野蛮の言説

23件の記録
- yh@yh2025年11月24日図書館本少し読んだ寝る前@ 自宅明日の図書返却前に第14講と、第15講に相当する最終講を読んだ。(だから、第6~13講は未読) *** “人々が「知性」という語で捉える差は「注意力」という語に置き換えることができます。”、以下私的要約:知的能力差とは注意力の向け方の差。関心の幅と注意の向け方が、「知性」において何より重要。著者は、遠い 国/場所/過去といった、日常と切り離された事柄への注意・関心が向くことは、そこに深い「知性」が働いていると考える。このような「知性」が、時代の社会常識にかなりの程度規定された価値観に基づいた判断を下している私たちの、例えば<野蛮の言説>から逃れるような常識への疑い/常識への相対化の唯一の方途となる。
- yh@yh2025年11月21日図書館本少し読んだ職場昼休みp.79まで。ラテン語で黒を意味する「niger」ニゲール。ナイジェリアとかニジェール川の名称は、ここからきていそう。セネガルもネガルの部分がnigerからきているかも。
- yh@yh2025年11月20日図書館本少し読んだ職場昼休みp.60まで読んだ。 昨日から昼休みに読んでいる。自分たちの言語を解さない異国人たちを野蛮人だとみなす。自分たちよりも劣った人間たちであるという蔑視、一方的にして否定的なレッテルを生じさせている。

- DaDa@tub2025年8月28日読み終わった「野蛮」という言葉がどの様に成立し正当性を持って使われたのか、またそれが17世紀からアウシュビッツを経て21世紀のヘイトスピーチに接続するまでを追った一冊。 17世紀からの大航海時代・植民地時代では、 宗教的教条や啓蒙主義が野蛮を規定し、植民地支配の正当性を与した。 20世紀では科学的言説が人種の亜種・劣等種である野蛮を規定し、優勢種を保守する為にそれらの廃絶を正当化し促進した。 21世紀では前世紀までの反省があってもなお、経済不和からの貧困・合理主義や区別と称した差別が排外主義を興盛させた。 最終章では著者はこれまでの歴史を踏まえ、どの様に思考し使う言葉に対し見直しを図れるかを記しているが、野蛮の言説が其処彼処で飛び交う現代では必要な姿勢を提示していると感じた。

Sanae@sanaemizushima2025年8月9日読み終わった文明の対となる語が野蛮、野蛮と呼ばれる言説について、ダーウィンの進化論から紐解かれていく。科学的根拠を結びつけて差別政策の大義となり、社会常識となっていくさまが非常にわかりやすく書かれている。 環大西洋文化の研究者である中村先生が植民地や奴隷制度だけでなく、ナチによるホロコースト、関東大震災の朝鮮人虐殺、七三一部隊、相模原障害者殺傷事件、ヘイトスピーチなど、さまざまな角度から検証している。<野蛮の言説>が見事に繋がっていることに気づく。 400年前には黒人が野蛮だということは“常識”であったし、日本も侵略戦争を企てたのは非文明人を救うという大義名分があったから。当時はそれが社会常識となっていた。 「時代の影響を被るがゆえに、自分の意見ではなく、他人の積み上げてきた意見を繰り返しているにすぎない」と。 自分の考えを絶えず検証する努力。幅広く人の話を聴く、本を読む、こういったことを続けていこうと思った本だった。
















