物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために

175件の記録
- 百頭花|fleur cent têtes@flaneur_fleur2025年8月13日気になる出版社でライターをしていた頃に、資本主義が要請する物語の主人公になってしまった人間たちのしょうもなさを目撃してきた 私の勤めていた仕事はそれに加担する仕事だった あなたは肉塊だったときの方が美しいよ そんな顔で舗装道路を歩くのはやめなさい
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年8月13日読み終わったお風呂読書第4章のギャンブル批判と第5章のおもちゃ批判も読んだ。全体を通して、書かれていること自体はどの章もそこまで難しくないのだけど、5つの主体/遊び方がもつ危うさをどうかわしていくか、どう付き合い引き受け落とし込んでいくか、というところが個人的には難しく感じたので、他の方の感想も読みつつしばらく考えてみたいと思う。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年8月12日まだ読んでる就寝前読書お風呂読書第2章のゲーム批判と第3章のパズル批判を読む。パズルについてはほとんど考えたことがなかったので、こういう先行研究があるのだなと勉強になった。
- yomitaos@chsy71882025年8月12日読み終わった@ 自宅自分を物語として語らなければならないシチュエーションに、ずっと疑問を抱いてきた。特に就職面接。表向きは自分のためだろうが、結局のところ面接官に良い感情を持ってもらうためだけに、見栄え良く論理的・合理的な人生という物語をつくらなければならない、圧倒的な気持ち悪さがそこにはある。 挙句には、その先の物語として、望んでもいないビジョンやキャリア・夢を接続して語らなければならない。語った以上、それに向かって進む必要性もあらわれ、いつの間にか物語に沿って生きようとしてしまう。その不毛さに疲れ、適応できずにその場を離脱してしまうことも増えた。 自分がおかしいんじゃない。物語を求める世界の方がまちがっているんじゃないか? そんなことを考えていた自分に差した、光のような本だった。もう「何者かになりたい」なんて、物語のような物語は望まない。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年8月12日読み始めた自宅長い第1章=物語篇を読み終わる。 2節に出てくる自己語りがもつ「改訂排除性」と「目的閉塞性」という二つの危険性についてはもう少し批判的に自分なりにも考えてみたい気がする(今の随筆シーンで語られる「特権的な一人称が真実を占有してしまう可能性」の問題とともに)。 結論部で提示される著者にとっての「ユートピア」をまだ具体的にイメージできていないので、第2章以降=探究篇を読みつつ考えたい。
- えのもと@_n_em_2025年8月10日買った読んでる『ただ私は、物語を物語以外の用途で使うことをやめよ、と言いたいのだ。 物語が、何の社会的意義も見出されず、攻撃性も扇動力も持たず、ただひたすらに単なる物語として愛される社会。そんな社会とそ、私にとってのユートピアだ。 だが、そのユートピアといまの現実は程遠い。人々は物語で他人や自分を理解し、そこにはまりこんだり、物語で情動を搔き立てられて、その情動に動かされたり、物語の中のキャラクターに影響を受け、それに憧れたりしている。 物語は現実世界において役に立ちすぎている。 私は、物語で世界を理解しようとする態度に強い警戒を抱く。』 『私は、「私がこれからどうしたいのか」という問いに対し、「自分がしたいことをしたい」以外の答えを持たない。未来の戦略を立てて生きていきたいとは思わない。そのときどきでしたいことをしているだけだ。』 この文に出会えて、この本を読むことが出来て、この本を書いてくれて、ありがとうございます、という気持ち。
- 本を読む人@ko2025年7月23日読み終わった難波優耀『物語化批判の哲学』を読む。物語化、ゲーム化を強要する最近の傾向にうんざりしていたところ、ちょっとヒントをもらった気が。 サブタイトルは、「〈わたしの人生〉を遊びなおすために」。最後まで読むと、よーく意味がわかる。「遊び」についての考察は、別の形でさらに深く語ってほしい。
- 読書猫@bookcat2025年7月19日読み終わった(本文抜粋) “人々はあまりにも強い物語の引力に引き寄せられて、もはや物語に支配されつつあるのではないか、と私は危惧し始めた。 だから、私はこれから、物語に対抗したいと思う。何かしらの物語が私たちの幸福を奪うのだとしたら、もはやそんな物語は廃棄されるべきだろう。 私はよき物語を愛している。それゆえ、物語を批判したいと思う。” “私たちのアイデンティティのダイナミズムには、物語的と呼べるような時間的まとまりだけでなく、瞬間ごとに発揮されるような、断片的で、エピソード的な性質も含まれているはずではないか。” “人間は「ハッとする」ことに喜びを感じる生き物だ。科学や人文思想はそれゆえに進展してきた。それは、互いの意見を批判し合う健全な環境を失ってしまえば、途端、陰謀論的な思い込みが蔓延するという危険と、常に隣り合わせであったということでもある。” “世界をパズルに見立てる思考の過ちとは、世界を見くびっているところにある。 世界の問題が解けないという事実そのものが、私たちを解釈に誘い続け、考えることの意義深さを与える。答えがないからこそ、いつまでも問い、一つ明らかになるたびにまた不明さが増える。世界はますます謎めいて魅力的になる。” “ギャンブル的主体は、自分を運に賭けることで、自己変容を体感し、何らかの超越を目指す人物像である。ギャンブル的主体・自己は、自分の存在を、物語のように過去に結びつけるのでもなく、ゲームのように未来に向かって挑戦するのでもなく、過去でも未来でもない、「偶然」へと投げ出すのだ。”
- なきりけい@nakirikei1900年1月1日読み終わった評価 ★★★☆☆ 再読したいとも誰かに薦めたいとも思わなかった。読書前の期待が大きすぎた反動かもしれない。 第一章の物語化批判については共感できたが、第二章以降は引用に引用を重ねているため、著者の意見より引用の説明が多くなっているところは残念。また引用と物語化批判の接続がやや強引で、言葉足らずあるいは論そのものに疑問が浮かぶ箇所も見られた。 『〜の哲学』と題する本にありがちではあるが、この本もそれに漏れず、物語化批判はしているものの哲学(普遍原理の提示、問題の根本的解決法の提示)はしていない。その点でも個人的評価は落ちる。 と、悪い点ばかり並べてしまったが、それくらい購入前は内容に期待していたということで、ご容赦いただければと。