歩くという哲学

34件の記録
いちのべ@ichinobe32026年5月24日読んでる> 権力者が震え上がるのは、民衆が「共にあることの喜び」を見いだしてしまう時だ。力を結集させることの高揚のなかで、自分という存在が人類全体へと結び付いていることに気がつき、熱狂と歓喜のなかで、連帯することの心躍る楽しさを知り、自分たち自身に奉仕する歓びを見いだす時。(p200) 昨今の状況を想起する場面が多い。
いちのべ@ichinobe32026年5月23日読んでる> そのようなわけで、ニーチェは「足」を称賛する。人は手のみにて書くにあらず。よく書こうと思うなら「足によって」も書かねばならない。足は優れた、おそらくはもっとも確かな証人である。(p122)
いちのべ@ichinobe32026年5月22日読んでる図書館で借りてザッと通読して良かったので、Kindle版を買った本。少しずつ読んでいる。 > それから、歩く場合に大切なパフォーマンスは、ただひとつだけ。空の深さと風景のきらめき。歩くことは、スポーツではない。 > けれども、ひとたび立ち上がってしまったら、人はその場にじっとしてはいられない。(p7) > いつも、いつも、そうやって何かをしているけれど、存在はしているのだろうか? もっとよいこと、もっと急ぎのこと、もっと「する」べきことのために、「存在」することは後回しにされがちだ。(p100)
ハム@unia2025年5月12日読み終わった「歩く」を哲学的に考える。 〈自分を取り戻すためということが大きいですが、逆に、自分を見失うためでもあります。なにしろ、歩いていると、風景が美しすぎて、気がへんになるような時がありますから。あとは遅さを愉しむためでしょうか。それと、世界に対して開かれた状態にあるために。他者に対しても、自己に対しても、自分を空いた状態にしておきたいのです……〉 歩くこと自体が目的のようでいて、そこに何かを求めるのではないように歩くこと。 「わたしはわたしの見たものをわたしのものにする」というソローの言葉。 歩くうちに、心惹かれる色彩や陽光の記憶を、少しずつ自分のうちに溜めておくこと。わたしたちの宝物、本当の財産とは、わたしたちが受け取り、自分のどこかに格納しておいた世界のすがたの総計のこと。 〈歩くことは、世界を打ち破るのではなく、世界の存在にリズムを与え、世界は今確かにそこにあるのだということを実感させてくれる。〉 歩かない日なんてほとんどないし、「歩く」ことを丁寧に捉える意識を大事にしたいと思う。 ルソーやカントやニーチェの精神とつながるために「歩く」という試みを実践してみよう。 とにかく歩きたくなる。 哲学的な高尚なエッセイだけど読んでる間ずっとトトロのさんぽが頭に流れてたなぁ。

































