家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ
20件の記録
隅田川@202506282025年11月24日気になる11/24(月・祝)日本弁護士連合会第67回人権擁護大会プレシンポジウム 戦後80年連続平和企画 「戦争という暴力-逃れられないトラウマ-」 第1部 講演 中村江里さん(上智大学准教授) 「戦後家族の中の『戦争』」 第2部 講演 信田さよ子さん(日本公認心理師協会会長) 「家族の暴力と戦争トラウマ」 第3部 パネルディスカッション 中村江里さん、信田さよ子さん、佐藤博文さん(自衛官の人権弁護団・北海道 団長) 陸海軍軍人に賜はりたる勅諭(軍人勅諭) 明治十五年一月四日 「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ」 『文選』に収録された 司馬遷の「報任少卿書」という文章に由来する言葉 「死は時に泰山よりも重く、時に鴻毛よりも軽い」
くりこ@kurikomone2025年9月15日まだ読んでるp.219 性虐待と、戦争神経症が ともに国家と家族の根幹をなすイデオロギー保護のためにないものとされていて根底で深く繋がっていると言う指が興味深い。 性虐待を容認すれば、絆、愛情、特に家長である父の正しさで支えられる家族イデオロギーが崩壊する。 また、性虐待は女らしさのジェンダーの根幹をなす処女性が崩壊する上、父から犯されるという法外な汚れ方である。 戦争神経症を容認すると、日本軍をめぐる神話(帝軍兵は恐怖を抱かず死も厭わずたたかいぬく兵隊さん)が崩壊する。 男性が恐怖や不安のような感情に流されない強さ、死を厭わない勇気も否定することとなる。 私的で最も見えにくい家族で起きていることは国家で起こっていることと連動しており、家族とは最も明確に国家の意志の働く世界であり、最も力関係の顕在化する政治的世界である。 ーーー 『生き延びるための思想』上野千鶴子 「プライバシー原則とは家長という私的権力の支配圏に対して公的権力が介入しないという密約の産物ではないのか」


くりこ@kurikomone2025年9月14日まだ読んでる再読中父ー母ー子からなる近代国家の家族の暴力を防止するために信田さよ子さんは、暴力への厳罰主義的な政策も必要だが、近代家族を支えるロマンティックラブイデオロギーの解体をと提言する。 信田さんの言うように個人が安全に暮らせる器=器とするなら、ペットと暮らす人、男同士、女同士など「これが家族だ」と言って仕舞えば家族になれるシステムはとても良いと思う。 ただ右傾化した日本で、家族の密度はもっと高まるだろうな。きっと暴力ももっと増えると思う。

yt@yt2025年3月15日読み終わった長年の心理職経験に基づく言葉は重い。 論拠は現場にあるんだと思う。 提示される家族の状況がつらすぎて、うまく感想が書けない。 少しずつ何かあるたびに思い返したい。

















