鳩の撃退法(上)

鳩の撃退法(上)
鳩の撃退法(上)
佐藤正午
小学館
2018年1月4日
8件の記録
  • りら
    りら
    @AnneLilas
    2026年2月14日
  • ひろるり
    ひろるり
    @hiroruri
    2026年2月14日
    ブックフリマにて、上下巻セットで50円の破格値だったこの本。コーヒーのシミが盛大についていて、これは私しか買わないだろうなと思い購入。 長旅のお供に読み始めれば、栞がないことに気づいて、カバーの端を挟み込むとこに。 本の内容とこの1冊がシンクロしている。うちに来る子だったんだなぁ。
  • ほほ本
    @ryuuutami
    2026年2月7日
  • K.K.
    @honnranu
    2025年6月25日
  • 橘海月
    橘海月
    @amaretto319
    2023年6月9日
    小説家の津田は、成り行きで後に行方不明となる幸地家の父秀吉とドーナツショップで短い会話を交わす。その晩の出来事は、秀吉のみならず、津田にとっても運命の分岐点だった…。物語が作家の書く小説となっている入れ子状態が鴻上尚史「恋愛戯曲」を彷彿とさせる。 その津田による描写がこの上なく読み辛い。津田のルーズさや社会性の欠落したやる気のなさが、物事をよりわかりにくくさせている。第三者視点で秀吉とドーナツショップで会った男の描写を延々とした後に「実は僕である」となり、突如1年以上時間が経つ。徐々に津田の「ほえ」すら腹立たしくなってくる。 ただのストーリーテラーかと思えば、一応主人公であるところの津田があまりにもダメンズで、これでもかという駄目っぷりにいっそ清々しくなるほど。常に女の部屋に居候し、たまたま知り合った女を次の居候先に乗り換える。連絡はせず、時間は守らない。相槌は「ほえ」だからこそ、あの展開が小気味良い。 作者が長々とバタフライエフェクトさながらの群像劇を描いていたのも、あの津田にギャフンと言わせるためだと思えば、ひたすら助長的な文章も、煮え切らない津田の態度もムカつく「ほえ」も(しつこい)許せる気がする。それはそれとして、ヤクザ的描写で彼が言う言葉はとても怖かった。静かな怒り。
  • 白玉庵
    白玉庵
    @shfttg
    1900年1月1日
  • 咲
    @mare_fecunditatis
    1900年1月1日
    佐藤正午は、Web岩波「たねをまく」の「小説家の四季」にて、2022年夏と秋に「小説家の不親切」をぼやいている。 言行一致。 本作でも津田伸一をとおして、あらゆる固有名詞とその付属物を、言葉を尽くして説明させる。 周囲の人間の言葉を使って「悪い癖だよ、どうでもいいことにこだわるなよ」と繰り返し批判させながらも、その書き方をやめない。 この人は、読者が小説内で新奇な単語に出くわしてまごつかないように、過保護なまでに抽象度を下げる。読者が言葉どおりに、つまりは作者の意図どおりに小説を受け取ることを、強く望んでいる。 何度となく読んでは、小説の面白さに惹き込まれる。 佐藤正午は好きだ。 石井桃子訳のピーターパンとウェンディ、父親を「ヒデヨシ」と呼ぶ娘と一家三人神隠し事件、飛んでいった鳩、何でも燃やしてくれるクリーンセンター、大雪の2月28日夜。 謎めいて魅力的な部品が散りばめられて目移りするが、この小説のテーマは「小説」だ。 幸地秀吉がミスタードーナツで読んでいた新刊小説の帯には「別の場所でふたりが出会っていれば、幸せになれたはずだった」との謳い文句があった。 津田伸一はそれに対して「だったら、小説家は別の場所でふたりを出会わせるべきだろうな」と言った。 たらればが有効なのは、現実の取り返しのつかない一回きりの人生においてのみだ。 小説家は小説を心ゆくまで書き直すことができる。 津田伸一は事実を書いているのではない。 事実をもととしながらそうあってほしいと望むストーリーとその結末を、言葉によって創造している。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved