大邱の敵産家屋
13件の記録
Sanae@sanaemizushima2026年6月20日読み終わったこの本は狙って買いに行ったものではなく、本屋の棚から偶然見つけたものだった。ちょうどこの後に読もうと思っていた「朝鮮植民者」に解説を書いている方が著者だということで、いい巡り合わせで読むことになった。 大邱は保守の牙城とも言われており、今回の選挙でももちろん保守が勝った。しかしそんな大邱は「朝鮮のモスクワ」と言われるほど、植民地期から左派が多い都市として有名だったそうだ。朴正煕による徹底的な弾圧で激変、改めて朝鮮半島の軍事政権下の凄まじい動きを感じた。 大邱に入植した日本人によって作られた建築物を日式家屋、韓国人の間では敵産家屋と呼ぶ。それが北城路に多く残されており、50年代には町工場となり、2000年代に郊外に移転するまでのエピソードが印象的だった。若くして工場に入り、実践で身につけていった高い技術を持った職人たち、その職人同士の協力体制。読んでいて痛快な気持ちにもなる。 そして、2000年に入ると郊外に大きな工業団地ができ、散り散りになった職人たちの行方、残された北城路の地域創生の苦戦、丁寧な取材でとても面白く読んだ。 どうして45年朝鮮解放後も敵産家屋を使い続け、さらに郊外転出したあとの古い家屋も壊さずに使い続けたのかという疑問に著者はナンシー・フレイザーをひいていた。 「植民地支配の痕跡を色濃く残す北城路の保全が、現在のグローバル化する新自由主義資本主義への異議申し立てとなりうるのではないか。」 「敵産家屋は市民運動の抵抗の拠点となる」 (p175) 侵略された歴史を持つ国が、どのように考え、まちづくり、社会づくりを進めているかということ、こないだ韓国の大統領も言ってたけど、“真のパートナーシップを築くためには”って、私たち日本人はもっと韓国のことを知る努力をしなきゃいけないんじゃないかと思った。韓国はずっと胸襟を開いて待っている。 この研究を本にしてくださった著者に感謝したい!





白玉庵@shfttg2026年5月11日気になるSanaeさんの投稿で知った。 台湾で日本統治時代の建物がきれいにリノベーションされて活用されているのを見るたびに非常に複雑な気持ちになるのだが、この本を読んだら、植民地化された人たちの考えに触れることができそう。読みたい。信頼の共和国だし。









本屋lighthouse@books-lighthouse2025年11月28日読んでる北城路で働く人びとはよく「ここに来ればすべての問題を同時に解決できる」と言って北城路を自慢するが、リノベーションに関連する具体的な作業を実際に進めるにあたって、しばしば周囲の工具商人や町工場の技術者たちの助けを借りる人は多い。「このようなことがしたいのだが」と相談すると、北城路で働く人びとは「それだったら、あそこに行って相談してみろ」「それだったら、こうすればよい」と、次々に解決方法を教えてくれる。もちろん、彼らがリノベーションそのものを肯定的に捉えているわけではないし、北城路にやってきてカフェなどを始める人や、北城路で作品を展示しようとする芸術家に対して理解を示しているわけでもない。(中略)。今も、北城路で働く人びとには「ここに来れば、すべての問題を同時に解決できる」という自負がある。だからこそ、リノベーションを契機として入ってきた人が困って相談に来ると、「なんでこんなことをするのか、まったくわからない」と言いながらも、その問題を解決するためには何が必要で、その必要なものを買うにはどの店に行けばよいのか、必要なものを作るにはどの町工場に行けばいいのか、といった問題の解決方法を教えてくれるのである。(p.157-158)








もぐもぐ羊@sleep_sheep2025年4月18日本棚の積読著者の松井理恵さんの出版記念イベントで斎藤真理子さんとのブックトークを聴きに行ってしまったのですっかり読み終えた気分になっていたけど未読の積読なのである… 「敵産家屋」は韓国語で「적산 가옥(チョクサンカオク)」と呼ばれているが、ハングル表記では漢字の意味が抜け落ちてしまい、今ではレトロな建物を指すことが多く解放前に日本人が建てた日本家屋であることにすぐに結び付かなくなっているようだ。 またリノベーションして店舗などに活用され人気らしい。 イベントの時に斎藤真理子さんが教保文庫の新刊情報に『敵産家屋の幽霊』という小説のタイトルを見つけたというお話をしていて、どんな小説なのか気になったまま2年経ってしまった。
ユウキ@sonidori7772025年4月13日読み終わった植民地時代の日本の家屋(敵産家屋)を地域コミュニティ内で補修しながら使用していくこと、その歴史を残していくことが、そのコミュニティの肯定に繋がって、現代の植民地主義たる新自由主義的グローバリズムへの抵抗に繋がっていくのが今まで考えたことのない視点で興味深かった。 文中にあった植民地主義を批判するためには犠牲者主義ナショナリズム・加害者と被害者の二元論を乗り越えなければならない、というのをもっと考えてみたい。










