不可能な命令なのである。「おまえはそれができる、しなければならないのだから」。社会的法はわれわれの恒常性(ホメオスタシス)を調整する。道徳律は、無条件の強制力という要素をもちこむことによって、その恒常性の中に不均衡をつくりだす。カントの究極の逆説は、このように理論的理性よりも実践的理性が優位に立つということである。われわれはまさに定言的命法の「非合理な」強制力に屈服することによって、外的な社会的拘束から解放され、自律した啓蒙された主体に特有の成熟を達成することができるのだ。」 p.157 どんな残虐な行為でも、それが道徳律に準ずるのであれば実行される。 道徳律は自己の限界を超えさせる霊力持つということ。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2025年10月15日
    「精神分析における知の特徴は、それが致命的な次元をもつことである。主体は知を手に入れる代わりに自分の存在を失わなければならない。言い換えると、誤認を解消することは同時に、誤認の形態ー幻想の背後に隠れていると思われていた「実体」を解消・解体することを意味するのだ。この「実体」ーー精神分析で認められている唯一の実体ーーは、ラカンによれば、快楽jouissanceである。」 p.133
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2025年10月15日
    「他者の中に見つけた欠点の中に、われわれは、それとは知らずに、自分自身の主観的な立場の虚偽性を見出すのである。他者の欠点とは、われわれ自身の視点の歪みを客体化したものにすぎないのである。」 p.124
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2025年10月13日
    「主体は、その論理に気づかないかぎり、「自分の症候を楽しむ」ことができる。それをどの程度うまく解釈できるかによって、その症候がどの程度解消するかが決まる。」
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