ヘーゲル「精神現象学」3月
19件の記録
離乳食@munimuni2025年11月23日まだ読んでるアホむずいけど、〈告白〉と〈許し〉という〈弁証法〉に基づいた〈相互承認〉が、進撃の巨人のガビとカヤを例に出して説明されていたので、ごっつわかりやすかった。 告白+許し=理解?
小池陽慈@koike_yoji2025年10月17日読み終わった対立を不可避の前提として受け入れながらも、互いが自己批判をすることで相互承認を実現する──そのための、対話。 ……という理念は、正論としてはわかる。 ……しかし………それならば、私たちは、悪辣なヘイトスピーチを繰り返す連中にも、耳を傾けねばならないということか…? いや……私──この社会のマジョリティとして存在する者──ならばまだしも、そうした対話を、ヘイトスピーチという暴力の、直接の対象となっているマイノリティにも求めると言うのだろうか。もしそうであると言うなら、私は、それは、端的にセカンドレイプに等しいと思う。 あるいは、逆に、ヘイトスピーチをしている側を、「自己批判からの相互承認が大切だよ」と諭し、頷かせることなど、可能なのだろうか。 "分断を乗り越えるための対話"という理念は、いま、アポリアに陥っている。それが、本書を読み終えての、率直な感想だ。



- チャモピーピーチャマ@chu_berry2025年10月15日読み終わった・「精神」、人というのを関係性のなかに読み解くという基本的な態度はケアの倫理とかとも相性がいいんだろな(逆か、ヘーゲルとかのコミュニティ主義的な考えがケアの倫理の基盤をなしているのか) ・アウフヘーベン 折衷案というよりも立場の転回についての説明だった。(善悪、主従とかの立場は疎遠な状態での思考によっていくらでも逆転しうるという話?例として、奴隷に依存せざるを得ない自由人)(最小合意とは違うんだよね)絶対的な正しさ(をはかる系)は存在しないのではないかという懐疑。 疎遠(疎外)━既存の規範や習慣から自由になってものごとを捉え直そうてこと? ・近代批判 信仰と啓蒙の戦いについて。啓蒙主義以後の人間が得意とする論破はなぜいかんのか。相手の立場をいったん承認し「協働」していこうという態度が見られないから。自分の道具(エビデンス、合理性、経験的な知)では解決できない問題(信仰でいう人間とは何かとか神秘体験への志向とか)を切り捨てて「信仰により盲目になっている」「理性的ではない」と切り捨ててしまっている。パン=キリストの肉を「ただのパンじゃないか」と喝破することについて「資本主義」的であるという斎藤の言い方はちょとマルクスを意識してるんだろうな 啓蒙主義には自らの方法論に対する懐疑が足りていないというのは最近思っているところで、本の中に出てきた論破屋とか冷笑家とかは理性とかエビデンスとか実証的な経験以外をあまりに手軽に捨象しすぎだと思う。須藤の態度もだいたいこんな感じで、科学哲学者と「協働」したくないことがありありと出すぎていると思う。 ・「赦し」 進撃のガビとカヤ(とニコロ)のやりとりが相互承認の例に挙げられていておもしろかった。やぱ教養があると漫画を面白く読めるんだすね

おかわり@Okawari2025年9月2日読み終わった「自立しているかに見える主人は、自分ではご飯をつくることもできないし、着替えもできない。実のところは、奴隷の『労働』と『奉仕』に依存しきっているというわけです。」(p.37) ヘーゲルの「主奴の弁証法」について、この例が印象的。どれだけ自立したお金持ちであっても、その生活にはさまざまな仕方(水道業者、生活品の輸送業者、公共交通機関の職員などなど)で生活をサポートする労働者の介在が不可欠で、社会の所得再分配における議論ではそうした存在が抜け落ちた言説が近年多く見られます。 また、第3回(p.72以降)における啓蒙と信仰の戦いは最近話題の外国人問題における重要な指摘だと思いました。本書で1番喰らったのはこの部分。自然科学やエビデンスは勿論大事だけれど、それが全てではない。統計を根拠にどれだけ「外国人による犯罪は増加しておらず、これは差別だ」と糾弾しても、外国人が増える現状に不安を感じる人々との議論は平行線になると思います(現にSNS上で糾弾する人の言葉は全く届いていない)。啓蒙する側は糾弾をするのではなく、どのようにそうした人々の不安を解消するかについて議論を深めるべきであり、そうした人々の声を無視して外国人政策を推し進める政府の怠慢こそが問題だと思います。 とにかく、全人類Twitter(あるいはX)のアカウントを登録する際はなんらかの仕方でヘーゲルの『精神現象学』に触れることを必須にした方が良いと思います。また『精神現象学』はどこかで勉強したいなー。

















