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仲嶺真
@nihsenimakan
  • 2025年10月3日
    評価をしない評価制度
    一見、どういうこと?と思われるような「評価をしない評価制度」ですが、その現実的な内容と、大胆に「評価」の要素を抜き取ったことからくるメリット、そしてこの制度の可能性一それらをこの本にすべて取り入れて、読者の皆さんにお伝えしたいと思っています。ぜひ最後までお読みいただければ幸いです。 from はじめに
  • 2025年10月1日
    サボる哲学
    我々はなぜ心身を消耗させながら、やりたくない仕事、クソどうでもいい仕事をし、生きるためのカネを稼ぐのか。社会からはいつでも正しい生き方や身の処し方を求められ、もっと頑張れ、努力しろの大号令。他人に点数をつけられて、逸脱すれば落伍者。「はたらかざるもの、食うべからず」。 そんな世界はクソッタレだ!稀代のアナキスト文人が、資本主義下の屈折しきった労働倫理を解体し、そこから逃げだす扉をひらく。 本書カバー
  • 2025年9月29日
    アナキズム入門
    本書では、アナキズムを生み出していった一九世紀から二〇世紀にかけて活躍したヨーロッパの思想家・活動家について論じる。社会思想史の教科書を一瞥すれば、大体のアナキズムの思想家はちょろっと論じられるくらいだ。もちろん、それはそれで良い。教科書だから。しかし本書では、もう少し、アナキズムのエッセンスが掴み取れるように、私の好きなアナキストたちを論じていく。そこから少し、アナキズムの思考法を探っていこう。 アナキズムに入門してしまおう。 本書では、アナキズムの生みの親プルードンにはじまり、暴れん坊バクーニン、聖人のロポトキン、歩く人ルクリュ、そして再び暴れん坊マフノの順番に論じていく。p.10
  • 2025年9月23日
    会話を哲学する
    会話を哲学する
    pp.5-7  第一章では、コミュニケーションとマニピュレーションという概念について説明しています。全体の下準備となる章です。いずれの概念も私自身で定義したかたちで用いるので、以降の章の話がよくわからなくなったら、ここに戻ってもらうといいかもしれません。  第二章から第五章では、コミュニケーションを主に扱います。そのうち最初の三つの章では、よくあるコミュニケーション観ではうまく捉えられない奇妙なやり取りをたくさんのフイクション作品から紹介し、そこでいったい何が起きているのかを私の立場から解説しています。順番に述べると、第二章ではもうわかり切っていることをあえてコミュニケートするという例を扱い、第三章では間違っているとわかっていることをあえてコミュニケートするという例を扱い、第四章ではコミュニケーションにならないとわかっているからこそ、つまり伝わらないとわかっているからこそなされる発話を扱います。  第五章ではそれまでの章とは違い、コミュニケーションがすれ違った場合に話し手と聞き手のあいだでどういった交渉がなされるのかといったことをフィクションの例を手掛かりに論じ、そのなかでどのように暴力が起こりうるのかを述べています。いま現在の私の関心は特にこの第五章で語っているような事象にあるのですが、それはつまりほかの章で話していることに比べると現在進行形で考えている側面が強いということでもあって、この章の内容はいまの私の考えのスケッチのようなものになっているかと思います。  第六章と第七章では、会話においてなされつつあるコミュニケーションとは異なる営みとしてマニュピレーションに目を向け、いかにしてそれが会話のなかで展開されるのかを論じています。第六章は本心をコミュニケーションにおいては伝えず、マニピュレーションを介して知らせるという例を取り上げています。第七章では、マニピュレーションを介して話し手が聞き手を自分の望む方向へと誘導する例を論じています。
  • 2025年9月17日
    行動分析学入門 -ヒトの行動の思いがけない理由
    したがって、本書が狙ったのは、行動分析学が人間の問題を扱う時の〈核〉となる考え方を伝えることである。p.4
  • 2025年9月12日
    エモさと報道
    エモさと報道
    今や情報は溢れかえっている。 古典的ジャーナリズムの根幹にある「メディアと権力は対峙し、メディアは人々の味方である」というナラティブすら通用しなくなりつつある。 「メディアの特権性」を人々は嫌悪するし、記者の正当な取材が非難されることも珍しくなくなった。 このようなメディアの時代状況への対応が、物語によって「エモさ」に訴えることで、果たして本当によいのだろうか。 一言でいうなら、これが本書を通底する問題意識である。 p.10
  • 2025年9月10日
    社会心理学講義 ──<閉ざされた社会>と<開かれた社会> (筑摩選書)
    本書は社会心理学を俯瞰する教科書ではありません。人間を理解するためには、どのような角度からアプローチすべきか。それを示唆するのが本書の目的です。そんな方法論は社会心理学ではない、そのようなテーマは社会学の領域だ、思弁的考察は哲学に任せろと反論する人もいるでしょう。でも、そんな制度上の区別は私にとってどうでもよいことです。人間を知るためには心理と社会を同時に考慮する必要がある。というよりも、社会と心理とを分ける発想がすでに誤りです。問いの立て方や答えの見つけ方、特に矛盾の解き方について私が格闘した軌跡をなぞり、読者と一緒に考えたい。人間をどう捉えるか。願いはそれだけです。p.019
  • 2025年9月4日
    短期間で組織が変わる 行動科学マネジメント
    そもそも、ビジネスに携わるパフォーマーたちの望むものは一体何か?望まないものは何か?人間の行動に焦点を当て、行動を分析することにより、望む行動を自発的に行うマネジメントノウハウとして体系化されたのが行動分析を応用したマネジメントである。p.001 図書館
  • 2025年8月27日
    人間と経営
    人間と経営
    本巻は、人間に焦点を当ててこれまでの経営学を振り返り、現代を位置づけ、今後の経営学の在りようを展望する企画となっている。経営学の展開において人間がいかに捉えられてきたか、時代に応じて要請される人間の在りようは何ゆえにどのように変遷してきたかについて、その概略を初学者へ向けて解説することを企図している。pⅶ
  • 2025年8月26日
    なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論
    この本を通してお伝えするのは、「社会運動論」が独立した学問分野として確立されてから現在に至る、1960年代から2000年代までのおよそ40年の歴史です。p.8
    なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論
  • 2025年8月23日
    言葉の展望台
    言葉の展望台
    再読。
  • 2025年8月22日
    行動分析学マネジメント-人と組織を変える方法論
    人の行動は、変えられる。組織の文化も、変えることができる。 そのための科学的・体系的な方法論を、わかりやすく伝えたい。 これが、本書の執筆理由です。p.1
  • 2025年8月15日
    数学する精神 増補版
    岡田暁生著『西洋音楽史』(中公新書)のあとがきに引用されている言葉に、「対象が何であれ『通史』というのは、四〇歳になる前か、六〇歳になった後でしか書けませんからね」というのがある。この本の内容は通史ではないのであるが、しかし、数学そのものという、冷静になって考えてみれば、ずいぶん大風呂敷を広げたテーマについてであった。だから、この本を書き終わってみて、この「四〇歳になる前か、六〇歳になった後」という言葉が、改めて重く感じられてしまう。今、筆者は39歳。まさに「四〇歳になる前」最後の年である。この「怖いもの知らず」の時節最後の年に、このようなものを「書いてしまった」という感も若干ある。p.263
  • 2025年8月10日
    女子大生、オナホを売る。
    女子大生、オナホを売る。
    本書では、当時下ネタが苦手な女子大生だった私が、初めてオナホD2Cを立ち上げたときに何を考えていたのかを振り返っていきます。p.2 D2Cは、Direct to Consumerの略。
  • 2025年8月5日
    「モ-ド性格」論: 心理学のかしこい使い方
    この本を手に取ってみた読者の方は、あるいはびっくりするかもしれません。この本は、性格の本でありながら性格という考え方を批判し、心理学の考え方も批判しているからです。p.2
  • 2025年8月5日
    統計学が最強の学問である
    統計リテラシーのない者がカモられる時代がやってきた
  • 2025年8月1日
    数値シミュレーションで読み解く統計のしくみ〜Rでためしてわかる心理統計
    本書のターゲットは、統計を学び始めたまったくの初心者ではありません。高校や大学で教わったり、必要にせまられて入門書は読んでみたけれど、よくわからなかったという人に対して、新しい切り口から統計の世界へ案内するための本です。p.1
  • 2025年7月25日
    行動理論への招待
    行動分析学の神髄は、自らオペラント条件づけを試みることなしには真に理解することはできないというのが最近に至ってようやくもつことのできた著者の肩念である。 本書を読まれて、少しでも行動分析学に興味をもたれた読者には、ぜひとも身江な動物を用いてオペラント条件づけの実験を試みられることをおすすめする。熱意さえあれば、心理学にはズプの蒸人であっても、一向に躊躇される必要はない。p.305
  • 2025年7月22日
    ウィトゲンシュタイン 『哲学探究』という戦い
    「哲学探究」のすべてのページにおいてわれわれが目の当たりにするのは、哲学問題と格闘しているウィトゲンシュタインの姿である。私はその戦いの解説者ではあるが、同時にウィトゲンシュタインとともに格闘する者でありたいと思った。それゆえ、解説としては多少行き過ぎた私自身の考察を随所で展開している。それが「哲学探究」の考察ではなく私自身の考察であるときには、そうと分かるように書いておいたつもりだが、「哲学探究」を読むことに集中し投入したために、私とウイトゲンシュタインの境界がはっきりしなくなっているところもあるかと思う。その点はなにとぞお許し願って、ぜひ一緒に参戦していただきたい。p.ⅶ
  • 2025年7月15日
    こころを守る仕事をつくる
    そのような状況をつくるために、何ができるのでしょうか?我々には何が足りないのでしょうか?それこそが、本書の執筆と編集を通して、編者が考えたいことです。p.2
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