こどもの頃のこわい話 きみのわるい話
58件の記録
いぬい@inuiru2026年6月3日読み終わった子ども時代を思い返すと「あれはなんだったんだろうな」ということが結構ある。そもそも私はメチャクチャ生々しく、しかも長編の夢を、繰り返し見る体質だったので、夢と現実の区別がつかないところがあり、いま思い出しても「たぶん夢だったんだと思うが、それにしては妙に鮮明なんだよな」となることが多い。 この本はタイトル通り、そういう「子ども時代のこわかったこと」を聞き書きで集めている。「おとなが過去のことを思い返して語る」かたちなので、どれもなんだか悪夢っぽい。 「犬屋敷」「それはベス」「病院獣」などは犬の話っぽかった。毛の長い犬のような獣の夢は私もよく見た。しかし狐狸の霊とはよく聞くが犬の霊というのはいるんだろうか、犬は基本的に陽気なのであまりこの世に留まるイメージがない。 わりと好きだったのは「花なら蝶」 " 『君が花なら僕は蝶』という正気を疑う一文からはじまるその手紙を、美佳子さんはすぐに捨ててしまった。" ひどい言い草すぎて笑ってしまったがブスからラブレターもらうのって思春期の子どもには不名誉なことなんだろなあ。で、その厭〜な感じの話にふいに差し込む白昼夢……はこわがるとこなのかも知れないが私は「夢のなかで見る夢」みたいで好きだった。 「きつね」「焼肉ハナ」「おばけの世界」あたりの、現実が裏返される感じも好きだった。 " 「もちろん、ちがいます。当時の友だちとはもう付き合いないんですけど、妹にはちゃんとそのときの記憶がありますから。そもそも、蛙坂さんにこの話を聞いてもらったら? って言い出したの、妹なんです。よかったら電話で確認してみます?」 幸いにも、妹さんはすぐに電話に出た。 真希絵さんが見たという「きつね」について、おぼえていることがあればなんでも話してほしい、と頼んでみたところ、「ごめんなさい。そんな記憶は全然ないし、わたし、怪談って好きじゃないんです」 迷惑そうに電話を切られてしまい、真希絵さんは困惑の表情を浮かべていた。" 「信頼できない語り手」みたいな感じもあるな。 「焼肉ハナ」では友人一家と訪れた奇妙な焼肉屋のことが語られるが、その友人に話したところ「そんな事実はないが、そういう夢は見た」と言われる。「そういや、おまえ夢のなかの奴と似てるな」他人の夢と現実がつながるのってこわい。 「おばけの世界」では母とふたりで暮らしていたはずの語り手が「おばけの世界」とやらに連れて行かれ、どうにか自宅へ帰るとなぜかそこには「両親」がいた、という。存在感の希薄な父親、あるいは「新しい」父親とかを受け入れる儀礼的なもの……ってもっともらしく解釈することもできるんだけど、父親のいない世界といる世界、パラレルに行き来したのかもと思うとヒュッてなるよね。語り手が「もういちどおばけの世界に行きたい」と言ってるのが印象深い。 かかわったひとが死んだみたいな話も結構あるんだけど、「なんだったん?」みたいなこわさのほうが好き。 それにしても竹書房怪談文庫なんてレーベルがあったんだなー。
ゆいちゃん@yui__arm2026年5月31日読み終わった感想実話怪談集。 1話1話が短いので、読み切るのに根気がいる(短編の方が読むの疲れるの、私だけ?)。 けっこうじとっとする質感の怖さなので、昼間に読むことを推奨します。
yuma32@yuma322026年5月30日読み終わったこれは私に起こった怖い話である。 最近、ペースとしては3日に一冊は読み切るペースで本を読んでいるのでこういう一冊にも出会うのだろう。 書店のレジに並んでいる際に、レジ横に並べられ映像付きで豪勢に並べられていたのが本書である。 文庫本ながら装丁から奇妙さを漂わせており、真っ白な書面に真っ黒と呼ぶに相応しい文字も相まって考える間もなく手にとっていた。 複数の短編が入っており、読みやすい書籍であった。 ここまで読んでくださった方は大方気づいておられるであろうが、本書は恐ろしいほど、私自身には刺さらず、端的にゆうと面白くなかったのである。 数多の短編が盛り込まれているにも関わらず、面白くなかったのである。 しかし、読みきったのである。
タレ@miki_nike2026年5月3日読み終わった@ 自宅アトロク推薦図書まつりでの木下龍也さんの語りがあまりにも見事だったので。家族不在のときに限って予約図書がまわってきて泣きました(とてもこわがりなので)。 ぶきみなんだけど、読みやめられないおもしろさ。記憶や認知や虚実がどこから揺れているのかわからないまま、〆のくだりに唸らされる。 においの描写がやたらと克明なのも印象的。 この類の話に多くの共通点が見られるのがとても不思議(つい最近も友だちが『針女』のような怪異に遭った話を聞いたりした)。研究したら沼すぎる分野だろうなぁ。






TAKA@taka_phantomtrpz2026年3月10日読み終わった特に良かったもの 無貌三題、くびぞろえ、くもの巣わたり(これは嫌な後味だった)、針女、いやな宿(これが一番怖かった)、迷子の話(これもかなり怖かった)、家族こっくりさん、富士山を見る、ほんこわこわい、三人ゆうれい

DN/HP@DN_HP2026年1月2日この本には「真実」が書かれている、と思い切って書いてみたい2025年のベストのひとつ。 事実と真実というのは客観と主観の関係にあって、だから「真実はいつもひとつ」ではなくて、人の数だけそれぞれにある、と思っている。「僕にしかない記憶は、つまるところ誰のものでもない僕だけのかけがえのない記憶」(「それはベス」)、誰にでもありえるそんな記憶をわたしは真実と呼びたい。普段は事実をベースにして他人や社会に関わったり関わられたりしているなかで、簡単には表には出てこず触れることの出来ないそんな他人の記憶、真実を真摯に聴き取り否定せず解釈を出来るだけ加えずに書くことで、読んだり話したり考えたり出来るようにするのが「怪談」、だと最近はそんな風に考えている。 そんな他人のその人だけの記憶、真実に触れる、というのはどういうことなのか。誰しもがわたしとは違う記憶、真実をもっている、自分とは違う人間なのだ、と改めて理解することでもあるかもしれない。それはつまり、すべての人の悩みをたちどころに解決したり、世界の謎を一気に暴くような、あるいは「幽霊」が居て、誰の目の前にも同じような姿で出現し得るとか、そんな共通した都合の良い真実など無い、ということも確認出来るということでもあって。 「霊感商法」や「陰謀論」などそうした共通した「真実」が「ある」という、私の不幸や社会の問題もすべてはふだそのせいなのだ、という疲弊した人生では縋りつきたくなるかもしれない心理を利用した「悪意」は、普段は見えていない「隠されて」いるものを見えるようにする、という構造的に「怪談」との親和性が高いのかもしれないし、それを利用することも出来るのだろうけれど、優れた「怪談」、しっかりと誰かのその人だけの記憶、「真実」を書こうとしているものは、その「悪意」に抗する、否定するものでもありえるのだ。わたしはそんな風にも、「怪談」を、この本を読んでいる。読みたい。この優れた怪談本はそんなことも思わせてくれたのだった。 記憶という真実はひとつではなく無数にあるのと同時に、それらは常に同じ形をしているものでも、ひと所に留まっているものでもない。経験が記憶になった時点から変化は始まっているだろうし、それが特異なものであればあるだけ、否定と肯定を繰り返したり、幾つもの解釈を加えたり捨てたり、あるいは一度は忘れようとして、それでも思い出してしまうことで新たな視点が生まれたり、強固に「信じ」込むことで先鋭化したり、そんなことを繰り返すものな気がしている。それが「こどもの頃」(と振り返れる年齢なら)という遠い過去から長い時間そんなことを繰り返してきた、記憶、真実ならば、それは読むものに衝撃を与えるものにまで更に「仕上がって」いたりするのかもしれない。だって、ここに編まれた話は、こわくてきみがわるくて、強烈な異彩と魅力を放っているものばかりではないですか。そんな話に触れてしまったら、立ち尽くし震えながらすべてそのまま受け入れるしかない。まったく。最高である。 そして更に恐ろしいことに、世界との関係がまだ不確かだった「こどもの頃」という時期は誰にでも存在するのだ。他人の仕上がっている強烈な記憶に触れた後に自らの「こどもの頃」を振り返らずにはいられない。そうしてみれば、私だけの「こわい話 きみのわるい話」も蘇ってくる。わたしの「神社のお祭りで父親が入れ替わっていた話」も改めて思い出すことで「仕上がり」つつある。怖い。そんな特別な経験、その追憶もまた、私は他人とはたしかに違う人間なのだ、という根本的ななことを思い出させる。 優れた怪談本には、強烈でユニークなモチーフ、「ネタ」の強さと同時に、それに負けないだけの文章の強さがある。もしかしたらその強さがあれば、「ネタ」の強弱は関係ないのかもしれない。それぞれの話をより伝える為の文体を選び、話のキモを掴み、流れを作り、細部や欠落をときに想像で補い、他人が読んだり考えたり「楽しんだり」出来るものにする。正に文藝である。 この本でわたしが好きな話だと…… 「犬屋敷」の3人の小学生が廃屋に忍び込む様を語る冷徹な印象も受ける三人称視点。この文章はカッコいい、と思った。普段読んでいる海外の犯罪小説にも近い「クール」さも感じる。最後にエピローグ的に語られる無惨な「その後」の語り口にも震えた。 わたしの好きな取材時の作家の存在がたしかに描かれるタイプの「きつね」。体験者が語る「きつね」がわたしの認識しているそれとはまったく違うものだ、と作家が気付くと同時にわたしたちも気付かされる、という展開から、もうひとつの「真実」に今度は体験者自身が驚き恐怖を感じる。二度の驚きとふたつの恐怖。そして最後の一文には綺麗な「話のオチ」があって痺れた。 全体としてもかなり改行が多い書き方がされているのだけど、それが特に効果的に感じられた「ミロクノゾキ」。叔母の通夜の晩、ある「決まり」が破られた場に居合わせてしまった少年に迫ってくる怪異の臨場感と少年の焦りと恐怖が短文の連続によってこちらにも迫ってくる感。怖い。 怪異に触れることで促された登場人物の変化を、最後の一文のある文章上の変化によって「事実」として世界、社会のなかにたしかに位置付けるような「別れる理由」。そうか、「怪談」でもこういうことが出来るのか、と感動した。 そしてこの本でいちばん好きな「死柱にこうべを垂れよ」。報告者との出会いから描かれる怪異取材ドキュメント、として読みたい一話。体験者の記憶を聴き取った作家の記憶、というのは「怪談」の基本的な構造だとも思うのだけど、隠したり小出しにすることが効果的だったりする後者の記憶が強く出てくることで不穏さが増し新たな恐怖が現れることもある。最後の一文のまだ「終わっていない」感も怖いし、文章としてカッコ良かった。 そして、各話だけではなく、それら(のモチーフ同士を)をたしかに微かに繋げながら語ることで大きなグルーヴも生み出し、それが徐々に高まっていく全体の構成も素晴らしい。それでいうとトリの大ネタ「人形地獄」もやっぱり凄い。ひとつの話のなかで語られる幾つかの怪異が準に強度、恐度を増していき(怖い→凄い怖い→もっと凄い怖い)、最後にはひとつの体験談にまとまり、その怖さに辿り着く。一冊の本での構成を一話に凝縮したような密度と適切な配置。これもめちゃくちゃ凄い。 ああ、そう、この本はカバーのデザインも素晴らしいのだった。完全に持っておきたいフィジカル感…… などと長々と書いてしまっているけれど、わたしの語彙と「読み」では魅力を伝えきれないかもしれない、というか前半に書いていたことも的外れかもしれない。みたいな不安と不満はあるし、それだったら「怖い!最高!」とだけ書いて終わりにしてしまっても良いのだけれど、「めんどくさい」ことや魅力、素晴らしさについて考えたり、それを纏まらないままに長々書いてしまったりするのは、本を読むことにまつわる楽しみのひとつだし、それが出来る本は良い本なのはたしかだ。去年の発売から少しして買ってから、何度か読み直しながら、途切れ途切れではあるけれど、考えたり話したり書いたりし続けていたこの一冊は、やっぱり2025年のベスト、と確信を持って書いておきたい。



アマヤドリ@amayadori2025年11月18日読み終わった読んでいるうちに自分も昔こんな風な隙間のようなところに落ち込んだことがあったのじゃないか、確かにその空気を知っているのじゃないかというような気がしてくる。後半の、小人の話、なかった場所の話、人形の話…前の話の同じモチーフを引き取って語る場面では人が集まって次々に「そういえば私も…」と体験を語り出しているようで、没頭してしまった。 それにしてもこんなにたくさんのこわい、きみのわるい話が集まってくるなんてすごいな。






もも@mmmm_122025年10月26日買った読み終わった少し不思議で少し怖いお話が多くて良かったです。タイトルにもある通り「こどもの頃」に体験したので本当かどうかも定かでないお話が大半です。なので、その真実と自分は何を見たのか釈然としない感じも良かった。蛙坂須美さん好きな怪談師さんなのでもっと読みたいです。
ごとー@ptk5102025年10月17日読み終わった文章がめちゃくちゃ読みやすくスッと情景が浮かぶのでたいへん好きな読みごこち。 「くびぞろえ」「北見先生のDVD」「餓鬼ねぶり」が特にイヤ〜〜なものを味わえて最高でした。これがリーダビリティの高さというやつかも。 自分に語れる怪談的な怖い体験って全然ないなぁと思ってたけど、「記憶の底にあるアレってなんか今思うと不気味かも」とか「いつになっても覚えてる嫌だった夢」みたいなシーンも呼び起こされてきて嬉しい。今一番求める“こわい”がここにある…!





DN/HP@DN_HP2025年10月14日感想書きたいな、と思いつつも3周目を読みはじめている。うちに少しづつ思い出していたわたしの「こどもの頃のこわい話」も仕上がってきたような気もする。神社の境内のお祭りで、気がつくとお父さんが入れ替わっていた話。
DN/HP@DN_HP2025年10月10日記憶について「だけど、いいですか?僕にしかない記憶は、つまるところ誰のものでもない僕だけのかけがえのない記憶で、いまでも僕はベスとの思い出を胸に抱いて生きているんです。それを否定することは、誰にもできないんです。」 ——「それはベス」

DN/HP@DN_HP2025年10月7日「死柱にこうべを垂れよ」という話は怪談採話ルポ、報告文学として読みたい話だった。聞き取りの場面から作者の視点で書いていく、それが感情的でウェットなら私小説的(好き)になっていくけれど、理性的にドライに書いていけばこういったルポ的なものになるのではないか、とか考えてみる。怪異自体もかなり強いからそれを書く、その部分だけでも成立しそうだけれど、まるッと全部書くことで立ち上がる怖さや分からなさがあって、あるいはそうしないとこぼれ落ちてしまうものがある、ような気がした。最後の一行あけた後の一文が現在形で終わっているのにも痺れた。





DN/HP@DN_HP2025年10月6日読んでるさっき読んだ話で、草冠に亡「芒」でススキって読むの知ったけど、縁起悪るそうでいいなと思った。亡は「尖っているもの」という意味みたいで別に縁起悪くなくて、ああ、五芒星ってそういうことか、とか今さら納得もして。まあ、それは良くて、怪談で普段開きがちな漢字だったり、異常に画数の多くてうねうねした漢字使ったりするのって、話の分からなさや不気味さを増すためのテクニックだと勝手に思ってるけど、あれ良いですよね。わたしが勉強不足だというのも、まあ、あるけれど。



has@11lotuslotus112025年10月3日読み終わったKindle Unlimited9/29 読み始めた たぶん後で紙で買うんだけど、とりあえずKindle Unlimitedで。 読了。電書で読み終えた日に蛙坂さんのサイン会で紙の本を買い、サインをもらってきた(うれしい)。文庫の装丁がマットな感じなのめずらしい。めずらしくないですか? 蛙坂さんに本の中での好きな話を訊かれて、「オボザワススグ」を答えた。こんばんは、が音声で生々しく聞こえてくる気がしてすごく嫌だった(褒めてます)。 ほかに特に好きだったのは「それはベス」「無貌三題」「死柱にこうべを垂れよ」。わたしが怪談に求めるものは、ジャンプスケア的な驚きじゃなくて、じとっとした手触りとか、肌がぞわぞわして壁に背を付けていたくなる感覚とかなんだけど、それが存分に味わえる怪談本だと思った。
















































