HW
@HW
- 2026年9月20日
- 2026年9月20日
まだ読んでる哲学はよくわかんないが憧れがあり読み始める。 哲学って自然科学だったんだ、と改めて感激。まるで数学のような。この世界をかたちづくるものの美しさを知るというか。 そういえば、子供の頃こんなことばっかり考えていた。私がみてるもの感じてるものと他の人がみてるものは同じなのか?みたいな。もう言葉にならないような遥かな記憶を呼び覚まされたような感覚。 カントそのものは多分読めないが、西先生のこの本なら読めるぞ、最後まで! 第一章。 認識について。 主観が主観の外に出て客観世界そのものに一致することはできない。 どの主観も一定の共通規格(感性と悟性)をもっているので、自然認識の土台となる法則については客観的認識が成り立つ。 感覚器官を通じて受け取った多様な感覚を、時間と空間という二つの枠組みのなかにおいて位置付ける認識能力を感性という。 その茫漠たる感覚の束を整理、統合して判断をもたらすのが悟性である。 認識が対象に向かうのではなく、対象が認識に従う。その認識の枠組みがアプリオリに我々人間に備わっていて、主観同士を一致させている。 - 2026年9月7日
平気でうそをつく人たち: 虚偽と邪悪の心理学M.スコット・ペック読み終わった - 2026年9月3日
平気でうそをつく人たち: 虚偽と邪悪の心理学M.スコット・ペック読み終わった - 2026年9月3日
平気でうそをつく人たち: 虚偽と邪悪の心理学M.スコット・ペックまだ読んでる - 2026年9月3日
平気でうそをつく人たち: 虚偽と邪悪の心理学M.スコット・ペック - 2026年9月3日
平気でうそをつく人たち: 虚偽と邪悪の心理学M.スコット・ペック読み終わった個人レベルでの邪悪性から、集団、国家レベルの邪悪性まで言及している本。著者M スコット•ペックはアメリカ陸軍の医官(精神科医)として勤務、沖縄の米軍基地で心理カウンセリングを行った経験もあり、その後は精神科クリニックでの臨床医だった人。 前半の、個人レベルでの邪悪性、操作性、と言ったものは、今ならパーソナリティ障害として捉えられるだろう。「他人を支配したがる人たち」に登場する潜在的攻撃性パーソナリティに重なるようなところもある。 後半の集団としての邪悪性について。著者はベトナム戦争での市民殺戮(ソンミ村虐殺事件)後に、再発防止の調査委員会に参加した経験があり、その考察は興味深い。結局調査そのものは強制終了になったとのことだけど。 著者は再発防止に一番必要なのは軍の組織ごとの専門化を極力非専門化すること、市民への公共サービス、多目的国家奉仕隊であることが大事なのだと言う。自衛隊の公共奉仕にはそういう目的もあるのか、と驚いた。専門化させないためには志願制より徴兵制がいいとも言っている。 悪の始まりは嘘である、と著者は言う。そして悪の根源はナルシシズムと怠惰であるという。つまりどんな人間にも悪の萌芽があり、胸に手を当てて考えるべき事があると思う。 - 2026年9月3日
専門家なしでやってみよう! オープンダイアローグ樋󠄀口直美,石田月美,鈴木大介,頭木弘樹読み終わった - 2026年8月22日
今ここを生きる勇気岸見一郎買った - 2026年8月22日
専門家なしでやってみよう! オープンダイアローグ樋󠄀口直美,石田月美,鈴木大介,頭木弘樹読み終わったオープンダイアログの肝はポリフォニック。親身になって聞くんだけどあくまで自分の意見は主観。だからスカってていい、むしろズレる。人を本当に理解することも共感することもできない、というのが前提。私は共感し理解したくてもなんかいっつもずれてしまって傷つけてるんじゃないかな、て思うことが多いから胸のつかえが降りる感じ。で、自分もいつも他の人の意見なんかスカってるばっかり、と思いながらも、そういう会話が楽しいというのがある。ただの共感同意だけでは思考は進まない。 - 2026年7月20日
今ここを生きる勇気岸見一郎読み終わった死への関わりを介護の点で考察する。 不幸な親子関係であって子が介護を拒否する、それは権利としてあっていいし、ただ人に強く言えず流されるままの介護なのであれば、むしろ自分の権利を主張すべきか。 でも自分と他者との関係を深く考え自分の人生の責任として見つめることができたら、関わるべきだろうか。 依存的な介護はある。自己愛的な。介護することによって介護者の実人生から逃げているように見える人もいる。その人は本当のことを自分の胸に手を当てて考えるべきだろうか。 逆に回避的に関わらない人もいる。その人もなにかしらの自分の傷から逃げているのだろう。 結局人は、それまで生きてきたようにしか相手と関われない。あまりにも極端な関係であれば、極端な依存的介護も極端な回避も理解は可能だ。あるいは、関わりかたを変えることによって自分が変わろうとしようとしなければ、変えられない。介護は死にゆく人との最後の関わりとしてものすごくその人と密に関わる作業だから、もし自分が傷つき否定される経験であっても、自分と他者の関係性を見直す上で関わる意味は確実にある。そういう観点で捉えたら介護への視点は変わるだろうか?
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