プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神改訳
15件の記録
- チャモピーピーチャマ@chu_berry2025年10月30日読んでる第1章を読んだので休憩! 資本主義の発達がプロテスタンティズムを用意したのではなく、プロテスタンティズムの職業倫理が資本主義発達の土壌になったのではないか?という話 第1章はカトリックとプロテスタントの対比、ルター派古プロテスタンティズムの説明 面白かったのが、ルターはカトリック教会の信徒の束縛を過剰というよりむしろ不足していると考えており、神への絶対的服従(=禁欲的態度に依らず、恩恵は現世的行いの如何と無関係であることを認識しつつ自身の義務を淡々と果たす)を原則としていたこと。またルターは(カルヴァン以後は知らんけど)心情や習慣の自由を認めておらず、生活態度には伝統主義的な思想を持っていた。 Eフロムが宗教改革を服従先の移動に過ぎないことを喝破したことの根拠がありそうな感じ ルターが世俗的実践を信仰の実践としたことの連関はよくわからなかったし、これが資本主義の精神に結びつくのはカルヴァン以後という感じなのかしら、、続き読むのめんどい、、、
泡沫(うたかた)@reads21512025年8月25日読み終わった宗教は利己的な享楽や浪費を否定していたが、その禁欲的な倫理が結果として資本主義の形成に寄与していた。マックス・ヴェーバーは、権威的な宗教が個人の経済活動にどのように影響を与えたのかを、宗教思想と社会学の観点から分析している。私は当初、禁欲の意味を十分に理解していなかったために、宗教と資本主義発展の因果関係を掴みづらかった。しかし第二章を読むことで、そのつながりがより鮮明になった。現代においても労働の「目的」が変化していることは紛れもない事実である。宗教的経済倫理が薄れた今だからこそ、働く意味を一人ひとりが見直す必要があると感じた。








