砂の粒/孤独な場所で 金井美恵子自選短篇集 (講談社文芸文庫)

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DN/HP@DN_HP2026年9月10日帰りに図書館で金井美恵子の短編をひとつ。今日は「声」という一編。 小説出版のために有名作家を紹介しろと不躾に迫る男性作家、電話でしつこく自作について話し続ける少女、その声。 文章を書くこと、それが読まれること。「わたし」が「あなた」に意図せずに、しかしどうしようもなく与えることになる影響。それでも書いてしまう、というか生きているだけで避けることの出来ない他人との影響の授受について。ということはこの世界、そのままならなさ(あるいは見方を変えれば素晴らしさ)について。そんなことが書かれている気がした。けれど、それもまた違うというか、また別の読み方もできる気がしているから、これもあと何回か読みたい。ということは、やはりこの文庫は手に入れるべきだろうか。 「それは「私の心から」「私の観念の世界から来た」のであり、「私の影であり、私の谺であるのは確かなこと」なのだろうか。本当だろうか。本当に、私の中に荒野などあるのだろうか。わたしには書くべきドラマティックな過去などない、と、わたしは書いたが、そしてそれは確かなことではあるが、にもかかわらず、書いてしまった作品が、見知らぬ人間の現在を選びとらせる。」










DN/HP@DN_HP2026年8月30日図書館で読む金井美恵子の短編小説、三編目、「フィクション」を読む。毎朝駅のホームに立ち、来るかどうか、どころか実在するかどうかもわからなくなりはじめる「女」を待ち続ける「男」、湯治場に逗留する彼の思索と夢と幻想とそのあわいの一ヶ月、みたいな話にもわたしは共感して「しまう」部分が幾つもあるのだった。ところでこの自選短篇集、今のところ主人公、語り手が男性なんだけど、これはそういう短編を「自選」しているということなのか、というのも読み進めるうちにわかってくるか。それも楽しみにまた一編ずつ読んでいこう。









DN/HP@DN_HP2026年8月28日引き続き図書館で金子美恵子の自選短編集『砂の粒/孤独な場所で』から二編目の「曖昧な出発」を読む。 ある女性との別れ、それを招いた自らの行動。忘れたくとも忘れることの出来ない、夢にまでみる、というか夢との境も曖昧になるような、深い悔悟と後悔。そこには諦念があるようで、それ以上の煮え切らなさ往生際の悪さがあるような気がしてくる。ああ、「男」ってそういうところあるよね、というと主語がデカすぎるけれど、わたしにはそういうところがあるわけで…… 表現も文章も構成まで美しい、幻想的とも思えるような小説から自分にもあるやだみが浮かび上がってくれば、記憶が蘇り、自責の念に駆られ、精神的に悶えてため息を吐くしかない。それでも、というかだからこそこの短編小説は素晴らしいとも思えるのだけど。 ところでこの短編の舞台って上野ですかね。あの街にはわたしにも悔悟と後悔とまだ煮え切っていない思い出があるのだった。ああ、ともういちどため息を吐く。 その小説の内容はまあ別にしても、帰りに寄った図書館で閉館迄の間に短い短編小説をひとつ読んで、それについて考えながら歩いて帰る、というのは、世界との間に設ける緩衝材のような時間なのだった。というようなことを考えながら、金井美恵子の短編を一編ずつ読んでいる日々です。 ---- 「明日になれば、あるいは明後日になれば、この執拗な夢から眼覚めることが出来るだろうか。ふたたび、彼女のことを忘れることが出来るだろうか。それを聞くことと見ることから逃れてきた、彼女の言葉と視線が、夢のなかに無限の薄明として広がりつづけることから、逃れることが出来るだろうか。為された行為ではなく、為されなかった行為こそが取りかえしようのない時間のなかで宙吊りにされ、聞くことを拒んだ言葉が、わたしに無限の言葉を繰り出すことを命令することから——。」(p38)





DN/HP@DN_HP2026年8月26日「私は近頃では、毎日寝る前に彼女の日記を読みかえす習慣だ。その日の日付のページを開いて、彼女が何を書いているのか読みかえす。薄い浸透膜を通して、彼女の記憶と私の記憶の溶液がまじりあう。今では、私はほとんどN子そのものだと言ってもいい。(一月二十三日)」 金井美恵子さんの自選短編集の最初に収められている「日記」という一編。以前関係のあった亡くなった女性の十年日記を読む男の日記、という形式で語られる記憶、思い出すこと、書き残すことそして読むこと、その不確かさについて。あるいは「男」の傲慢で未練がましい煮え切らなさについて、も書かれている気がしないでもない。少なくともわたしは自分の過去を省みて少し肩を落としている。










プールに降る雨@amewayamanai2026年8月4日読み終わった金井美恵子はむかし好きでよく読んでいたことを思い出し、いま読んだらどう感じるのだろうと枕元に置いて少しずつ読み進めていた。 最近触れていなかった、明朝体が似合う文体が乾いた砂地に染み込み心がうるおうようだった。 収録されているいずれの短編も眠っているときに見る夢のようで、おぼえようとしてもすぐに忘れる内容という意味でいえば読みながら寝落ちするには最適だった気がする。 解説で磯崎憲一郎も指摘している、書かれた言葉がつぎの言葉を生み、線上に連鎖していくような文章は、言葉遊びを得意とする多和田葉子に近いものを感じた。 人に見せる文章を少しでも書いたことのある人なら、金井美恵子の描写の異様な巧さがわかると思う。










