沖縄社会論
46件の記録
Sanae@sanaemizushima2026年8月13日読み終わった岸政彦さんの新書「生活史の方法」で打越さんがすごい、彼は希望だったと何度も書かれているのを見て読んでみたが、社会学を何も知らない私から見ても、確かに打越さんはすごいと何度も思ってしまった。 岸さんもあとがきで書いておられたが、一読者である私にもいろんな衝撃があった。 「強いものに反抗したり、反骨心を持ち、弱いもの同士で連帯していこうと展開するような実践の方向ではなく、強いものに巻かれ、とにかくその場を切り抜けようと振る舞う走りの態度が私の体には染み付いています。」(p31) 社会学として考察する中で、インタビューをして外側から眺めて論じるのではなく、実際にパシリとして一緒に働きながら、「参与観察」という方法で、“人びと”ではなく、“人びとの対峙する世界”を知るということを10年20年という単位でやって、そこに生きる人の思いを引き出すという、気の遠くなるような過程をライフワークとしていた打越さん。 「このように巻き込まれながら調査する理由は、そうしないと私たちが立てた仮定のことしかわからないからである。社会調査は、調査者が想定したことを確かめに行くだけだけではなく、私たちがまだ知り得ていない世界に魅力を感じ、またそれを見落とすことに恐れながら調べることでもある。」(p88) 全く、すごいという言葉しか出てこないのは恥ずかしいけれど、内側から、彼らと同じ立場に立ってみないとわからないこと、インタビューで発する言葉だけでない何かに気づくということは、この方法でしか導き出せないものは確かにあると思う。 沖縄の産業構造、(二次産業と一括りに考えるが、製造業が少なく、建築業が多い構造)、復帰したときには日本の高度経済成長は終わっており、日本特有の経営の特徴(組合や終身雇用)の経験がなかったことなどの背景をあぶり出す。 「沖縄ではいつ終わるのか、またルールをいつ変更されるかがわからないゲームが延々と続いた。」(p156) これで少し自分の中で納得できるものがあった。想像に反して、沖縄では意外と自民党支持があって(沖縄では一番支持されないんじゃないかと勝手に思っていた)、2月の選挙は沖縄でも自民が圧勝。その意味がわからなかったけど、政権が変わることによって、自分の生活が左右されるという懸念もあったのか、と想像した。 基地問題の「そこで働いている人もいるから、一概に反対というふうには言えない」と思うこと同じで、ここにも両義性があることに気づく。 沖縄については知らないことが圧倒的に多いと思ったことと、打越さんの凄さ、石岡丈昇さん、上原健太郎さん、上間陽子さん、岸政彦さんの解説のおかげでよりよく理解できたこともあり、彼らの著書もぜひ続けて読んでいこうと思った。





マリア@bella10172026年7月20日読んでる解るとは、何かをカテゴライズすることではなく観測者側が「変わる」こと 体験を切り崩して自分の中に取り込むこと パシリによってフィールドワークを実施したのは父の影響もある、強い権力に付き従う 沖縄のヤンキー達の生き方にマッチしていた 内地は沖縄との違いやバウンダリーを意識しないと知覚できないが、沖縄の人は常に「くそうちなーちゃ」を意識して生きている
中村@boldmove332026年3月11日読み終わった本書は、打越正行が気骨のある社会学者であったことを記録していると同時に、彼が優れた人格の持ち主だったことを示す証跡となっている。フィールドノーツからは彼が調査対象者たちから愛されていたことが伝わってくるし、解説からは同業者たちからも愛されたことが読みとれる。すばらしいフィールドワーカーでとても憧れる。こんな仕事ができる人になりたい。 >佐藤にとってフィールドワーク至上主義は、調査票中心主義とともに、避けるべき調査態度である。そしてそれを避けることで、調査対象者と一定の距離をとり、さまざまな調査方法で対象に迫るとする「恥知らずの折衷主義」を提唱する。それはある特定の視点や態度に固執しないという点で多様であり、また柔軟なものであるが、つかえる部外者という安定的な地点からの定点観測的なものの見方となっている。(p. 74) >巻き込まれながら調査する理由は、そうしないと私たちが立てた仮説のことしか分からないからである。社会調査は、調査者が想定したことを確かめに行くだけではなく、私たちがまだ知りえていない世界に魅力を感じ、またそれを見落とすことに恐れながら調べることでもある。(p. 88) >打越は、自分をおとす。相手をおとすのではなく、自分をおとすことで交流を深めることを、打越は反射的におこなうことができる。そうして自分をおとすことで、相手を上に置く序列をつくりだし、やりとりを展開していく。これがパシリとしての参与観察の基本構図だ。(p. 104) >製造業がほとんどない沖縄では、合法的に中間層にたどり着くルートはほぼ閉ざされており、非合法的な手段でそこを抜けるルートしかない。それゆえに、暴力団に入ったり、刑務所に行ったり、また地元から消息不明となる若者も出てくる。(p. 155) >日本社会の経済成長は、大雑把に述べると地方の農村出身者が都市に向かい自ら安定的に働き、その結果賃金が上昇し、今まで手の届かなかった電化製品を手に入れ、より安定した地位を得るといった循環を何度も経験した。(p. 184) >暴力は当の本人がまったく統制できない行動でもなく、ある社会の興奮状態で起こる聖なる行為でもない。それは文明化された現代でも、いつでもどこでも誰でも行使しうる世俗的な行為のひとつである。その意味で、私たちはまだ完全には文明化されていないはずだ。そのうえで必要なことは、暴力という行為を理解することである。(p. 321) >後輩に追いつかれることの恐怖にもとづく暴力は、現在の沖縄の建設業だからこそ現れるものである。製造業であれば、先輩は次の技術段階やより高い給与、そして後輩にはつけない地位につくことができる。他方で宮城は追いつかれ、そこであたかも自身と浩之がフラットな関係にあるような態度をとるということは、宮城にとって屈辱的なものとして映った。(p. 344) >仲間になること。一員になること。実際にそのメンバーになること。それは、感覚や信念までも共有すること、同じ考え方をすること、単に装うのでもなく演じるのでもなく、「実際に」その一員となるということだ。つまり、参与観察の果てにあるのは、自分が他者になっていくことである、ということを、打越正行は身をもって示したのだ。(p. 403) >私たちは当事者にはなれない。そのことはいまでも変わらない。しかし打越の調査実践を20年ほども身近で見てきて、私たちは当事者にはなれないけれど、「関係者」にはなれるかもしれない、と思うようになった。打越にとって沖縄はもう、他人ごとではなくなっていた。(p. 409)

にわか読書家@niwakadokushoka2026年2月27日読み終わった@ 自宅代官山蔦屋書店の上間陽子さん・信田さよ子さんのトークイベントをオンラインで見て、買っておいたものを読み始める。心を揺さぶられた。 結論が出ていなくともフィールドワークの記録からしか得られないものがあると思っている。 本という媒体に関わり続けたいと思う理由の一つでもある。



白玉庵@shfttg2025年12月27日買った@ UNITÉ(ユニテ)石岡さんの手売り会で買えた。打越さんの楽しそうなスナップ写真も飾られていて、いい先生だったんだなぁと改めて思った。 年末年始本が積み上がっている。











































