仲嶺真
@nihsenimakan
- 2026年8月18日
リーダーシップ入門金井壽宏読み終わった本書は、つぎのような構成になっている。イントロダクションであるこのⅠ章のあと、Ⅱ章では、リーダーシップを実践的に学ぶための地ならしとして、「学び方」を取り上げる。入門書からうまく学べるかどうかは、ひとえに書いた側の責任だと思って、できる限りわかりやすく書こうとしたつもりではある。でも、読む側が、鑑賞するように、眺めるように読むだけでは、なにも身に付かない。リーダーシップを自分も発揮する、すでに発揮しているひとはもっと磨きをかけるつもりで、実的に読むための心得をこの章で論じる。 Ⅲ章では、ふつうは退屈になりがちな定義の問題について、あえて取り組みたい。これまで実務家の皆さんとの対話のなかから、これなら肌感覚にも合うだろうと判断された定義を紹介しながら、リーダーシップを見る目を磨きたい。後ろを振り向いたら喜んでついてきてくれるフォロワーがいるかどうか、という問いがなぜリーダーシップの基本として大事なのか、読者の皆さんといっしょに考えていきたい。同時に、なぜ、フォロワーの側にも受動的についていくだけでなくある種の批判精神、能動性がいるのか、についても理解を深めたい。 これらの問いが、リーダーシップを定義する際にふたつの相互に関連した基準を提供する。 また、リーダーシップという表現を用いるが、リーダーという言葉で示されるものとどのように違うのか、リーダーにも種類があるのではないかというトピックを扱う。... pp.31-32 - 2026年8月15日
ライフスタイル起業高橋勅徳読み終わった本書では「起業するための知識やスキル」を手に入れるための投資は、(この本の購入代金以外)必要ありません。「誰もが持っていそうな知識やスキル」、「熱中した趣味で手に入れたちょっとした特技」などが、実はちょっとした工夫で現金収入につながることを、まずは知ってもらうことを目的として執筆しました。ライフスタイル起業という稼ぎ方=生きる方法があると知っておくことは、会社の都合に振り回され、将来(老後)にも不安を抱えながら生きていく現状から、解放される第一歩になるのではないかと筆者は期待しています。p.6 - 2026年8月14日
- 2026年8月13日
読み終わった本書は、米騒動から議論をはじめている。それは、大杉が米騒動のなかに、社会動員の解除をみいだしていたからだ。一〇〇〇万もの人びとが、社会によって植えつけられたアイデンティティをかなぐり捨てた。あれがしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい。むきだしの欲望の直接的行使。ストライキ。大杉は米騒動をみて、それまで自分がやってきたこと、自分が理論化してきたことがまちがっていないと確信した。そして、そのイメージをもって、労働運動の実践に乗りだしていった。では具体的に、大杉は米騒動をどのようにみていたのだろうか。そして、それをどのような思想や行動とむすびつけ、どのような労働運動として展開していったのだろうか。これから米騒動を出発点として、大杉の生の軌跡を追っていく。きっと社会に裂が走り、自由があふれだす瞬間をみいだすことになるはずだ。自由を口にしておきながら、むきだしの欲望を否定するのは、口のなかに屍をくわえているようなものだ。子どもが遊んでいないのは、生きていないのとおなじことだ。食欲な子どもは生をむさぼる。「僕は精神が好きだ」。p.14 - 2026年8月10日
アナキズムQ&A栗原康読み終わったそんじゃ、本書の構成だ。第1章は「さよなら、国音」。国の家畜にならないためにはどうしたらいいか。命令、強制はまっびらごめん。そんなら、自由っていったいなんだ。自分が好き勝手やるためだったら、他人になにをしてもいいのか。そんなこともがえてみたいとおもいます。 第2章は「カネで買える自由がほしいのかい」。資本主義の奴隷にならないためにはどうしたらいいか。奴隷制、封建制、賃労働。この世にはびこる労働と収奪のシステムを終わらせよう。アナキストははたらかないぞー。 第3章は「おもい、おもわれ、ふり、ふられ」。もうがまんできない。権力者に踏みつけられてきた民来がついに立ちあがる。一人じゃないよ。怒りが共鳴をよび、共鳴が歓喜の渦をうみだしていく。集団的身体。たすけるものがたすけられ、たすけられるものがたすけるのだ。その力に誇りをもちたい。 第4章は「いま!いま!いま!」。革命ってなんだ。たとえ権力を倒したとしても、こっちが権力に似てきちゃったらおしまいだ。権力と闘い、権力を脱する。いまここで、支配なき共同の生を紡ぎあげよう。いいよ。 pp.10-11 - 2026年8月5日
- 2026年8月3日
- 2026年7月28日
- 2026年7月24日
[新訳]HOLACRACY(ホラクラシー)ブライアン・J・ロバートソン,吉原史郎,瀧下哉代読み終わったパート1の次章以降では、ホラクラシーがどのように権限を分配するか、それが新しい組織構造にどのように反映されるかについて順を追って説明しよう。 パート2では、ホラクラシーというオペレーティングシステムがいったいどんな仕組みで動作するのか、その構造、プロセス、システムといった、基本的なポイントを一通り紹介しよう。これらの章は、ホラクラシーをあなたの会社に実践するためのハウツーガイドではない。むしろ、ホラクラシーというOS上で動作する組織で働くというのはどんな感じか、さまざまなシナリオやシミュレーションに参加して、それを体験できる実験的なワークショップだと考えてほしい。 最後にパート3では、あなたがこの本で学んだことを実践する際に何から始めればいいか、また、どんなことを想定しておくべきかについて、アドバイスとガイドラインを示そう。 - 2026年6月23日
クルト・レヴィン―その生涯と業績 (1972年)A.J.マロー読み終わったかようにさまざまの領域で行なわれた社会調査に、まだレヴィンの影響が続いていることや、また友人、同僚の研究に与えた影響のことを考えたので、私は、たくさんいる共同者の仲間のひとりとして、レヴィンの心理学における生活についての思い出を集めたのである。p.ⅺ 図書館 - 2026年6月5日
ドゥルーズの哲学原理國分功一郎読み終わった本書が目指すのは、それゆえ、ジル・ドゥルーズという哲学者の著作を読むことである。それによって我々はドゥルーズを読むための最低限の条件を整えようと試みる。本書の大それたタイトルは、その意気込みを表している。p.16 - 2026年5月29日
- 2026年5月29日
コ・デザイン上平崇仁読み終わったこの本では、これまでデザインの文脈と接続して論じられることが少なかった、人類学、教育学、心理学などのさまざまな学問領域の知見を借りながら、「いっしょに」「デザインすること」はどのような意味を持つのか。そして、今なぜ取り組む必要があるのか。そんな問いに対して広大な見取り図を描いていきます。pp.7-8 - 2026年5月17日
民主主義とは何か宇野重規読み終わった民主主義について過不足ない本を書いてみたい、そう思ってこの本を執筆しました。何か民主主義についての新説を唱えたいわけではありません。昨今、「熟議民主主義」、「闘技民主主義」、「デジタル民主主義」など、「~民主主義」といった言葉も少なくありませんが、本書で新たな民主主義の分類を提案したいわけでもありません。民主主義について押さえておくべき基本を一つひとつ丁寧に確認し、その上で、この民主主義という正体のつかみにくいものを、自分の手でしっかり握りしめたいというのが本書の願いです。p.267 - 2026年5月10日
それは私がしたことなのか古田徹也読み終わった本書は、「そもそも行為とは何か」という問題を哲学的に探究する試みである。より具体的に言えば、「何かが自然に起こることと、人が意図的に行うこととの違いは、一体どこにあるのか」という問題や、あるいは、「人はどのような場合に、「それは私がしたことだ』と認めるのか」といった問いの答えを導き出すことを試みる。そして同時に、以上の探究が、「倫理学」と呼ばれる哲学の一分野ー「自由」や「責任」、「道徳」、「生き方」などにまつわる哲学的探究ーの根源に触れるものであることを確認する。 本書の第2章までは、いま「オーソドックスな「行為」の概念」と呼んだもの、すなわち、「自分の自由な意志で何らかの目的を達成しようと試みる」というのが具体的にどういうことであるのかを掘り下げていく。まず、その「自由な意志」とはそもそも何かということが大きな謎であることを確認した上で、避けては通れない問題として、「人間にそもそも自由な意志は存在するのか、それとも、人間が何をするかは自然法則によってあらかじめ決定されているのか」という、自由意志と決定論をめぐる論争を扱う(第1章)。そして、「自由な意志の働きとは脳の働きに他ならない」という現代の「科学的主張」を批判的に検討しながら、第1章の問いに対する解答を提示する(第2章)。 以上の探究によってオーソドックスな行為の概念の中身を整理できたところで、本書の議論は先の「車と子どもの衝突」の例へと徐々に接近していくことになる。その中で、なぜこの例がオーソドックスな行為の理解と折り合わないように見えるのか!なぜこの例が、いま我々に「謎」として立ち現れているのかーを明らかにすることができるだろう。また、この例をまさに行為の例として適切に位置づけ、そこからオーソドックスな行為の概念をもう一度照らし返すことで、行為の全体像を見渡す展望を開くことができるはずである(第3章)。 そして、行為という概念をめぐって本書が辿るこうした哲学的探究は、次第に、「倫理学」の領域へと深く接続していくことになる。その過程で、行為者の個別性ないしは置き換えのきかなぎというものを切り捨ててきた既存の倫理学の枠組みの問題点と、倫理学という営みの本来の「故郷」とも呼ぶべきものが浮かびあがってくるだろう。これを踏まえて、本書は最終的に、一般的な理論体系の構築というものとは異なる倫理学の方向性を提言することへと向かう(エピローグ)。 pp.ⅱ-ⅲ - 2026年4月24日
- 2026年4月18日
読み終わった本書は「ことばの意味とは何か」を扱う第Ⅰ部「意味とポイント」(第1章〜第3章)と「心とは何か」を扱う第Ⅱ部「心とアスペクト」(第4章、第5章)からなる。第I部では、ウィトゲンシュタインの言語哲学(ことばの意味とは何か)、そしてメタ哲学(哲学とはどのような営みであるか)における「見方」=ポイント概念の意義について、第Ⅱ部では、心の哲学(心が存在するとはどのようなことか)における「見方」=アスペクト概念の意義について考える。なお第I部と第Ⅱ部はそれぞれ内容的に独立しているため、どちらから先に読み始めてもらっても構わない。(ちなみに各章のタイトルは、ウィトゲンシュタイン自身の書き残したリマークから採用している。 pp.33-34 - 2026年4月6日
- 2026年4月1日
自動車の社会的費用宇沢弘文読み終わった本書は、自動車の社会的費用という問題について、主として経済学的な側面からの分析を試みるものであるが、ここに述べたような事情もあって、経済学者の間で一つの共有財産となっている考え方を紹介するという性格のものではない。むしろ、自動車の社会的費用という問題を通じて、現代経済学の理論的前提にどのような問題点が存在し、どのような修正が必要とされているのか、ということを考えてゆこうとするものである。現実の経済社会における経済循環のメカニズムをどのように分析したらよいか、という問題について、わたくし自身これまで試行錯誤のプロセスを繰り返してきたのであるが、ここではその一端を紹介し、自動車の社会的費用をどのようにして計測したらよいか、という問題に対して一つの方式を提示したい。pp.18-19 - 2026年3月31日
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