
あかねいろ
@aKn327bqPd
2023年春頃から本を読み始めました。
ペースはまちまち。
- 2026年7月11日
ダクダデイラ餅屋蛾気になる本屋に行ったら売れ筋ランキング上位のポップに飾られて並んでいた。 前にYouTubeで紹介されているのを見たときから気になっていたので、いつか読みたい。 余談だけれど、以前SNSで 『小説という媒体は、「わたし優等生です」「お上品ですわよ」という顔をしながら、とんでもない問題児が当然のように平積みされたりしている』 といった話題を見かけて、それを意識しながら改めて書店を眺めてみると、たしかに…と少しおかしくなってしまった。 - 2026年7月8日
- 2026年7月4日
同姓同名下村敦史読み終わった登場人物の九割が同姓同名ってどうなっちゃうんだこの小説~~~と思いながら読んでいたら、途中から(流石にこの展開は無理があるのでは…?)と感じだしてしまった。 ※以下ネタバレ含む※ 本作品は"登場人物のほぼ全員が『大山正紀(おおやままさのり)』"という前提を置いたうえで、"猟奇殺人を犯した大山正紀"、"大山正紀を殺害した大山正紀"、"大山正紀に殺害された大山正紀"、"何者かに襲われた大山正紀"など、どの大山正紀が何をした大山正紀なのかを推理していく内容になっているわけなんだけど、正直、『大山正紀(おおやままさき)』という女性が出てきた辺りから、なんでもありじゃねぇかという萎えの気持ちが湧いてきてしまった。 読後感としては、叙述トリックに完璧に嵌められたとき特有の「あっぱれ!」感や「くやしい~!」感は薄く、どちらかというと初見殺しを食らったような気分になった。 でもやっぱり、登場人物が全員同じ名前という設定はとてもわくわくした。 また、本作は物語の性質上、昨今も過激になり続けているSNS上での誹謗中傷にも焦点が当てられているが、本編の最後で大山正紀らが語っていたことが作者の本音というか、声を大にして言いたいことなんだろうなぁと思った。 - 2026年6月28日
悲鳴櫛木理宇読み終わった櫛木さんの作品はまだ五冊ほどしか読んでないけれど、そのなかでもかなり明るい終わり方をしたのでビックリした。 ただ、喉に絡むような重苦しいテーマと内容に反するあっさりさっぱりとした独特の読み味は、やっぱり櫛木さんの作品だとも思わされた。 この作品の舞台は、平成生まれの自分が想像していた『昭和時代の男尊女卑社会』を更に凝縮して煮詰めたような世界観で、正直誇張なんじゃない?と思ってしまう程だったけれど、しかし、身の回りにある生活を見返してみると、その凝縮された価値観の残滓みたいなものを感じたりもする。 古くから形成されている男女の役割みたいなものは、それはそれで大事なことだとは思うけれど、まずは一人一人の人間として接していかなければならないなと、改めて思い直した。 - 2026年6月13日
- 2026年6月9日
同姓同名下村敦史読み始めたある殺人事件をきっかけに、様々な「大山正紀」たちの人生が変わっていく物語ということで……。 どう足掻いても事前予防することができない"名前"という究極的な運命に振り回されることになる大山正紀たちのこれからの人生がどのように変化していくのか……。めちゃくちゃ気になります。 - 2026年6月6日
- 2026年6月3日
イン・ザ・メガチャーチ朝井リョウ読み終わった中盤以降、ひたすらに「そうなるかぁ~!」の連続だった。 読み終えると、インタビュー動画で語られていた、タイトルの"イン・ザ"の部分が深く理解できた。 確かにこれは、熱狂の中に居る自分を誇る者たちの物語だった。(それが強がりかどうかは置いておくとして) 同じくインタビュー動画で、"終わり方に希望を見出だす人、絶望を見出だす人とで結構別れてます"といった内容を朝井さんが語っていたが、個人的にかなり絶望寄りの終わり方だなと思った。 久保田と澄香がその印象のほとんどを担っているような気はするけれど、ただ、一度自分を使い切って、これからやり直そうと思えた隅川にだけは、少しの希望を感じられた。 兎にも角にも、朝井さんの小説はやっぱり怖いなと思った。 - 2026年5月13日
イン・ザ・メガチャーチ朝井リョウ読んでる推しを失うという経験を未だしたことがない自分からすると、隅川絢子が歩もうとしている物語の方向が、正直不気味で怖いと思ってしまった。 でも、推しという存在を生きるための支柱にしている人からしたら、こうなるのも無理はないんだろうなとも思ってしまう。 自分もいわゆる推し活をしている身ではあるけれど、人生に彩りを添える程度の感覚でやっているから、同じ体験をしたとしてもこうはならないだろうなと思う。(たぶん) でも、そこまで熱中できる人たちが羨ましいと思ってしまう事実も否定できずにいるからむず痒い。いつものとなりの芝生現象。 - 2026年5月3日
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない溝口ケージ,鴨志田一かつて読んだ活字本も読みたいなぁと思い始めた時期、直近で見たアニメから興味を引かれて読んだ作品。(青ブタを読んでから活字モチベがかなり上昇した気がする。ありがとう青ブタ) 原作ではつい最近本編が完結して、アニメも遂に最終章。 シリーズものが完結を迎える寂しさはいつになっても慣れない。 - 2026年4月28日
- 2026年4月26日
バカとテストと召喚獣葉賀ユイかつて読んだ本と言えば漫画!としか思っていなかった学生時代に読んだラブコメ系ライトノベル。 当時思春期真っ盛りだった自分にはぶっ刺さりすぎるおバカギャグ展開に毎巻爆笑していたのを思い出す(でもたぶん今でも爆笑できる) 今思うと、この作品のおかげで活字本に対する苦手意識みたいなものが無くなったりしたのかなぁとか。読書体験的には、本当に漫画に近かった記憶。 あと今思い返しても、『ムッツリーニ』とかいう思春期特効のあだ名はズルすぎる。 - 2026年4月24日
アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)ダニエル・キイス,小尾芙佐読み終わった仕事の昼休みにちまちまと読み続け、丁度一ヶ月で読了。 「ぼくわかしこくなりたい」 そう願ったチャーリイ・ゴードンの人生を追体験するような本だった。 (以下ネタバレを含みます) ある手術を受けてから急速に知識を身に付けていったチャーリイは、自然と自身の身の回りを取り巻いていた人らの悪意、善意、または秘めていた真意を知っていく。 途中、急激に上昇したIQを持て余すように横柄な態度を取る期間もあるが、それもそのうち収まり、やがて他人を敬い、慈しむ心へと落ち着いていった。 しかしある日、彼は自身が受けた手術が不完全だったことに気付き、同時に、自身に訪れるであろう結末を察する。 これから、急速に身に付けた知識が急速に失われていくだろうということが、彼には分かった。 彼より前に、彼と同じ脳手術を受けていた白色のネズミのアルジャーノンは、既に彼が予想した症状の兆候が出ていた。以前まで精力的に取り組んでいたネズミ用の知能テストを放棄するようになり、無為に暴れることが増えていた。 自分に残された時間はどれ程あるだろうか。 チャーリイは、未来のために、自分と同じ障害を持つ人たちのために、残りの時間を研究の助けに使うことに決めた。 その間、相棒であり友であったアルジャーノンが死に、彼は悲しんだ。しかし、彼は自身に課した使命を果たすべく動き続けた。 やがて、その時がやってきた。 チャーリイの知能が、急速に低下していく。一日毎に、あるいは時間単位で、彼が身に付けた知識は失われていった。 それでも彼は記録を続けた。言語能力が失われかけていようとも、自身とアルジャーノンの記録を以て、未来に貢献するために。 「どうか……どうか……読み方や書き方を忘れないよおにしてください……」 P.443で綴られた彼の願いは、おそらく叶わなかったのではないかと思う。 しかし、p.449の本文最後の一文。 「ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。」 他者を思いやる彼の心だけは失われないでいてほしいと願わずにはいられなかった。 - 2026年4月1日
アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)ダニエル・キイス,小尾芙佐まだ読んでるチャーリイの経過報告(日報のようなもの)は、文の構成や言葉選びが徐々に変化していく。 急激にIQが上昇した初期から中期の文章や言葉選びには他者を顧みない独りよがりなものを感じたし(全能感、優越感など)、けれどストラウス博士に「だれにでも理解できるように、易しくわかりやすく書きなさい」と指摘されたあとにはそれらがなくなっているように見えた。 しかもそういった大きな変化だけじゃなく、日毎にもわずかに変化を感じることがあるからすごい。 一人の人間が一日一日変化していく様子を見ることができる(経過観察できる)というのは、改めてすごい体験だなと思った。 - 2026年3月29日
アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)ダニエル・キイス,小尾芙佐読んでるチャーリイを取り巻く悪意を持った環境に胸くそ悪さを感じつつも、自分がその立場だったとしたら『周りに流されて…』とか言い訳を並べて同じような振る舞いをしてしまうんじゃないかと思った。 そういった人たちを『使いもしない頭をもった人たち』とキニアン先生が称したのが強烈に頭に残っている。 - 2026年3月24日
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