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だってことにして前進。 ここは読書日記をつづる場。
  • 2025年7月8日
    わからない
    わからない
    7月某日(火) 金曜日は体調が良くもりもりとごはんも食べられたおかげか、土日のハードスケジュールも難なくこなせてるんるん気分だったのに、月曜日からぶり返す。調子に乗りすぎた、猛省。 小説が読みたい…できれば海外文学を…という、気持ちだけは人一倍あるけれど、いまはまったく読めず、2日ほどなにを読むか悩むのに費やし、岸本佐知子さんの『わからない』を再開。以前日記と、他のチャプターを少しだけ読み、本棚へ戻していた。久しぶりに読んでもおもしろくて、どうしても声を出して笑ってしまう。ここ数日はYouTubeで『笑ゥせぇるすまん』をちまちま観ている。こわい、こわい。夢に出てきませんように。
    わからない
  • 2025年7月4日
    レベル7(セブン)
    7月某日(金) 宮部みゆきの『レベル7』を読了。期待しすぎて読んだわたしが悪い。いまのところ『模倣犯』と『理由』が断トツ2トップ。 最近人生がぐりぐり動いている感じがする。自分たちで動かし始めたことなのにわたしも家族も戸惑っていて、追いつくだけで精一杯だなあ、と冷静な目でみている。午後は、親友へ手紙を書く。あんなに連絡を取っているのに、まだ書くことがあるのか、と思う。今回はプレゼントへ添えるものだし1枚だけにしようと決めて書き始めたけれど、どうしても書き足りなくて裏にも書いた。年々、手紙を送れる人が減っている。祖父へ書いていた日々が懐かしい。居ないひとのことを思い出すのにいつまで経っても慣れない。居ない、がずっと、在る。最近は選挙カーがやかましいので、静かな物語が読みたい。
    レベル7(セブン)
  • 2025年6月29日
    レベル7(セブン)
    6月某日(日) すこぶる体調が悪い。半月くらい、まともに本も読めていないし、街にもお出かけしていない。頑張ってスーパー、頑張って郵便局へ行けるかしらのレベル。でももうスマホにも飽きてしまって、見たくもないのにさわってしまう癖が嫌になって、1日何時間か電源を落とすことにした。こういうときは読みやすい宮部みゆきに頼らせてもらう。
    レベル7(セブン)
  • 2025年6月18日
    侍女の物語
    侍女の物語
    6月某日(水) 暑くて暑くて、心底たまらなくて、もうさすがにエアコンをつけようかと悩み、とりあえずフィルター掃除だけ済ませる。「これでいつでもエアコンをつけられるぞ」と思うと余裕ができて、なんだか-1℃だけ涼しくなったような気分になる。 引き続き『侍女の物語』を読む。昨日、人混みのなかでは読めない本だと分かったので、今日は家で読む。夏にもってこいの分厚さ。「本のすみか」さんのカバーは、ページをめくるたび紙の音がして心地よい。
    侍女の物語
  • 2025年6月17日
    侍女の物語
    侍女の物語
    6月某日(月) 本棚へ未読本が山ほどあるというのに、日単位でどんどこ読みたい本が増える毎日。最近は「100分de名著」を観ているおかげで、鴻巣友季子さんの素晴らしい解説のせいで、まんまと『侍女の物語』を読みたくなり早速購入。600ページ近くあるうえに、続編の『誓願』も待っているけれど、のっけからとってもゾワゾワして面白いからぺろりと読んでしまうのだろう…。暑い暑いとひいひいしながら、麦茶をがぶ飲みして、夏を耐え忍ぼう。
    侍女の物語
  • 2025年6月15日
    祝宴
    祝宴
    6月某週末 嬉しいことがあった。しばらく取り除けなかった霧が晴れたような気分。こういうハッピーな日のために取っておいた、川上未映子『きみは赤ちゃん』を読む。良い、大変良い、でもそれと同時にこれで未映子さんの未読本が無くなってしまったので絶望気分、早く新作が読みたい。最近は100分de名著が楽しみで毎週欠かさず観ているけれど、指南役の鴻巣友季子さんの解説がすっごく面白くて、まんまとものすごく『侍女の物語』と『誓願』が読みたくなっている。とうとうがまんできずにネットで買ってしまった。火曜に届く。それまでに『祝宴』を読み切る。
    祝宴
  • 2025年6月9日
    あの図書館の彼女たち
    あの図書館の彼女たち
    6月某日(日) 『オディールの棚を見るたびに、ちがった本が話しかけてくる。明るい色の文字で書かれた題名が魅力的に見える日もある。分厚い本が、読んでくれと迫ってくることもある。今日の午後は、エミリー・ディキンソンに名前を呼ばれた。ママは、その詩の一つが好きだった。』 最後のさいごまで、とてつもなく美しい本だった。ラストシーンがあまりにも素晴らしく恍惚とした気持ちになり、思わず頭のなかでラナ・デル・レイの「born to die」が流れ始めた。登場人物たちの側には、いつだって、必ず、本がある。昨晩あった嬉しいことを伝えるときには本の一節を用いたり、悲しい出来事が言葉に出来ないあいだはその感情を表すのに最も本を手渡した。平日に積もった煩わしさたちが、浄化されたような気分。さて、次はなにを読もう。
    あの図書館の彼女たち
  • 2025年6月6日
    あの図書館の彼女たち
    あの図書館の彼女たち
    6月某日(木) 「読書が好きなんですか?」 「読むために生きているようなものよ」 雪が溶けるのを見ているくらいおもしろそうだ。 ああ…なんて美しい表現ばかりが込められた本なんだ…溜め息が出てしまう…。読むのがもったいなくて、最近は寝る前の時間だけに、この本をちびちび読んでいる。あんなに大切に食べすすめていたクッキー缶も残りわずか。季節の変わり目が訪れて、少しわくわくする。どの季節だとしても移りゆく期間は一瞬で、儚くて、好き。
    あの図書館の彼女たち
  • 2025年6月4日
    地図と拳
    地図と拳
    5月某日(?) 同僚とばったり会う。コロナ禍でずっと会えていなかったお子さんがびっくりするくらい大きくなっていて、無我夢中でたくさんのことを話していた。話したいことがいっぱいあるんだろうな。 「未来が澄んだ声で話している。」小さい子が一生懸命話しているのを見るといつも思う。これからたくさんの分岐点を持った未来が待っているんだ、と。『地図と拳』ではたくさんの「未来」が死んでしまった。これからたくさんの未来が待っていた人たちが、読者のこちらが置いてけぼりにあうくらい、躊躇なく殺されていく。しかもこれが、物語のなかのはなしではなく、実際に会ったことだから信じられない。残されたものが未来を託されたといえば聞こえはいいが、自分で自分の未来を築きたかっただろうなと、苦しい気持ちになった。25時に読み終えたけれど、27時まで眠れなかった。
    地図と拳
  • 2025年5月28日
    地図と拳
    地図と拳
    5月某日(?) 歓迎会なのか、最近は窓をあけて夜風に当たりながら寝る前の読書をしていると、酔いながら楽しそうに帰路へ着くひとたちの笑い声が聞こえる。昨晩は、すごく、はっきりと、「あははははは」と笑う人がいて、あまりにも楽しそうなのでこちらも伝染する。楽しいお酒が飲めたようでなにより、というきもち。 5月某日(水) 『アウシュヴィッツの小さな厩番』があまりにも刺さってしまい、陸地を東へ進んだロシア文学か、1945年あたりを題材にした文学か、そういうのが読みたくなる。悩んだ結果、ロシア文学の翻訳家が書いたエッセイと、『地図と拳』を併読することに。読めるかなあ。700ページ近くあるぞぉ。まあ、読みきれなくてもそれはそれでいいか。とプレッシャーを取り外しながら読み始める。
    地図と拳
  • 2025年5月26日
    草原の椅子(下巻)
    5月某日(日) 最近、うまく眠れない。夜中何度も起きるから、寝起きはかなりぽやぽやと寝ぼけており、知らぬうちにSNSを開き、よく分からない広告にいいねを押したりしている…くやしい…。 5月某日(月) 『草原の椅子』も、のこり1章。いざ、フンザの旅へ。ネットでフンザを検索してみる。パキッと乾いたような美しい国。脳内で、主人公たちをフンザで歩かせながら読む。
    草原の椅子(下巻)
  • 2025年5月22日
    アウシュヴィッツの小さな厩番
    アウシュヴィッツの小さな厩番
    5月某日(日) 出先で嬉しいハプニングがあり、心の中ではスキップを、実際には徒歩で帰宅する。楽しさの余韻から抜けるのがもったいなくて、急きょ一杯だけひっかけて帰ることに。お酒を飲んだあとに寄るスーパーは本当にたのしい、ふだん思いつかないような食べたい料理名がぽんぽん浮かぶ。 5月某日(木) 『アウシュヴィッツの小さな厩番』を読み終えた。最後のスピーチまで、すべてを通して素晴らしい本だった。「恨みを世代に引き継がない」、本当にそうあるべきだと思う。さあ、この本の次になにを読むべきか…。
    アウシュヴィッツの小さな厩番
  • 2025年5月18日
    アウシュヴィッツの小さな厩番
    アウシュヴィッツの小さな厩番
    5月某日(土) 溶けたかと思うくらい、すぐになくなった週末。学生の頃はちっとも興味がなかった世界史が最近になってようやく楽しめるようになり、ちまちま動画を見ているのだけれど、ちょうどいま第二次あたりを見ていて苦しい。有隣堂で『アウシュヴィッツの小さな厩番』と目が合い購入。ぐいぐいと読み進めることができない、1ページ1ページめくる指が重たく感じる。個人の視点から書かれた歴史書だから結末は決まっているけれど、どうか、どうにかみんな助かって欲しい、と祈るように読み続ける。いつかきっと、有隣堂でこの本の横に置いてあった本も読みたくなるんだろうなと想像した。 追伸。有隣堂のブックカバーをかけて読むときの「音」がとっても好き。ああ、本を読んでいるなあという気持ちになる。
    アウシュヴィッツの小さな厩番
  • 2025年5月13日
    草原の椅子(上)
    5月某日(月) GW明けのリハビリ出社。仕事の話がちっとも頭に入ってこない、みんな何のはなしをしてるんだか状態。初めてのモールフラワーは失敗で、枯れてる花みたいになってしまった。『草原の椅子』は上巻を読み終える。流転の海を読んだ流れで選書したけど、この新緑の、植物がエネルギーをいっぱい発している時期に読むのが当たりだった模様。読みやすいから下巻もすぐすぐだな。
    草原の椅子(上)
  • 2025年5月9日
    野の春
    野の春
    5月某日(不明) 物語は空間に宿る。隙のない人に物語は無い。熊吾は隙だらけだった。だからこそ、これほどまでに運命劇のような人生だったのではないかと思う。全9部を通して、実に多くの人が亡くなった。1行前まで普通に話していた人が、その次の行では突然体調が悪くなり、あれよあれよという間に入院をしたり、今世から旅立ってしまう。数巻登場しなかった人がいつの間にか歳をとっており、訃報が届く。人生そのものを書いていると思った。夕食まで元気だった人が、お風呂から上がった途端倒れている。今朝まで元気だった人が、夕方には息を吸うのも苦しくなっている。現実で大切な人が亡くなるたび、1秒前まで動いていた心臓が突然止まってしまうことを未だに受け入れられない。 わたしはこの流転の海シリーズを読んで「良いなあ」「おもしろいなあ」と思える人間でよかった。これを読んでも心が微動だにしない、そんな悲しい人間じゃなくてよかった。そう思えるだけで少し心が軽くなる。この盃を受けてくれ。どうぞなみなみつがしておくれ。花に嵐のたとえもあるぞ。「さよなら」だけが人生だ。
    野の春
  • 2025年5月8日
    長流の畔
    長流の畔
    5月某日(木) 静かな休み。寝起きに家のことをすべてし終えたら、お昼を食べるのさえ忘れてしまう集中力で『長流の畔』を読了。本当にみんな何をしているんだ、落ち着いて人生を生き切れよばかもの、という気持ちで胸がいっぱいになり、家族のことを愛おしさいっぱいで叱っているような感覚で涙ぐんでしまう。笑っても泣いてもあと1冊。もう夜ごはんに近い時間だけれどまあ気にせずお昼を食べて、さあ『野の春』へ。
    長流の畔
  • 2025年5月3日
    満月の道
    満月の道
    5月某日(土) 久しぶりに読んだ『流転の海』シリーズが良くて良くて。前に読んだときも その良さに感動したけれど、あれ?こんなにも良すぎたか?と改めて感動する。本当は、これで読書のテンポが戻ったら、海外文学へいこうかなと思っていたが予定変更で『満月の道』へ。アップルパイならぬアップルパ"ン"を作って食べたり、おひるねをしたり、クッキーを食べたり、の夜。GWで旅行へいく人も多いのか、近所が静かでうれしい。
    満月の道
  • 2025年5月1日
    慈雨の音
    慈雨の音
    4月某日(水) 引き続き読書スピードはのろのろしているし、集中力が切れるのも早いままだけれど、『流転の海シリーズ』が寄り添ってくれている。久しぶりの熊吾は、相変わらずなところも多いけれど、力強くて男気があって真っ直ぐでかっこいい。 最近はお気に入りのマグでコーヒーを飲んだり、美しすぎて眼がチカチカするクッキーを食べたり、YouTubeで「airport sounds」と調べてBGMで流したり、…しながらマイペースに読書を楽しんでいる。あの空港であの本を読んだな、あそこでトランジットしたときはこの本を読んだな、ということを懐かしむまどろみのなかをふわふわ漂いながら現実では自宅のリビングで文庫本を読み進めている。
    慈雨の音
  • 2025年4月26日
    慈雨の音
    慈雨の音
    4月某日(金) 本が読めない、読めない日々が連続して続いている。新しく買った本も、ずいぶんと長いこと本棚に鎮座している本も、家族の本も、どれもしっくりこず、手に取って10〜20ページほど読んでみるが、途中から特に先が気にならなくなりいつでも辞めていいみたいなテンションで読んでいることに気がついて本へ失礼な気持ちになり本棚へ戻す、の繰り返し。 いろんな人の知恵と助けを借りて、こういうときは『日記本』で読書エンジンをかけて、エンジンが温まってきたら大好きな『流転の海』を再読し、なんというか、読書リハビリみたいな感じで元通りに戻っていくしかないな、という結論に至った。側から見ると「ここまでして本読みたいの?」と思われそうだけれど、ここまでしてでも本が読みたいのだ。 ということで、いまは阿久津さんの『読書の日記』と、宮本輝ちゃんの『流転の海 慈雨の音』を再読中。
    慈雨の音
  • 2025年4月20日
    あらゆることは今起こる
    4月某日(日) 本棚に積読が1,000冊もあるのに次読みたい本が分からなくて焦って苦しむ、という夢を見た。目が覚めて起きても、余韻のせいでそわそわする。いまは紀行文やノンフィクションが読みたい気分だったので『帝国』か『統合失調症の一族』か悩んで、結局『あらゆることは今起こる』を選ぶ。最近読書用の集中力が欠け気味。
    あらゆることは今起こる
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