小さい午餐
37件の記録
山@mook01412026年1月12日読んでる著作を読むのは初めて。著者がどこかに行って昼食を食べた経験を書いたもの。 見たものも、その時に感じたことも、具に全部書く、という印象の文体。 「…天丼がきた。 という右の文章は長々しているかもしれないが時間の感覚としてはすぐだった。天丼は…」という具合に。
山@mook01412026年1月7日読みたい小山田浩子さん、2026/1/7の朝日新聞朝刊「愛おしい日常」の寄稿がすごく良くて、著作読みたくなった。 息継ぎなしで、重ねられる言葉たちが、頭の中であれやこれやと逡巡するリズムと重なる気がした。
mimosa@mimosa092025年10月4日読み終わった借りてきたエッセイだけど私小説であり、事実でありフィクションでもある…とまえがきにある通り、短編小説を読んでるような不思議な感覚に陥るエッセイ。ランチってこんなにおもしろいことが詰まってるんだなって、小山田さんの観察眼に敬服。

うねうね@73uneune2025年9月22日読み終わった🥟🥟🥟🥟🥟 すごくよかった。小山田浩子さんの作品は何ひとつ読んだことがなく、これが初読みなのだが、エッセイめちゃくちゃ好きだ!!食べものエッセイの中でもかなり好きな感じのエッセイだった。するする頭に入ってくるし、情景がぼんやり思い浮かぶ感じがたまらない。はっきりじゃなくて薄ぼんやり浮かぶのがいい。
nyuki@nyukibook20252025年7月15日読んでる「考える人」の連載を楽しみに読んでいて、本にまとまらないかなーと思っていたのでtwililightさんありがとう!の気持ち。時々ごく私的な内容にギュッとなり、そして広島のつけ麺やお好み焼きが食べたくなる。あー、広島行きたい。
なほこ@pyon7070c2025年5月8日買った読んでるサイン本を読んでいるところ。 この本の発行所である三茶のtwililightさんは好みのセレクトの本屋さんだった。ユアグローのサインが飾ってあった。また絶対行く…!





jyue@jyue2025年3月5日読み終わった読書日記3月某日(?) ひとりオースター祭りを始めて2週間、ちょっと疲れてきた。同じ作家を連続して読むのもほどほどがいいんだなと学ぶ。午後はファミレスへ行く。初めて行くお店。わたしは前日からカレーを食べると決めていた、メニューを開きもせず「わたしはカレー」と家族に伝える、家族がカレーのページを見て「すごい美味しそう、俺もカレーにする」と言う、被らないほうが2倍楽しめるのに…という貧乏性が発動し、シェアする契約を結んでハンバーグへ変更。結果、断トツカレーが美味しかった100%カレーだけを食べた状態で帰りたかった。わたしもカレーにすればよかったのにね、ばかばか。 3月某日(日) 最近はあつまれどうぶつの森ばかりしている。島のインフラを整える場合、基本わたしのお財布から支払わなければいけない。住民が6人もいるのに。わたしは大黒柱だ。小山田浩子の『小さい午餐』を読む。のっけからものすごく良い。教えてあげたい人の顔がたくさん浮かぶ、というのが良い証拠。改行がほとんどなく1ページあたりの文字量がとてつもなく多いから、これは長く楽しめるぞと思ったのに一晩で1/3読み終えてしまった。 3月某日(月) 引き続き『小さい午餐』を。ワカコ酒(アニメのほう)を見ているときと同じ種類の幸福感がある。言語化できない良さがあるものはクセになり定期的に読んだり見返したりしてしまうが、この本もそう。今後引っ越すことがあっても、きっとずっと次の家へ持って行き続ける本になるんだろう、と思う。










あやさび@ayasabi1900年1月1日読み終わった@ KIMAMA BOOKS(キママブックス)午餐は、ごさん、と読み、お昼ご飯のことです。こちら、小山田さんはじめての食エッセイです。 本の裏表紙に、居酒屋の日替わり定食、喫茶店の天丼、とんかつ店のロース定食、と美味しそうなメニューがずらり並んであります。広島在住の小山田さんならではの、呉のクリームパイ、広島のお好み焼きなんかもあり、なかなかこってりなラインナップです。 こちら、文章もなかなかこってりな印象があるのですが、それはおそらく、小山田節の改行しないぶっ続け文章のせいかしらと思っています。 「回転寿司を食べてきた。1人で行くのは初めてだ。回転寿司というのは、寿司がレーンを回っていたり注文した寿司が自分の真ん前で止まったりするというギミックにどうやっても遊戯性というか、面白がらそうとしている感を受け取ってしまう。私は保育園に子供を預けているのだが、そういう身で、例えば定食や麺類を食べていたらランチね、という風に受けとられると思うのだが、それが回転寿司だと、なんというかふざけんじゃねえぞというような、遊んでやがるというかそういう視線を受けるのではないか。つまりジャンルとしては回転寿司は定食屋よりはカラオケとか遊園地に近いのではないか・・・・・でも、今日は行こう行ってやる行くんだと思って行ってきた。いろいろなことがうまくいっていなかった。納期、焦り、不義理、書いても書いてもピンとこない。たった 今私以外の作家は全員もりもり仕事をしているような気がする。仕事以外もさえないことが続いていた。」p121 …とまあ、ずっと改行もなく、さらに続いて行くのですが、その文章には、なぜか貪るように読んでしまう不思議な魅力があるのです。 こうも途切れず文章を読んでいると、段々落語を聞いているような、映像を見させられているような気持ちになります。 これがなんとも中毒性のある読書体験なのです。 小山田さんが、回転寿司について書くと、回転寿司が運ばれてくるのも文学になるのか…ファミレスに家族と行く話も、こんなに膨らませて深みが出てきてしまうのか…と、感動。 普段ぼーっとしてろくに見ようともしていないことがなんともったいないことであるか…! よくあるささやかなお昼ご飯だけど、ほんとは、そこには平和という幸せな体験があることを、小さい午餐は教えてくれています。 小さい午餐、なぜ、小さいのか、も考えてみたら、興味深いですよね。 今日のお昼のチキンラーメンは、小さい午餐な気がするな。ちゃんと自分なりにいろんなことを感じながらチキンラーメンのことを思い返すことにします。




























