
なかむら
@duxuni
全部は書かない
- 2025年10月11日戦後を生きる意味鶴見俊輔朗読アンドリ・スナイル・マグナソン『氷河が溶けゆく国・アイスランドの物語(メモワール)』という本を読みはじめて、はじめてアイスランドという国が自分の地図のなかに入ってきた。鶴見さんが訪問記を書いていたことを思い出して。 https://twitcasting.tv/c:duxuni/movie/824593188
- 2025年10月9日迷路 下 改版野上彌生子読み始めた『迷路』も、ついに下巻に突入。上巻の最大の山場はなんといっても(?)「故郷」の章だったけど、そこからもずっと面白い。若い世代の登場人物が全員好き。 主人公の菅野が東京と地元の九州を行ったり来たりする展開がつづく。トスカーノのファシズム本を読みながらだったからか、こうした構成には、日本のファッショ化の過程を描くのに、東京だけを舞台にするのではなくて、地方と中央のあいだの経済的・社会的な相互作用をきちんと描き出せるようにするため、という側面もあるのではないかしら、と気づいた。
- 2025年10月9日ExtractionThea Riofrancos読み終わったシア・リオフランコスの『採掘:グリーン資本主義の最前線をめぐる』(2025)も数日前に読み終わった。インタビューやポッドキャストを熱心に追っていたがゆえに、議論の枠組み自体はなじみがあるもので新鮮味に欠けた(あくまで私にとっては)けれど、フィールドワークや個別の運動については、モノグラフならではの詳細さで知ることができた。段落ごとに内容をまとめながら読んだけど、とにかく構成が明晰そのもの。
- 2025年10月9日Late FascismAlberto Toscano読み終わったアルベルト・トスカーノの『後期ファシズム』(2023)。秋学期の講読の課題本になったので、ざっと通読。2章(人種ファシズム)、3章(ファシズムの自由)、7章(性的悲惨の大聖堂)が、話が具体的ですごく面白かった。
- 2025年10月4日迷路 上 改版野上彌生子読んでる「「行って見れば、わかるのだわ。」 三保子は口に出してそういった。揺籃めいた程よい振動で彼女を運んでいる自動車の外には、晩春の午後の町がいっしょに走った。速度につれて、緑に満ち、三時過ぎの斜光に照らされた路上のこまこました風物が、一枠、一枠、なにか焼絵硝子(ステインド・グラス)のような色彩と、輝やきで、両側の窓に嵌めこまれて行くのを、すこし疲れて、眠気のさした三保子はうつらうつら眺めた。そうして、もう汽車に乗っているような気にふとなったりするのに心づき、ぱっちり眼を見ひらいて、ひとり微笑(わら)いながら、なお旧領地への旅を思うのであった。きっと、鼓もよい品が残っているに違いない。みんな持って来るわ。それにしても、菅野が帰っていてよかったこと。——」(304頁)
- 2025年9月30日この星のソウル黒川創読み終わった『新潮』に載ったときと、新刊として出たときにそれぞれ読んでいたのに、今回読み返したらすごく重要な点を読み落としていたことに気づいた。ここからまだ考えたいことが出てくる、いい小説。
- 2025年9月22日Enter GhostIsabella Hammad読み始めたイザベラ・ハンマードの『幽霊登場』。岡真理さんの翻訳で『見知らぬ人を認識する:パレスチナと物語の力』が近く出ることを知って、取り寄せてみた小説。 ロンドンで俳優として活動しているソニアが、家族の故郷であり姉のハニーンが住むハイファーを訪れる場面から始まる。まだ読み始めたばかりだけど、すごくいい。 ガザの詩人・英文学研究者のリフアト・アルアライールが学生たちにシェイクスピアの『ヴェニスの商人』を好んで教えていたということを松下新土さんが紹介されていたけれど、この小説では西岸での『ハムレット』の上演が筋の根幹となるらしい。
- 2025年9月20日迷路 上 改版野上彌生子読んでる「黒い流れ」の章。 二・二六事件を扱った小説をそれほど多く読んでるわけではないけれど、現在形で体験した著者がほんの十数年後に書いているだけあって、迫真的だった(ドラマチックに書かれているという意味ではなく)。奥泉さんが『雪の階』を書くときのモデルのひとつが『迷路』だったという発言をどこかで読んだ記憶があるけれど、嘘かもしれないのでちゃんと確認したい。 「省三は五六人の肩を押しわけて小田に近づくと、びっくりしてふり返ったほど荒く外套の腕を摑んだ。彼らはその為すところを知らざるなり。——若い兵士の無邪気な笑顔を見ているうちに、その一句がぴったり千社札のように頭蓋骨に張りつけられたのである。」(190頁)
- 2025年9月19日
- 2025年9月17日迷路 上 改版野上彌生子読み始めたたぶん五六年くらい前に買って、いつか読もうと思いながら積みつづけていた本。文体に慣れるまでちょっとだけ辛抱が必要だったけど、ほんとうに素晴らしくて、何でもない場面でもつい涙ぐんでしまう。
- 2025年9月16日ホモ・エコノミクス重田園江一部だけ読んだジェヴォンズについて知りたくて第二部「ホモ・エコノミクスの経済学」(101-198頁)のみ再読。前に読んだときより格段によく分かったし面白かった。 よく分かるようになってたのは、最近読んだウルリケ・ヘルマン『スミス・マルクス・ケインズ』〔鈴木直 訳、みすず書房〕(経済学についてほぼ何も知らない私にとって、これはとても良い本だった)のなかで、同じく限界革命とそれにつづく新古典派経済学について簡潔かつ明快な批判が書かれていたからだと思う。 ヘルマンの本の方が見通しが効いてて批判としても鋭いと思ったけど、重田さんの本では個々の経済学者について、ネチネチ、ウネウネした記述が続いていて、読み進めるのが楽しい。ビールのくだりは何回読んでも最高。 自然科学上の定理の経済学への「比喩的」な適用がいかに杜撰なものだったかということは理解できたものの、その個々の事例が経済学の数学化とか抽象化とかのなかでどれくらいの意味を持っていたのかに関しては、あまり説得されなかった気がする。とはいえ、6節(「経済学の内部と外部」)の記述に迫力があって、押し切られるようにして読み終わった。 桑田学さんの『人新世の経済思想史』はこれからすぐ読む。
- 2025年9月15日船出(下)ヴァージニア・ウルフ,川西進読み終わった最初から最後までずっと良かった。ヘレンが好き。 天然ゴム輸入の貨物船に乗って南米へ向かい、途中には「原住民」の村落へ遠征をする場面があるなど、はっきり植民地小説という側面があって、舞台となる土地が(私の読みが浅いだけだと思うけれど)旧スペイン植民地なのか旧ポルトガル植民地なのかもはっきりしないくらい差異化されていなかったり、「未開」の世界の生命力とヨーロッパの「退化した」文明との対比が描かれていたり、いろいろ読みどころはあると思った。(木村茂雄さんの論文をちらっと読んだけど、コンラッドの『闇の奥』からの影響関係が指摘されていたりするらしい。) けどまあ、おそらくご多分に漏れず25章で打ちのめされて、呆然として読み終わった。またそのうち読み直したい。
- 2025年9月13日石油と日本: 苦難と挫折の資源外交史中嶋猪久生一部だけ読んだとりあえず太平洋戦争以前の箇所(第二章)まで。個別の情報と、あとはこの手の人たちの世界観が知れた。 ヤーギン由来の、石油=力の獲得をめぐる「すごい男性たち」の歴史で、なおかつそこに日本のナショナリズムもくっついているので、政治的に問題がある(例えば、日本の植民地主義による拡張政策に対して批判的な視点が一切ない)だけでなくて、単純に歴史記述としてもよく分からないものになってると思う。国際的な状況や海外アクターの視点が欠如しているので、なんか「日本」が主人公のクエスト系TVゲームをプレイしているかのような印象。
- 2025年9月11日第4次現代歴史学の成果と課題(第1巻)歴史学研究会一部だけ読んだ栗田禎子さんの「帝国主義と戦争」の論考だけ読んだ。近年の日本の研究を中心にまとめていて、より長いスパンでの研究史については別稿(『歴史学が挑んだ課題』)があるらしく、そちらも読まなければならない。 木畑洋一さんの『二〇世紀の歴史』で「帝国主義」という言葉を現代にあてはめることへの疑義が書かれていたのは私も印象に残っていたけど、栗田さんはそれに反論して、むしろそうした議論が「帝国」に焦点をあてた帝国主義研究の帰結なのではないかと書いている。「帝国」研究はある種その存在を正当化してしまう危険があり、たとえばそこで重要なものとされている「国際公共財」という概念は、近年の日米の軍事的一体化を根拠づけるうえで重要な役割を果たしてきたと言う。そこから進んで、「支配される側」の視点を欠いた「帝国」研究や「グローバル・ヒストリー」を批判した箇所が読み応えがあった。 栗田さんは他の論文でも反植民地闘争の国際的な相互影響について書いてらっしゃるけれど、ここでも帝国主義に対抗する反戦運動の流れについてこのように書いている。「その際同時に注意を払いたいのは、こうした運動は決して先進諸国内部で抽象的理想論にもとづいて自然発生的に生まれたわけではなく、その背後には帝国主義支配のもとで侵略・植民地化された諸地域の民衆のたたかいがあったということである。一八八〇年代にウィリアム・モリスらによってスーダン戦争反対の運動が展開された背後には、それに先立ってイギリスによる占領や軍事介入に抵抗するエジプトやスーダンの民衆の動きがヨーロッパに伝えられていたという事実がある。第一次大戦直前のイギリスにおける反戦運動や「秘密外交」反対運動(バートランド・ラッセルも参加)が、イラン立憲革命への英露の干渉に抗議し、イラン民衆との連帯をめざす動きとも連動していたことが示唆するように、欧米における平和運動はじつはあくまで侵略・植民地化される側の諸地域の民衆の運動に規定されるかたちで展開されてきたといえるのである。」(107-108頁)
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