豊かさとは何か
26件の記録
由々@kk_23292026年6月30日読み終わった読書日記教養★★★★★2026年読了本★★★★★2026教養2026@ 自宅p.232-246/246 --- "公共とは、お上ではない。"(p.233) "これまで多くの労働組合が、いわゆるモノ・カネの目にみえる物質的な要求だけに重点を置き、労働のよろこびがかんじられる職場、人間性の尊重、共存の原則というものに熱意を示してこなかったことは、労働組合が、そのまま資本の論理にからめとられ、そのおこぼれをかすめ取ることに満足してきたからだとしか考えられない。つまりそのような一面的な労働運動は、豊かさの実現からははるかに遠く、豊かさをむしろ歪めてきたかもしれないのである。"(p.239) "たとえば、日本では、経済価値のモノサシのために非効率な農業を亡ぼし、輸入に依存しようとする主張が、まかり通っている。"(p241) "技術は、失敗が許されるゆとりのある技術を使うこと(原発のようなギリギリの技術を使うことは、自然や人間にとって危険であるばかりでなく労働そのものを非人間的にする)。他者を傷つけない技術を、高い技術と考える。"(p.243) "第三世界へのモノとカネの援助が、その国を豊かにすることにあまり役立っていないのも、足もとの自国での豊かさのありかたに、もともと大きな問題があるからではないだろうか。"(p.245) --- 抜粋箇所に関連して。 大学院で自分の研究に関連してちょっと齧ったけど、英語の「public」と違って日本語の「公共」は、正反対とも言えるような2つの意味のどちらにも使われうるという話。ここをちゃんと認識して言葉を使わないと話がややこしくなるよなと。公共とはお上ではないというのは、その日本特有の方の意味を排して英語のpublicに倣った方という理解。 あとは長年なされてきた日本のODAハコモノ援助批判を、こういう観点で分析してあるのは初めて見て、目からウロコという思いでした。けどほんまにそういうことやなと思う。しっくりきすぎる。 そして、原発の話も、ミヒャエル・エンデ『モモ』からの抜粋も、色んな本が自分の中で有機的にリンクしていくのはとっても大切な読書の楽しみ。この有機的度を上げていきたい。
由々@kk_23292026年6月26日まだ読んでる読書日記抜粋@ 電車p.206-232/246 --- "人権の領域にまで経済競争が持ちこまれ、貧富の格差は死に至るまで当然とされている。日本がアメリカ型福祉に追随すれば、いずれ経済の豊かさは人間の豊かさを奪って、かえってその後始末に財政支出は大きくならざるをえないだろう。"(p.215) "商品化された福祉に不安のたねはつきない。金で福祉の質は買えない。自立自助の土台を国が支えない限り、人権は金銭では解決できないのである。"(p.217) "福祉行政が助けるべき人を助けないのは、殺すことでもある。"(p.217) "すべての国民は困窮に陥ったとき、その原因のいかんを問わず、無差別平等に、国家の責任において、健康で文化的な生活ができるよう、生活保護を受けることができる、と、生活保護法第一条、二条、三条は定めている。"(p.219) "一九八一年、第二臨調の発足の頃から福祉抑制策はきびしくなり、厚生省の一二三号通知「生活保護の適正実施の推進について」が出されたあとは、生活保護の受給者の数を半数まで減らすことが行政の目標になった。(略)その結果、一九八七年度には五百五十三億円の生活保護費が余ったのである。"(p.220) "社会保障や住宅問題の貧しさを通して知ることができるのは、人間にとって最も大切な生活の土台が保障されていないことである。そのために生活はくずれやすく、もろくなっている。 保障がないために貧富の格差が緩和されず、貧しいものは自己責任として社会からおちこぼれ蔑視される。それを見ている人びとは、おちこぼれないために必死に働き、貯める。これでは、ゆとりも心の安らぎも得られない。 その国の豊かさは、最も困窮している人に対してどのような処遇をしているか、によって証明される、というが、その通りである。強者には政治はいらない。弱者のために政治は必要なのである。"(p.224) --- 生活保護の話、その水際対策の話は、まさにこの前読んだ『護られなかった者たちへ』をめちゃくちゃ思い出しながら読んだ。
由々@kk_23292026年6月23日まだ読んでる読書日記抜粋@ 電車p.189-206/246 --- "困窮のなかで年中イライラし、疲れた顔の両親のもとで育つ子供は、はたして幸せでしょうか。"(p.193) "あらゆるものを私有財産に解体してしまったようにみえる資本主義社会でも、じつは、税金の形で再び共有部分を作り出し共同体的な支えに支えられて、各個人は生きているのである。社会資本とか社会保障という、社会化された共有部分は、封建時代とは異なり、民主的な合意と参加によって運営される。"(p.199) "共同部分を削減して、私有部分をできるだけ拡大し(いわゆる規制緩和)、経済競争のもとに弱肉強食の社会ダーウィニズムを貫こうとする民活路線"(p.199) "民主主義社会が多数の人びとの合意を基礎にして運営されるものであるなら、合意を形作るのにふさわしい土台一一つまり生活の必需の領域での平等と、主体性ある意見をのべる自由一一を、社会の中に築いていかなければならない。"(p.202) --- この本は私が生まれた1989年に発行されてる。これまでの私のイメージでは、その頃というのは、日本社会の中でのこの本に書かれているような内容の部分については、いまよりももっと「マシ」な時代やったんやと思ってた。所謂「あの頃は良い時代やった」的なやつ。けどそうじゃない、それは多分この1989年(平成元年)よりもさらに前の時代の話で、この年にはもう37年後の今現在の日本社会に続くクソ社会が始まっていってたんや、ということがよくわかった。 時代の感覚というのは、自分の物心つく頃よりも前のことは、当たり前やけどどうしても解像度が下がってしまうけど、古い本を読むというのはその解像度を少しでも上げられる最善の方法の一つやなと改めて。

由々@kk_23292026年6月9日まだ読んでる読書日記抜粋@ 電車p.160-180/246 --- "つまり働き蜂で余暇を持たず、所得は節約して貯蓄に回し、自己責任で人生のすべてに対処する、という基本原理は、明治から今日まで、政財界によって磨きあげられてきた社会思潮であるといえよう。"(p.173) "その貯蓄が、金融機関を通して企業の資金とともに土地の値上りに使われ(十以上の大銀行が、不動産業を営むリクルート社に一兆七千億円もの融資をした(略))、勤労者が一生働いても住宅が持てなくなったとは、何という皮肉なことだろうか。あるいは海外の不動産を買いまくる企業にたいして、ハワイやオーストラリアの住民から、外国人に不動産を売ることを禁じる法案が(略)、市民運動が起っているというのも、そしてまた、国民の貯金がアメリカの国債に変わり軍備を助ける結果になっていることも一一なんという皮肉な結果だろうか。"(p.173) "国民の生活基盤の方はそっちのけにして、産業基盤整備を優先し、企業に対して手厚い保護助成策をとってきた日本の政府は、続発する公害に対しても、たえず住民を犠牲にして産業を守ってきた。その同じ体質は、住宅政策にもはっきりとあらわれている。国民の住宅は、「個人の自己責任」とされ、人間生活の基本であり、それゆえに基本的人権のひとつであるという考えに立った住宅政策を、政府は考えようともしなかった。"(p.178) "効果の少ない金融措置だけをとり(借り手が少なくて予算が余り、セカンドハウスにまで融資している)、好ましい公営住宅(こちらの方は何十倍という抽選になる)はごくわずか。地価は高騰するに任せ、国民一般への家賃補助政策をとることもなかった。"(p.178) ---
由々@kk_23292026年6月7日まだ読んでる読書日記抜粋@ 電車p.145-160/246 --- "ヨーロッパのように、男性も労働時間が短く、有給休暇も長く、ゆとりある労働条件のなかでならば、男女の平等と保護は、容易に両立する。しかし、労働時間の短縮が伴わない男女雇用の平等は、女にたいして、「子どもを育てたいのなら、退職したら」という勧告になり、仕事をあきらめなくては、出産も子育てもできない、という差別を女性に強制する。しかし、それでは、女は、自分の能力を発揮することも、経済的自立をすることもできない。そして、そのような男なみの労働を女に強制する男女平等は、非人間的な労働条件から、男をも解放することはないだろう。"(p.154) --- ねむくてねむくてあんまり読めず…。
由々@kk_23292026年6月4日まだ読んでる読書日記抜粋@ 電車p.107-145/246 --- "カネをためることには限りがないが、人生の時間は有限である。"(p.107) "個人にとってもある程度のストックがゆとりを生むように社会の中にもストックが必要なのである。"(p.108) "本当の自分の欲求に直面するのをさけて、働き蜂を誇りに思うナルシシズムの人はあとを断たない。そんな人に限って、本当に社会のために、地球市民として、報いを求めない行動をとらねばならぬときになると、冷淡になる。 それだけでなく、生活を大切にする人を、怠け者呼ばわりにするのは、困った風潮である。生活から遊離した人間の判断力など、所詮、病的で貧しいものであるにすぎないのに。"(p.136) --- 読みやすい…。
由々@kk_23292026年5月27日まだ読んでる読書日記抜粋@ 電車p.65-97/246 --- "もし、かりに、豊かさを物量の多さだと考えるにしても、その豊かさを再生産する条件を、自然は、もはや持っていないからである。"(p.83) "個人の幸福を主観的なもの、として片づけることは、最も簡単な片づけ方であるが、個人の幸福には、他人にも共通し、影響しあう共通部分がある。この幸福の(あるいは不幸の)共通部分を向上させることが、生活水準向上の核心であり、個人の幸福につながる共通部分を、貨幣的、非貨幣的、あるいは社会の状態と活動などのあらゆる視点から包括的に捉えようとしたのが生活水準論であった。"(p.94) ---
由々@kk_23292026年1月6日まだ読んでる読書日記抜粋@ 電車p.47-65/246 --- "図1 まるで比較にならない日本と西ドイツの地価"(p.55) "これでは、平均賃金の国際比較は無意味である。"(p.57) ---













