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おけら
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@atsushi-1227
こんにちは。おけらです。積ん読が増える一方です。身体がもうひとつあれば、同時に2冊読めるのになぁ…なんてことを考えたりします。政治学科卒なので政治関連の書籍を多く読んでいます。
  • 2026年7月8日
    未完の西郷隆盛
    150年目のバグと、合一する二つの精神 ​先崎彰容は『未完の西郷隆盛』において、近代日本が直面し、そして未だに解くことができずにいる最大の精神的バグを抉り出している。それは、私たちが「西郷隆盛という存在をいまだ統合できずにいる」という事実だ。 ​私たちは明治維新以来、大久保利通の「冷徹なリアリズム(近代化システム)」と、西郷隆盛の「不義を許さない道義(精神性)」の引き裂かれ(二元論)の中に生きてきた。大久保をとれば西郷は情念の逆賊となり、西郷をとれば大久保は冷酷な官僚機構の独裁者となる。この不毛なプロレスが、日本人が「近代」という硬いシステムの中で、主体的で生きた精神を窒息させ続けてきた根本原因に他ならない。 ​この窒息のプロセスを、江藤淳は『南洲残影』の中で、大久保の作った冷酷な近代システムに対する西郷の命を賭けた「批評(拒絶)」として描いた。西郷は、システムが人間を飼い慣らし、やがて自立した思考を奪っていく未来に絶望し、死に赴いた。江藤が哀惜を込めて見つめた西郷の「残影」とは、システムに過剰順応していく日本人の底流に、奇跡的に取り残された「最後の良心(違和感)」そのものだった。 ​現代の私たちが直面している「国家のバグ」――国旗毀損罪や議員定数削減といった、伝統や改革という美しい「看板」を使った統治エリートによる生存戦略(ハック)――を前にしたとき、この150年未完だったパズルは、解決(ブレイクスルー)を迎える。 ​大久保のリアリズムと西郷の道義は、対立するものではない。現代の見えない檻を壊すための「両輪」なのだ。 ​マルセル・ディルサス流の「システムを冷徹に見通す目」を持たない、単なる西郷流の「道義」は、洗練された現代の独裁技術の前には単なる感情的な暴発として処理され、左右の泥仕合に消費されてしまう。 逆に、何のために生きるのかという西郷流の「至誠」を持たない、単なる大久保流の「リアリズム」は、エーリッヒ・フロムが警告した「過剰に順応し、自分で考えることを放棄した自動人形(ロボット)」のまま、効率的な管理社会に飼い慣らされる狂気へと至る。 ​お上の用意した偽りの正論を疑う、西郷の至誠(動機)。 その裏にある利権の力学をロジックで解剖する、大久保の冷徹(武器)。 ​私たちは、江藤が惜しんだ「残影」を、単なるノスタルジーのまま眠らせておいてはならない。ディルサスとフロムという現代の補助線を得て、その影を、お上のプログラミングを切り裂く具体的な「知性(正気)」へと鍛え直すのだ。 ​先崎氏が描いた「未完の西郷」は、現代のシステム論を経て、初めて私たちの内で完結する。お上のプログラミングに決してハックされない「真に自立した日本人の知性」は、この二つの精神が合一した、その砦の上にしか存在しない。 ​引き裂かれた二人の魂は今、150年の時を経て、私たちの時代を切り開く一振りの刀となる。
  • 2026年7月8日
    独裁者の倒し方
    独裁者の倒し方
    権力は「市民の無関心」という名の協力でできている――マルセル・ディルサス『独裁者の倒し方』 ​現代の日本社会を観察していると、ある種の「窒息感」を覚える。個人情報保護法の改正に見られるような、一見すると「安全・安心」を掲げた法整備の裏で、市民のデータや富の統治権が、国や特定の巨大資本のシステムにじわじわとハック(独占)されていくプロセス。私たちは今、かつてのような武力によるものではない、耳当たりの良い言葉で市民を自発的に従順にさせる「ソフトな独裁」の檻の中にいるのではないか。 ​政府や官僚が、公平性という建前を捨てて「反国民的」に独善化していく現状を前に、私たちはどうやって「正気」を保ち、抵抗すればいいのか。 ​その冷徹な力学的シミュレーションを与えてくれるのが、マルセル・ディルサスの『独裁者の倒し方』だ。 ​本書が提示する最も強烈な現状評価は、**「どれほど強力に見える独裁者であっても、他者(側近や利権組織、そして大衆)の協力がなければ1日も権力を維持できない」**という事実である。 ​独裁者が独善的になるのは、市民ではなく「身内の利権ネットワーク」への利益分配という生存戦略に必死だからだ。しかしそれゆえに、批判的な知性を排除し、イエスマンだけで固められた統治中枢は、内部から思考の解像度が落ちていくという致命的な脆弱性を孕んでいる。彼らのシステムは、一見完璧に見えて、実は極めて脆い。 ​この知見は、私たちが抱く絶望の構造をガラリと変えてくれる。 ​かつてエーリッヒ・フロムは『正気の社会』で、病んだ社会システムに適応して思考停止する「ロボット(自動人形)」になるなと警告した。また、江藤淳の『閉された言語空間』や白井聡の『菊と星条旗』が暴いたように、日本は戦後一貫して「支配されている現実」から目を瞑り、与えられた「右・左」の感情的な分断プロレスに興じることで、真のハック構造を隠蔽され続けてきた。 ​これらすべての点と線が、ディルサスの「力学」によって1つに繋がる。 ​最大の罠とは、私たちが「難しくてわからないから」とお上に判断を委ね、左右の分断ゲームに付き合うことで、独裁のシステムに「無関心という名の協力」を差し出してしまうことなのだ。 ​現代における最大の社会的抵抗とは、お上の流すプログラミング(プロパガンダ)を拒絶し、構造のバグを冷徹に見抜く知性を磨くこと。そして、お上の家畜にならないという主権者の覚悟を持って、「無条件の協力」を一人ひとりが静かにやめていくことである。 ​本書は、歪んだ構造に流されず、自分の頭で考えて「正気」で居続けるための、現代市民の必読のバイブル(防波堤)だと言える。
  • 2026年7月7日
    占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間
    これと白井聡『菊と星条旗』を合わせて読んだ。 「現状評価(アセスメント)に右も左もない」ことの決定的な証拠がある。保守派の江藤淳『閉された言語空間』と、リベラル左派の白井聡『菊と星条旗』。書かれた時代も立場も全く異なるこの2冊は、日本という国が抱える「最大の不都合な構造」について、完全に同じ答えに行き着いている。 江藤淳が暴いたのは占領期のGHQによる検閲だ。恐ろしいのは「検閲の事実自体を隠した」こと。日本人は自由にモノを言っていると錯覚させられながら、実は米国の都合の良い枠組み(見えない檻)の中でしか思考できないよう、言語空間の「土台」をハックされた。これが歪みの始まりだ。 一方、白井聡が現代の視点から描いたのは、その檻が完成した姿だ。表向きは独立国を装いつつ、裏では「星条旗(米国への絶対従属)」が真の支配構造として機能している。政府与党は、この従属(ハックされた状態)を直視せず、自らの権力維持のために利用し続けていると告発する。 二人が共通して見抜いたのは「支配されている現実から目を瞑り、欺瞞の中に逃げ込む日本社会の病理」だ。この根本のバグ(構造)を直視したくないからこそ、政治は表層的な左右のプロレスで市民の目を逸らし続ける。処方箋は違えど、冷徹な現状評価(アセスメント)に右も左もないことの証明だ。
  • 2026年7月7日
    正気の社会
    正気の社会
    エーリッヒ・フロムは『正気の社会』で、社会そのものが病むことがあると警告した。何百万人もの人々が同じ狂気に染まっているからといって、それが正常なわけではない。現代で言えば、自分で社会の構造を調べもせず、与えられた「右・左」のラベルに盲従して感情的に叩き合う空気こそが狂気だ。 ​ ​病んだ社会に無理に適応して、思考停止したロボット(自動人形)になってはいけない。私たちがすべきは、感情の泥仕合から一歩外に出て、社会のバグを客観的に見抜く知性を磨くこと。歪んだ構造に流されず、自分の頭で考えて「正気」で居続けること。それ自体が、現代における最大の社会的抵抗だ。
  • 2026年6月17日
    武器としての「中国思想」
    面白かった。 ちなみに中国思想と言っても現代の中国に留学する学者はほぼいないそうだ。理由は直近では文化大革命で弾圧されテキストが残っていないこと、また、王朝の交代のたびにもテキストが失われてしまっていることが挙げられるという。では、中国思想のテキストはどこにあったのか。実は江戸時代の日本に原典の写本やそれに伴う注釈書が残っていたそうだ。清朝末期、日本にやってきた、たくさんの留学生は、古本屋でテキストを買い漁り、本棚は空になったという。そして買った本を日本で再度出版し、中国本土に逆輸入していたようだ。
  • 2026年6月1日
    茨木のり子詩集
    茨木のり子詩集
  • 2026年5月18日
    語るに足る、ささやかな人生
    一日に一章ずつ噛みしめるように読んだ。ついに旅は終わってしまったけれど、本をひらけばいつでも待っていてくれると思うとさみしさが紛れる。自分の生活をビルドアップして、その延長でコミュニティとしての「まち」を作り上げる。外部の資本に過度に頼らずに生きていく道があることを教えてもらった。
  • 2026年5月5日
    デジタル生存競争: 誰が生き残るのか
    がんばって通読した。
  • 2026年4月28日
    沈まぬ太陽(一)
  • 2026年4月25日
    隣の病い
    隣の病い
  • 2026年4月25日
    事実はなぜ人の意見を変えられないのか
    事実はなぜ人の意見を変えられないのか
  • 2026年4月25日
    なぜ世界はそう見えるのか
    なぜ世界はそう見えるのか
  • 2026年4月20日
    「ふつう」ってなんだろう 病気と健康のあいだ
    5章が特に興味深かった。それまでは「なんか難しいな」と感じて読みにくかったが、5章を読んで全部つながりました。読み終えられてよかった。 そうせざるを得ない状況に追い詰められた結果の自己決定と自由な自己決定、結論は同じでもプロセスが違えば社会問題になり得ると思いました。
  • 2026年4月20日
    知性の復権
    知性の復権
    積読してあるのを忘れてて、2冊目を買ってしまった。(笑ってやってくださいね) しばらくは積読解消に舵を切ろうと思います
  • 2026年4月20日
    働くことがイヤな人のための本(日経ビジネス人文庫) (日経ビジネス人文庫 グリーン な 7-1)
    読んでいて、マイケル・サンデルさんや勅使河原真衣さんの著書が思い出された。能力主義の議論に通底するものがあるように感じた。生きること、そして死ぬことは理不尽なことだがそれを受け入れてしまえれば多少は楽になると思ったし、実際ラクになった。この世に安住しようという下心が誤りのもとだ、という一文に思わず膝を打った。
  • 2026年4月17日
    いい写真は誰でも撮れる
    いい写真は誰でも撮れる
    前作『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』が良かったのでこちらも購入。どこが良かったのか。勉強になったのは現像のところ。パソコン(現像ソフト、Lightroomとか)にも強くないといけない。楽しかったのは写真をアイデンティティにしない、「ついで」に撮るというところ。どんなにいい写真もカメラも、ついでにパソコンもあの世には持っていけないからね。
  • 2026年4月8日
    ケアを学ぶ人のために
    ケアを学ぶ人のために
  • 2026年4月4日
    うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真
    うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真
    半分くらいまで読んだ。文章に特有のリズムとユーモアがあって、僕は読んでいて楽しい。でもこういう文章を「クセのある文章」とも言えるんだろうなと思った。人間みんな個性はバラバラなんだから、各々が文章を書けば「クセのある文章」になっちゃう。そこを面白がれるかどうか。自分の人間性を試されてるのかもしれない。
  • 2026年4月4日
    模型雑誌の中の宮﨑 駿
    模型雑誌の中の宮﨑 駿
  • 2026年3月29日
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