野原(新潮クレスト・ブックス)

15件の記録
- DN/HP@DN_HP2025年9月26日これは素晴らしかった、傑作!というのも間違いじゃないけれど、「傑作」という言葉はちょっと格式張った気がするし、もう少し個人的で感情的でもあるし、なんと言ったらいいかな、と考えてみる…… ああ、この感じは「愛おしい」のかもしれない。多分そう。わたしの愛おしい小説。そんなことをしっとりしながら思う。 自らの物語を語る街の墓地に眠る人々にはそれぞれの声があって、それは様々な文体で書き分けられる。それを現実で聞く会話のように自然に読(めることも凄い)んでいたけれど、章が変わるたびに全く違う響きがあることに改めて気がついたときにめちゃくちゃ感動した。きっと翻訳も素晴らしい。みたいなことを考えるとこれはやっぱり「傑作」とも言いたい気がしてきた。 愛おしい傑作小説。 個人が語る「真実」とそれを繋ぐことが出来る「事実」についても考えていた。多分それが世界のありようのような気が、しないでもない。また今度ゆっくり考えよう。
- DN/HP@DN_HP2025年9月26日読んでる心に残る一節「頭上の梢がさわさわと音をたてたと思うと、ちっぽけな白い糞が、ベンチの上、俺が座っている場所のすぐ横に落ちてきた。ピチャン!と音がして、その瞬間、俺にはわかったー今日は俺の人生で一番幸せな日になるだろうって。実際、そのとおりだったよ」 そんな瞬間が訪れることをわたしも待ち望んでいる。稀に横を通り過ぎていったような気がすることがあるけれど、気づいたときにはもう跡形もなくなっているのだった。
- DN/HP@DN_HP2025年9月25日読み始めた心に残る一節「ひとつひとつの声がもう一度聞く耳を得たらどうなるだろうと、男は想像してみた。もちろん、それらの声は人生について語ることだろう。人はもしかして、死を経験したあとでなければ、己の生について決定的な判断を下すことはできないのではないかと、男は思った。」わたしも思った。
- DN/HP@DN_HP2025年9月25日読んでる読書日記月末の用事(FUCK)をこなしに向かう道には、少し遠回りだけれど川沿いの土手を選ぶ。人生にはときにそういうワンクッションが必要だ。左後ろから照りつける日差しにはまだ夏の暑さが残っているけれど、前から吹いてくる風には秋を思わせる冷たさがある。かきはじめた汗もすぐに冷やされてTシャツもまだサラッとしている。季節と季節の間の、ある時間帯の絶妙なタイミングにだけ感じることが出来る心地良さ。 そんななかで出がけに数十頁だけ読んでいた小説のことを考える。ローベルト・ゼーターラーの『野原』。 「小さな町の墓所に眠る29人が語る、人生の一瞬の輝き、失意の底にあっても損なわれない人間の尊厳。」 「ひとつひとつの声がもう一度聞く耳を得たらどうなるだろうと、男は想像してみた。もちろん、それらの声は人生について語ることだろう。人はもしかして、死を経験したあとでなければ、己の生について決定的な判断を下すことはできないのではないかと、男は思った。」 なるほど。もしそうであったとしたら、今はもう会えない人たちは何を語ってくれるのだろうか、あるいはわたしはなにを語れるのだろうか、と想像してみる。その人生のダイジェストか、印象的な出来事か、はたまた愛すべき日常か。どんな話にせよ、きっとそれはこの小説に書かれているように短い話であるべきなのだろう。 ちょうど一年くらい前に今日みたいな心地良さを感じていた日のことを思い出した。少し遠い街の高台にある公園のベンチ。そのときももう会えない人たちのことや死について考えていた。そのときに感じた心地良さも考えていたことも、とてもよく思い出せた。少し意外にも思ったけれど、わたしが語りたいのはそんな日のことかもしれない。あるいは、それを思い出している今日と今感じている心地良さとか。いや、まだ「決定的な判断」は下すことが出来ないか、と思いながら土手の道を歩き続ける。イヤホンから流れているのはEVISBEATSとNagipanのアルバム『萃点』で、音楽も日差しも風も全部心地が良い。なんだか少し前向きな気持ちになっていた、かもしれない。 帰り道に寄った図書館で読んだ、気になっていた対談はめちゃくちゃ面白くて、当然のように吸い込まれた古本屋では眠れない深夜に観る映画みたいに読みたい小説を買えた。鴨の動画と花の写真も撮る。今日はペンタス。かわいい花です。なんだか今日も全部OKだったかもしれない。こんなOKな日がこれからもあればいいな。ああ、やっぱりわたしはそんな日のことを語りたいのかもしれない、とそんなことを思って帰路に着く。
- mimosa@mimosa091900年1月1日かつて読んだ「野原」と呼ばれる墓地で死者の声に静かに耳を傾ける老人。死者は雄弁に語る。まるでその時が訪れなかったかのように。現代アーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーの「発言する」という作品を思い出した。